|
私自身も、わが子のことで日々悩んでいます。
未だ、子育て悩みの現役です。
仕事柄、私が、わが子のことで悩んでいるなんて、出会う人のほとんどが信じてくれません。
今回は、ほんの少しだけ私の悩みを聞いてください。
長女は、算数が苦手でした。
小学2年生の時に、10円玉を二つ並べたて「これ何円かな?」と質問したら、「12円」と答えました。
10円玉が二つだから、10が二つで12円か?なるほど?面白い発想だ。と今なら笑い話ですが、その時は、
真剣にLD(学習障害)かもしれない思いました。
自分の子供が、実際にLDであっても認めたくない親は少なくありません。当然ですよね。だれも信じたく
ありません。
しかし、若干その知識がありましたので、逆に私は、そう判断したほうがいいのかとも迷いました。
嘗て、スイミングコーチをしていた時に、自閉症児クラスの責任者を務め指導もしていました。
その時は自閉症児と呼ばれる子だけではなく、それ以外の子供たちもおり、その時から学習障害について
の知識が若干ありました。
私も、妻も、そして祖父、祖母までもが心配し、それは、それは、全員で必死に算数の指導をしました。
最初は、妻が指導をしましたが、だんだんと諦めモードとなり、そして、次は私です。
自分が指導をすれば大丈夫とタカをくくっていましたが、なんども怒鳴り散らしてしました。何度も。
そして「もう無理だ」と諦め、次は祖父です。普段は、非常に温厚な祖父ですが、「だめだこりゃ」
本当に学習障害であることを受け入れるしかないのか、と考えたり、いや、もしかしたら、生後10か月後
に川崎病にかかり、その後遺症なのかと思ったりもしました。なにせ、40度近い高熱が1か月も続いたの
ですから。大変な病気でした。
結局、中学3年までなんやかんやと諦めモードながらも、妻が指導をし続けました。
他人の子や親にはアドバイスをしたり、諦めないように励ましたり、具体的なアドバイスをしながら、わ
が子に対しては、諦めモードでした。ひどい父親です。
高校も、○○高校ぐらいいけたらいいよね、と肩を落としながら妻とはなしたものです。
ところが、中学3年の夏に突然本人から「お父さん、塾に通いたい」といってきました。
一瞬、耳を疑いました。小学生の頃は「算数なんか嫌いだ。どこかにいっちゃえ、高校には絶対行かない
よ」と、そう口にしていた長女が、自ら「勉強ができるようになりたい。だから塾に行かせて」といって
きたのです。
何が彼女を変えたのかは、今もわかりません。本人も、なにがきっかけなのか覚えてないそうです。
私は、この子は駄目だ。学習障害かもしれない、教えても無理だ、高校もいけるところでいい、などとい
つの間にかわが子に「ダメ烙印」を押し続けていたました。
今も時々、その「烙印後遺症」が表れるのです。幼少の頃からの「烙印の魔法」が未だ解けていないので
す。「どうせ自分はできないから、弟は優秀だから・・・」等等
この「魔法」を解くことが、今の私の親としての使命です。
本当に、なんと表現していいのかわからないほど、長女には申し訳なく思っています。
|