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被災地の皆さんの無事と安全を心からお祈り申し上げます。

夏京都2011

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 夏京都メモを見返していたら、重要なトピックスを忘れていたことに気がついた。

 高台寺圓徳院から清水寺に向かって歩くルートは二年坂、産寧坂という坂が多い。実は山裾を歩いているから当然で、傾斜が急な部分は坂ではなく階段になっている。

 そして二年坂には軒先に和傘を3本並べた風流な感じの店がある。その派手さに目を奪われていると、うっかり見過ごしてしまうが、その向かいにあるのが“かさぎ屋”だ。竹久夢二のお気に入りだとか。

 あんこ自慢のお店、ということで宇治金時もメニューにエントリーされていた。なんとなく古そうな外観のお店だけれど、甘味処の風情としては十二分過ぎて良い。気になったのが、坂道にある店なんだなー、という印象が強い点だ。

 たしか引き戸だったと思うけれど、それを開けて敷居を跨いで驚いた。やっぱり坂道にある店なんだー。最初に目に飛び込んで来たテーブルが、なんとなく傾いている。よく見ると座席も、なんか、傾いてる?たまたま最初に目に入った座席がそうなのかな。もっと他に座り心地の良さそうな場所が、場所が、場所が、・・・無い。

 でも自分はもう既に全身がこの店の敷地内に入ってしまっているし、いらっしゃいませ、って声をかけられて頷いてしまったし、つかの間、宇治金時をいただくだけだし、別にここに住むわけじゃないし、うーん、しかし、どこ座るよー。戸惑う私。その時はたまたまお客さんがほとんど居なくて、どこに座っても自由なのに、それでいてどこに座るか迷う体験は初めてかもしれない。

 それでも消去法で居心地のよさそうな場所と思って着いた座席は、椅子が前のめり、机が右肩下がりという状況だった。複雑な斜面。着席してからの姿勢維持は自分でマニュアル補正するのだ。落ち着いて周囲を見渡すと、他の座席も思い思いの方向に机や椅子が傾いていて、みんな同じなんだー、と不思議な安心感に包まれる。妙なほっこり感。

 注文してしばらく待つ。やった、宇治金時が来た。プレートに乗った宇治金時が、目の前に来て、右肩下がりの机の斜面の上に来て止まる。すべらずに静止している。物理学の摩擦係数とか、思い出してしまう。宇治金時は、普通においしい。斜面だからと言って、美味しさは損なわれることはない。そして、あんこの穏やかな甘さ。素晴らしい。

 宇治金時をいただいていると、小ぶりの急須と湯のみ茶碗のセットが、やはりプレートに乗って供される。これもまた、右肩下がりの机の斜面の上に来て止まる。急須は丸みがあるので、転がらないのかな、とか思うけれど、大丈夫だ。転がり摩擦係数とか、思い出している。

 それほど傾いているわけではないけれど、食べている間、スリルがあることは確か。

 店の中には水平とか垂直とかが無い。それでも、うまいものはうまい。何事の不思議なけれど。

 坂の途中にある店は、山裾にある店は、水平とか、垂直とかが無い。何事の不思議なけれど。

 そうなのだ。この店は、水平とか、垂直とかの気持ちよさに慣れ切って、それが当然だと考えている日常に問題を投げかける。フランク・ロイド・ライトとか、コルビュジェとか、そんなものをいっこう意に介しない、普通にモノを食べる場所って、本来、こんなものでしょう、という静かな主張を感じさせられる。

 坂にある店、と言ってもマシンが簡単に移動できるような美しい坂ではなく、山の斜面だからデコボコなのだ。水平が無いから垂直だってどうだかわらかない。それでも私は宇治金時を味わっている。そしてそれは十分にうまい。ただ、それだけのことだ。何事の不思議なけれど。

 今年2012年は創業97年だったかな。2015年には創業100周年で何かイベントをやるのだろうか。店舗の改装だけはやめて欲しい。

かさぎ屋
2011年8月13日
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うろおぼ絵 無鄰菴滝石組

昼間、無鄰菴でひと息ついた時、印象に残った滝石組を
ホテルに帰って夜、うろおぼ絵した。
ここのお庭も美しかった。

無鄰菴
2011年8月12日
 夏京都入門に書こうと思って忘れていた記事を思い出した。

 京都といえば神社仏閣めぐりの他に美食の楽しみもあるけれど、私は食事にはあまり興味が無い。いつも歩きながら適当にそこらへんの店に入ってしまう。食生活は東京に居る時とほとんど変わらない。

 ただ、こだわりがある店がひとつある。店名は書かないけれど、ひとりで京都に行ったら必ず行く蕎麦屋がある。その蕎麦屋は食事がとにかくまずい。まずい、という言い方は失礼なので、“生命を繋ぐ食事”、と言い換えて置く。麺はしまりがないし、麺つゆは味が薄いし、なんでこう、スキだらけなのか、と不思議なくらいにアレだ。その店のメニューでエビ天ぷらとザル蕎麦のセットがあって、けっこうなお値段なのだけれど、このエビ天がまた凄絶だ。なんていうか、カブトムシとかクワガタとかの殻みたいな、食べたことは無いけど、へんな歯ごたえのころもがついている。中の素材はまあまあ良いのだが、素材の良さを確実に圧殺する凄まじいころもだ。天ぷらメニューは、やめりゃいいのに、と思うくらい店の弱点が凝縮された不思議なメニューだ。

 本業の蕎麦も、サイドメニューの天ぷらも、何ひとつ取り柄が無さそうな店なのに、不思議なくらい客が多い。接客が良いんだ。とにかく店員が明るい。挨拶が良い。会話がうまい。客を待たせない。席に着くとすぐに“お冷や”が出てきて、飲んでも飲んでも、すぐに継ぎ足してくれる。しかも、“生命を繋ぐ食事”が終わると、熱いお茶をサービスしてくれて、飲み終わるとまた“お冷や”サービス。馴染み客との会話も流れるようにスムーズ、スムーズ、聞くともなく聞いていると、とても愉しいのだ。

 そんな店なので、行く前にはかなり気合が入る。

“よーし、今日もカネを捨てに行くぞーっ!”

