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被災地の皆さんの無事と安全を心からお祈り申し上げます。

ポロック

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ジャクソン・ポロックは晩年、自分自身の作風に迷いを感じながら、最後は自ら自動車事故を起こして亡くなった。

 会場出口に事故当時の新聞記事があった。“The Star”だ。事故現場の写真入り記事だ。草叢にころがったホイールキャップとポロックの靴の片方が並んでいる。記事によれば、それは記者の演出ではなく、事故現場にあったまま、らしい。さらに、“警察または政府の交通事故防止キャンペーンにでも使ってくれることを希望して、記事にしました”などと書いてある。うーん、それで良いのだろうか?

The Star

 偶然、英文解釈の勉強で使っていた問題集の例文に、The Starを見つけた。

 The Star --- one of America's oldest newspapers --- was established in 1852. Until the late 1950's, it was the most popular newspaper in Washington. Even after it lost its leading position to the Washington Post, many observers considered it to be one of the best newspapers in America.

 ほんと、偶然。

杉野隆、桑原信淑/英文解釈の技術100(桐原書店)

 上の例文は、この問題集の中では平易なほうだ。この問題集はレベルが適度に高くて、スラッシュ・リーディングの練習に良い。高校生で、英文解釈をきちんと勉強したい人は、シリーズで、もう少し平易な“入門英文解釈の技術”、“基礎英文解釈の技術”を順番に勉強すると良いと思う。解説は、英文を精読するための方法論を丁寧に説明している。理解できた文章は何度も読んで、先頭からサラッと読んで理解できるようにする。


 “英文解釈の技術100”は、同シリーズの他2書より格段にレベルが高い。その原因のひとつは、例文の長さが短いので、言葉の意味が特定できない、ことにあると思う。入試では、時間や、問題文の長さに制約があるので仕方が無い。文章は、言葉の積み重ねの上で意味が決まる。文章を構成する言葉も、文章全体の主張や論理展開の方向性の中で、ひとつひとつの意味が決まる。文章と、それを構成する単語とは、全体と部分という関係から厳然とした主従関係にあるのではなく、お互いが相手を補足し合う関係にもある。文章を理解する、とは全体と個とのバランスの良い解釈、評価という絶妙な作業に支えられている。そういうことで、どうしても意味が取りにくい例文は、さっさと解答を見て、文章と単語との関係性を確認する、という作業をしてみるのも有意義だと思う。

 同様にポロックの絵も、それなり絶妙な解釈の仕方、理解の仕方というのが、もしかすると、あるのかもしれない。残念ながら、それを教えてくれる“解答解説”は無い。それこそ、絵の中にどっぷりと浸かって、味わってみるしかないのだろう。もしかすると、ポロックが絵の中央部分を人の形にカットアウトしたのは、“お前、この中に入ってみろ”という意味だったのか?
晩年のポロックの絵は日本画、書に近い。

 彼は相変わらずポーリングの手法で作品を作り続けたのかもしれないが、白地に漢字か何かのような、あたかも文字の断片を描きつけたような絵があった。でも、あれは文字ではないのだろう。何か特定の文字を書くことは、そこに意識が介在する余地を広げてしまうからだ。ポーリングは、たぶん、意識による制御の可能性をゼロにはできないにしても、可能な限り低く抑制する制作手法として選択されたのだと思う。

 次の絵は、私には日本画のように見えた。

イメージ 1
若尊放浪句 / 月影松図 1951

 この絵の本当のタイトルは“Number 11”だ。特別なモチーフをもとに描いているわけではないだろう。でも、私にはこの絵が、松の枝を通して見た月のように見えた。とくに、画面右下の比較的大きな白い扇型が、月のように見えた。黒とわずかにズレた茶色が、白をひときわ輝かせる。

 画面をすべて塗りつぶすポロックにしては、珍しい絵のようにも思う。けれども、ポロックの絵は何が前景で、何が背景かを特定することが難しい。ポーリングされたそれぞれの線が、それだけで独立した主題になっているようでもあり、同時に画面全体を構成する背景の一部でもあり。個と全体とが分かち難く結びついている。

 この絵は、白い部分がとても多い。あのポロックが、よくも塗りたくらずに踏みとどまったなあ、と思う。ポロックは気がついたのだ。塗るべき部分と塗らずに残す部分との関係性に。ある線を描くことは、その線と、その線が描かれる前の状態との間に何らかの緊張関係を作ることだ。たとえば白いキャンバスに、たった1本の黒線を落としたら、白い部分はただの余白ではなく、黒で抜かれた“何か”である。そのように考えると、ポロックのこの絵はたしかにオールオーバー。画面全体に、均一な意識が拡散している。

生誕100年 ジャクソン・ポロック展
2012年2月10日(金)〜2012年5月6日(日)
東京国立近代美術館

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 ポロック展の会場の中には、彼の作品の一部を拡大した画像をあしらったものを見かける。チケットもそうだ。

