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哲学ゲーム

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古来より人は真理を求めています。
そもそも「真理」とは何をさすのでしょうか?
普遍性でしょうか、真実でしょうか、無垢なものでしょうか、全てに答えうる解?

Philosohie 哲学は、理性的で論理的な思考で主題について論じる学問でしょうか。
元々の語源は Philo + Sophie 知を愛すること。
知識を愛し研究することがフィロソフィーならば、確かに学問は哲学でしょうね。
で、神は別個。神は知識とかを超越したものでしょうから、いつでも特別待遇です。
19世紀までは神学以外の学問はだいたい全部哲学の中です。
科学というものも自然科学ではなく自然哲学とか、何でも○○哲学です。
数学者も哲学者で、学問の総称的なもので呼ばれていたように思います。

哲学の主題は、抽象的なものが多く、
真理、善、美、神、存在、時間、本質、理性、意識、自他などなど。
どれをとっても非常に抽象的すぎて、ピタッと当てはまる一つの回答がないように思います。
まさに、人それぞれで、一つに定義できそうに思えないことではないでしょうか?
「真理とは何か?」
神学者ならそれは神とその摂理だと言うかもしれません。
でも神の存在を認めない人にとっては、それは通用しませんよね。
だからといって真理は存在しないとも言えず、定義づけが難しいです。
「人は空気がなければ生きられない」
「人は栄養を取らなければ生きられない」
「人は死ぬ」
これらは正解だろうと思います。ただこれって、科学的な真理であるけれど、
宗教的な真理と合致するかと考えると、また疑問ですよね。
魂が存在するなら、人は死ぬのではなく肉体が滅びるだけで人の魂は死なないと。
こうなると科学とオカルトの世界ですよね。

哲学の学問の研究では、多くは、主題となる文献の読み込み、
特定の哲学者などの過去の著作を調べてみることなどが多く、
細かい分析やパズルが好きな人には打ってつけですが、結果オーライじゃぁダメです。
コツコツと文献を調べ、丁寧に細かく年代をおって、どんな主題でどんな風に理論を展開したか、
どこで矛盾が出て、どんな風に解決していったのかを順を追って探る必要があります。
私などはこうした作業は出来ません。哲学向きの人ではないようです。

広義で呼ばれる哲学、どちらかと言えば哲学ではなく思想ならば、誰でも持っているでしょう。
もちろん私も私なりの思想・理想と理論があると思っています。(ちょっと弱気)

感受性、価値観、世界観などは千差万別。
物事を認識する方法や把握の仕方、いくつかの概念や発想は「思想」。
定義づけして、上手く言葉を駆使して論理によって体系化することが出来れば、
日々の他愛もない呟きだって哲学の一つに仲間入りできるのでしょう。
でも、独自に辿り着いたと思っていた考え方が、既に先人によって体系化された思想の一つだった、
と知らされることも往々にしてありますよね。(知らない事は罪なんです)
私もよく「それは既に○○が提唱した△△論と似ている」なんて言われて、
ホーとかキィィィ!!とか感じたことがあります。
そうした場合は、独自の思索であろうと、過去の先達の思想の継承若しくはパクリとして扱われ、
はるか昔にそんな風に考えていた哲学者がやっぱり偉い、でお終いです。

よく考えてみると、人は誰しも同じような考えをしている仲間がいると思います。
特別珍しい発想をすると思われている人でも、人間の歴史を遡れば、きっと仲間がいるでしょう。
巧みな言語を操ることが出来たなら、哲学者として崇められたでしょう。

唯一、発展し続ける哲学があるとしたら、それは科学の世界だけだろうと思います。
他の学問は何だかんだといっても古いものが絶対で、ちょっとしたアレンジしかしていません。
でも、科学は温故知新だけではなく、新しいものが偶然にも突出することもあるでしょう。
たまたまや偶然の産物が幾つも排出されている世界です。
理論は後からついてきてもOKなのも科学のすごいところです。一種の力技でしょうね。

人文系の学問、特に人が何を考え何を思い生きるのかは、どの時代もどの地域も差は少ないでしょう。
だからこそ古典を読んでも現代で感動できますし、風俗や習性が違う国の事柄でも、
完全ではなくてもどこかしら納得できる点が見出せるのではないでしょうか?
だってみんな人間なんだもの。分かり合える接点があって当たり前でしょう。
古代ギリシャの哲学者たちは、詩的・文学的な表現で言葉を綴っていったように思います。
人の感情にも訴えかけるような、ちょっと芸術的で宗教感も匂うようなそんな文体で。

私は「哲学」にロマンを求めていたんです。
人の生という営みになくてはならない理、習慣の中や倫理や道徳といった、
生きる上で欠くべからざる感性を、自分なりにまとまった概念にしたかったんです。
私は研究者でもなければ、分析官でもありません。
かといって直感に頼って生きているわけでもありませんから、
躍動している感覚、生きることで見出される思想を求めたいのです。
私が、家族が、友人が、お互いに関わりあって生きていることを実感して喜べるように。

