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職場では、1日早いホワイトデーでした。 プレゼントを物色していたら、偶然見つけました。 包装紙を拡大すると、 ロイヤル・コペンハーゲンの紅茶セット(茶葉と角砂糖の詰め合わせ)です。 職場の女性にプレゼントしたら大喜び。ハンマースホイは知らなくても、ロイヤル・コペンハーゲンの大ファンで、同社製ティーカップでお茶を飲むひとときがいつも楽しみ、と言っていました。 良いものを大切に長く使う。大切にしている良いもので楽しむ。豊かな生活を楽しんでいる人が身近に居て、美術の話で少し盛り上がって、おかげで楽しいホワイトデーでした。
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ハンマースホイ
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ハンマースホイの絵には、背中を向けた妻イーダが頻繁に登場する。 Interior, Strandgade 30 c.1908 ことさら、女性のうなじを描こうとしたわけではなく、日常よくある光景を描いたのだろう。すっかり安心しきって、この部屋の主人に背中を向けたままの、自然体の妻の姿だ。だから、この絵を見る私は、この部屋の主人になり切って、絵の中に入って行けば良い。木造の床をゆっくりと踏みしめながら、椅子に座ったままのイーダを一瞥する。彼女も私の気配だけを感じている。私は最初のドアを通過し、そのまま進んで次のドアを通り抜けると、明るい窓の向こうには、やはり見慣れた町の景色が広がっているはずだ。 向こう側のドアにはドアノブが無い。それが何故か、問うほどの意味はなくて、単に日常を注意深く見つめなおすために仕組まれたハンマースホイの悪戯に過ぎないのだろう。彼は、同じ部屋を描くのにも、家具の位置を変更する、丸ごと取り払う、何でもありだ。 そこから推察すると、彼の絵は一見、具象的だが、描かれているアイテム以上に、その絵は何故にそのように描かれたか、という心情こそが絵の前景に来るように思う。 彼の絵の中に紛れ込んだ非日常性は、作品を見る者の意識に違和感という形で疑問の波を起こす。その疑問に対する適切な答えを、いつまでも見つけることができない気分の不安定さ。それこそが、平凡な日常への愛情を再認識させてくれる重要なモチーフなのかもしれない。
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初めて見た時は、ただの肖像画だと思った。ほんとうは、とても辛い絵だ。 Portrait of Ida Ilsted, Later the Artist's Wife 1890 この絵が描かれたのは1890年。ハンマースホイが、イーダ・イルステズと婚約した年である。図録によれば、この絵は写真から描き起こしたもので、もとの写真にはカメラ目線のイーダが写っているそうだ。そして別の写真のイーダは、卵のような曲線の顔だちに柔らかな笑顔をたたえている。 それにしても、この絵のイーダの表情は理解できない。これから長く自分の近くに居る人が、間近でこんな顔をしていたら不安になる。少し哀しくなる。自分以外のどこを見ているのか、もはや何も目に入っていないのか、あってはならない距離を感じさせる不思議な表情だ。 幸福そうな笑顔を満面に浮かべて自分を見つめる彼女を、ハンマースホイはどうして描かなかったのだろう?微妙な距離感を抱えながら、お互い一緒になるのだと気づいていたから?
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ハンマースホイの作品群を見た中で、1枚、忘れられない絵がある。ハンマースホイの妻、イーダの肖像画だ。 イーダ・ハンマースホイの肖像 1907 額に浮いた血管、くぼんだ眼窩の肉の落ち具合、そしてチカラの無い、うつろな眼、皺だらけのゴツゴツした手。老婆のようなあり様だが、彼女の年齢は38歳である。自分の妻を、このようにしか描かなかったことに、理解を通り越して怒りを感じてしまった。 今、思うと肖像画の展示方法にも、問題があったのではないか。この画家の肖像画に特有な、モデルをつき離したような奇妙な描き方。そして、そのことを強調するような解説文。それを何枚も見るうちに、気分が滅入っていた。 この絵を描いたとき、ハンマースホイ自身は43歳。その前年から背中の神経痛で、時折、寝たきりの生活だったというから、この絵に描かれたイーダの容貌は、あるいは夫の看病による肉体的、精神的苦痛が大きく影響していたかもしれない。 病気がちなハンマースホイにとって、明るく楽しげな絵を描くのは、あまり気乗りすることではなかっただろう。自分の看病をしてくれる妻イーダに、17年間連れ添ってくれた苦労の跡を確認しながら、それを克明に描くことで、心からの感謝を捧げようとしたのだろうか? イーダの肖像画としては、この絵が最後とのことである。
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ハンマースホイの肖像画は、不思議な構図のものが多い。複数の人物を描いているのに、わざわざ同じ画面に描く必要が無い構図だったりする。 ところで次の作品は、そんな不思議な構図の絵のひとつだろうか? Two Figures(The Artist and His Wife), or Double Portrait 1898 ハンマースホイ夫妻がテーブルをはさんで向き合って座っている光景。妻イーダは伏し目がちで、夫のほうには向いていない。何かを話し始めようとする気配でもない。二人とも黙したまま、時間だけが過ぎていきそうだ。 しかし、よくよく考えてみると、目線も合わせない、交わす言葉もない、それでいてお互い、立ち去るでもなく、空気のようにそこに居る、そんな関係になるまでに、どれほどの長い時間と忍耐を要したのだろう? 二人のかけがえのない関係性を描いた、という点で、これほど豊かな世界が表現された絵は、他に探すことが難しいのでは?
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