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クリスマスから年末。あることを私はフッとしたときに叔母に言われた。
叔母「○○君はきっと幸せになれないだろうと」
私「なぜ?」
叔母「何故って,○○君は昔から人の話を黙って聞く子であったから」っと。
私「それの何処がいけないの?」と聞く。
叔母「どこって,それで人の嫌なものまで遮らずに聞いたり見たりするから・・。」続けて
叔母「それを知ることは,人間の嫌な面を見みて,知ってしまうと謂うこと。だからそれはいつも,どんなことをしていても,その事が必ず意識のどこかにあるはずだがら・・」っと
私は「・・・」と沈黙する。しかし,心の中で違うと言う思いがあるにもかかわらず,頭が回らない。何故か。それはお酒を飲んでいるからで,何とも,恨めしい(苦笑) お酒を飲むと饒舌になる人が羨ましい。(苦笑) お酒を飲むと頭がボウッとして,黙ってしまう。議論好きの私としては何とも悔しい(笑)
後からその事について,父と話していたとき,やっぱり,父も同じだと言っていた。事が印象深い。
私の考えでは,そう言う嫌な面を見ずに,居ることは本質が見えていないことになる。と思う。それは時に判断を狂わし,更に自分の足をすくうことになると言う,しっぺ返しを食うことになると思う。もちろん嫌な面を知ったり,自分も謂われたり,あるだろうがそう言うことに耐えうる精神力が無くてはいけないと私は思う。それに屈することでは何も生まれてこないし,何も見えてこない。
言うなればそれをしない人たちは,本質が見えていない。と言うことになり,更に,バーチャルな世界に生きていることになる。しかし,実際はバーチャルではないので,問題が発生したときにその原因が不明という何ともお粗末な結果に終わることになる。(冷笑)
故に次にあったときにこの事を叔母に謂ってみることにする。
何という反応をするかな・・・(微笑)
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