 で、その店でいちばん高いエビ天蕎麦をいただく。期待を確実に裏切らないマズさの王道。2010年夏も行った。接客がほれぼれするほど良かった。高い信頼感。感動新(あら)た。

 今年もまた行きたい。



もう二度と行かないと思った接客
http://blogs.yahoo.co.jp/pensee823/31128308.html
すこし遅めのお昼ごはん。

個室に通されて、注文した料理が出されるまでの間、ヒマだったので“おしぼり”の包装のイラストをササッとスケッチした。

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また来年、真夏の京都で!


2011年8月13日

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 夏の京都旅行で最後に行ったのが高台寺だった。ここにも手入れの行き届いた美しい庭園がある。

 お庭鑑賞と言うと、関心がお庭そのもの、お庭の様式とか石組み、植栽、紋などに向かってしまう。たしかに、それも楽しみのひとつではある。しかし、それらすべてが組み合わされた素晴らしい景観を見る、見せていただけることに素朴な嬉しさを感じることが、お庭拝見の基本だと思うようになった。南禅寺のお庭を拝見しながら、なんとなく思っていたことが、高台寺ではっきりしたように思う。

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 この通路が、適度に長くてもどかしい。

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 遺芳庵

 まだまだ通路が続くのだけれど、なんとなく雰囲気のある建物が視界に入って来て、お庭拝見モードが次第に盛り上がって来る。遺芳庵の前を通り過ぎると、ようやく高台寺の庭園が視界いっぱいに広がる。この開放感が素晴らしいと思う。

 夏の高台寺では百鬼夜行展が開かれている。簡単に言うと“お化け”の絵の展覧会だ。高台寺と“お化け”の絵と、どんな関係があるのか、気になったのでインタビューしてみたら「うーん、よくわからないけれど、暑い時期なのでみなさんに少しでも涼しくなっていただければ、という感じですかねえ」とのお答えだった。

 たしかに日本画で本格的に怖い幽霊絵も展示されていた。日常、よく使う道具に手足や目がついたようなコミカルな幽霊の絵が多くて、涼しいというより、むしろ面白かった。単に怖がらせるのではなく、道具を丁寧に扱わないと化けて出ますよ、という“戒め”の絵だ。思わず笑った絵があったので、簡単にスケッチしてきた。

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 ヘタで恐縮だが、高台寺の名物でもある紅葉、桜、竹のオバケだ。桜のオバケは、なかなか良い感じで描けてると思う。それにしても、バケて出てくるほど粗末にしてないと思うぞ。なんでバケて出るかな。もっと気合を入れて鑑賞しろ、ということか?

 奇妙な展示品があった。透明な直方体の氷の塊だ。何かと思ったら、触って涼んでください、とのこと。なんか、ストレートに嬉しい。こんなに大きくてキレイな氷の塊って、普段さわったこと無いもんなあ。せいぜい、ウィスキーで水割り作る時のブッカキ氷くらいだ。

 高台寺は女性の職員が多いけれど、イベントのところどころにお母さん的な優しさを感じさせる親しみやすいお寺だと思う。我侭な秀吉を大きな愛情で包んだ秀吉の妻、ねねのお寺ということも関係しているのだろうか?

 ねねの秀吉に対する愛情の深さは霊屋とか、傘亭、時雨亭などを見ても感じることができる。その、むせかえるようなラブラブな雰囲気でお腹いっぱいになったあと、腹ごなしに歩く竹林が私は好きだ。

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圓徳院

 ここの北庭も素晴らしい。

 受付を済ませてすぐに北庭が見えるわけではなく、大きなお屋敷の中を歩いて回りながら、やっとのことで北庭に辿り着く。その、北庭に辿り着くまでのまどろっこさの中に心地よい高揚感を味わうには、初回よりも2度、3度と回を重ねる必要がある。ほんとうは、圓徳院の主人から特別にお招きをいただいて拝見するのが最高なのだろう。お庭を鑑賞する楽しみとは、本来はそのようなものだと思う。

 圓徳院の北庭は、敷地がL字形をしている。しかも大きいのでどうにも写真には撮りにくい。時代的に考えても写真うつりを考えて作庭しているわけではないから当然だが、日本庭園の美とは、そもそも写真で撮れる種類のものではないだろう。普通に肉眼で見ても、北庭のすべてを一度に見渡して、美しいとか思っているわけではない。静かに座って、視線が気儘に向かう先を見て、その都度、気持ちが揺れるのを愉しんでいる。植栽の美しさに惹かれることもあれば、石を見て連想が突飛な方向に飛んでいることもあり、そのすべてがなんとなく良かったな、という印象である。南禅寺で味わったように、宗教的な含意に思い至ることもあるかもしれない。お庭を見ているようでいて、本当は心象風景に感動しているのだろう。だから、お庭の写真の印象と、実際にお庭に行って味わう印象とは、ほとんどの場合、重なることはない。お庭の写真は、それはそれで美しいが、実際のお庭で味わう印象は、そこで肉眼で見える以上のものだ。

 不思議なことに、北庭に行くと必ず、縁側に正座して、庭に見入っている素敵な女性に出会う。あれはたぶん、招かれないのに勝手に遊びに来ているキツネ様だろう。

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北庭之図

2011年8月13日

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