 売店で売られていたポストカードも興味深い。たしか展覧会の目玉作品だ。
イメージ 1
Jackson Pollock / Mural on Indian Red Ground 1950

この作品の部分拡大が、別にポストカードとして売られている。

イメージ 2

 この2枚を比較して、どう思うだろう?相変わらず、わからない。拡大しても、わからなさ加減がぜんぜん解消しない。そんな印象を受ける。好意的に言うと、ポロックの作品は拡大しても、作品の味わいが変わらない。

 かなり以前に、たまった古い本を整理していたら、ポロックの記事を見つけた。たしか、日経サイエンスだったと思う。数学的に言うと、ポロックの絵は“複雑系”なのだそうだ。複雑系の特徴は、どんなに拡大しても、複雑さが変わらない、分解して個別に調べても全体を理解することができない、だ。まさにポロックの絵の印象だ。

 複雑系という概念が発見されるまでの科学は、自然の微細構造を拡大し、分析、総合することで、自然を理解しようとしてきた。そのような科学に対する懐疑が持ち上がったのが19世紀終わりから20世紀初頭で、哲学、文学、音楽、物理学、経済学・・・至るところで従来の考え方に対する反動が湧き上がる。従来の方法論では理解できないこと、意識にさえひっかからないこと、しかもそれらが想像できないほど大きな影響力を持っていることが次第に明らかになって来る。科学のフレームワークで理解できないことを退ける生き方よりも、なんだか理解できない事象を精霊とかトーテムとかに象徴させ、常に意識の中に置こうとする生き方のほうが、誠実なのでは?

 その記事によると、ポロックの時代にはまだ複雑系に関する研究は無かったそうだから、ポロックはほとんど芸術的な直感と単純な塗料散布だけで、複雑系という新しい概念に到達したことになる。自然の真相に一歩近づいたことになる。

 ポロック展のチケットも、彼の作品の部分拡大をデザインしている。よく考えると、これってとても挑発的だ。

 よくわかるように拡大してやったぜ?わかるかい?どうよ?

イメージ 3

 拡大してみると、ポーリングされた塗料が、キャンバス上でさらに複雑に飛び跳ねて、その飛沫がまたポーリングされたようになっている。このチケットのデザインに[◎傑作]ポチッ!

生誕100年 ジャクソン・ポロック展
2012年2月10日(金)〜2012年5月6日(日)
東京国立近代美術館

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ポロックの作品の緑色は良いと思う。

イメージ 1
JacksonPollock / Untitled 1949

イメージ 2
Jackson Pollock / Composition on Green, Black, and Tan 1951

生誕100年 ジャクソン・ポロック展
2012年2月10日(金)〜2012年5月6日(日)
東京国立近代美術館

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ポロックの制作プロセスをビデオ上映していた。広い野原に、コンクリートを打ったようなスペースがあって、屋根も柱も無い。足元には大きなキャンバスと塗料が置かれている。ポロックは椅子に腰かけて、靴を履きかえる。塗料まみれの靴だ。

 右手に持ったナイフで、左手に持った塗料のカンから塗料を掬い上げるなり、投げ縄のような手つきで塗料をキャンバスに放り投げていく。いちいち考えているとは思えない早いテンポだ。大きなキャンバスの縁に沿って歩きながら、塗料を放り投げる。そうしてキャンバスの周囲を何度も何度も往復する。

イメージ 1
Jackson Pollock / Number 7, 1950 1950

 横幅がかなり大きな絵だ。背景は赤褐色。鳥のフンのように散らばる塗料。よく見ると、なんとなく等間隔に線が集中する部分があるような感じがする。たぶん、ポロックの歩幅だ。ポロックは、その歩幅でこの絵を刻み、そのステップがテンポを刻んで、この絵のリズムを作っている。無意識は、その人の身体的特徴や環境と無縁ではない。このキャンバスのサイズ、彼の歩幅、彼のテンション、・・・そんなものがすべて合わさって、リズムとして表現されるもの。それがこの絵だ。

 絵を描いている間も風が吹いている。それがポーリングされる塗料を微妙に揺らす。その揺れをポロックの身体が受け止めて、今までとは違う身体動作が生まれる。彼の無意識もそれに反応し、それがまた新しい身体動作を生む。果てしなく続く無意識とのインタープレイ。チビてきた咥え煙草が、急激に鬱陶しく感じられて投げ捨てる。そしてまた、プレイ(作業)に戻っていく。無意識の中に沈潜していく。

 ポロックの作品は音楽なのだ。この作品のタイトルが、それをよく表している。1950年の第7番。1950年の作品番号7。これほど、この作品にぴったりなタイトルは、他に無い。

生誕100年 ジャクソン・ポロック展
2012年2月10日(金)〜2012年5月6日(日)
東京国立近代美術館

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