「哲学」という括りで学問を学びたかったのではなく、本当は物凄くささやかな、
自分の価値観と世界観を確立したくて、その扉を叩いたものです。

哲学は、人間が自らの知性の限りを尽くして遊ぶパズル・ゲームなのかもしれませんね。
謎解きは永遠に終わりがないのでしょうか・・・

閉じる コメント(17)

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七面倒くさい難しい理屈を理解する能力も、それに対する旺盛な好奇心もないながら何かコメントしようと必死で考えました。私が出来ることと言ったら空想とか妄想の類なのですが、もしそこに哲学と共通することがあるとしたら考えるという行為かなと思うのです。自分が何かを考えるとき大抵の場合楽しいわけで、それを人に話して賛同を得たり納得いく修正をされると自分が満足できる。

2006/4/26(水) 午後 5:56 [ ブタの遠吠え ]

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人が考える余裕があると言うことは実際に暇があって生活に不自由していないという証拠でもあるから(私事で、夫が死にかけの時それ以外のことを考える余裕もなかったという意味です)、考える人とは幸せで恵まれた人であるとも言えるかなとか、考えるという行為自体が肉体的・精神的・経済的各幸せのバロメーターにもなり得るかなとか、のらりくらりと考えました。

2006/4/26(水) 午後 5:56 [ ブタの遠吠え ]

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哲学って奥が深くて、単細胞な私には難しいのですが、知る事は成長を続ける事。面白いです。shoさんの意見で思ったのは、確かに、途上国に住む人々は自殺率が少ない。ということは後ろ向きに考える事が出来るというのは、何かしら余裕があるのかもしれないですね。物質的な豊かさは心の豊かさに反比例する?

2006/4/26(水) 午後 6:56 サワ

哲学はスパイスだと思います。導き出された答えは絶対ではない。哲学が生まれた理由は、案外シンプルな気持ちからだと思います。謎解きはずっと続いていくんでしょうね。。だからこそ、人は哲学に惹かれるのかもしれませんね。

2006/4/26(水) 午後 10:12 [ - ]

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太古の昔から生活とか人生とか環境とかにほとんどの人が何も感じずに暮らしている中で、各時代にほんの少しづつ「なぜ?」って思う人がいて、で、哲学や科学なんかが生まれる。それってなんだかすごいなって思うのです。哲学をはじめ「学問」を持てるのは間違いなく【人間】だけだもんね。私達もせっかく人間として生まれたのだから、難しいことじゃなくてもいいから日々いろんなことを思考していたいですね。

2006/4/27(木) 午前 6:36 rhy*q5*1

Shoさん、哲学という学問ではなく、人が考える行為=思想や思索も広義では哲学の範疇です。学問的に哲学する場合、人は追及し、探求し、根掘り葉掘り文献を探って真意を読み取り、それから改良された真理を導く事が出来れば新しい○○学派の誕生です。確かに面倒くさくもご苦労様な仕事ですね。

2006/4/27(木) 午前 9:00 プチ・アポロ

それから、哲学者は裕福な生活をしている人やパトロンがいる人が多かったのも確かです。考える余裕は贅沢さと豊かさです。衣食住と時間があって初めて人は哲学的命題を考えますからね。実際二進も三進も行かない状態では「真理とは?」なんて四の五の言ってられませんよね(笑)!

2006/4/27(木) 午前 9:02 プチ・アポロ

サワさん、単細胞とは決して思えない方ですよ。日々目的に向かって突き進んでいけるパワーと心強さはそれだけで熱烈に憧れてしまいます。考えてみよう!とテーマを提示されなくても人は徒然に考えてしまうんですものね。ただ、学問を探求するには時間とお金も必要ですから贅沢です。

2006/4/27(木) 午前 9:05 プチ・アポロ

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なぜ?と自分に問いかけ、答えを探し求める事が哲学への入り口なのかなと思います。哲学とは必死に生きるという事なのかも・・・。学校へも行けず、無口に生きてきた頑固な田舎のお年よりが全てを悟っていらっしゃる事ってありますよね。

2006/4/27(木) 午前 9:25 [ - ]

デブネコさん、哲学はスパイスねぇ...人生は考えてても始まらない時も多く、とにかく行動しなければいけない状況も間々あります。ふと立ち止まって物思いに耽る時、学問の第一歩が始まるのでしょう。最後に行き着く「真理の追究」の答えを神に求める事も多いんですよ。

2006/4/27(木) 午前 9:28 プチ・アポロ

ナナイモさん、我ら人間だけの特権満喫ですね!この世で限界のないものは人の欲望と言われる所以ですね。知りたい欲望だけは、私も止められないです。たぶんかなり貪欲(笑)!これでいいのだぁという感じで、死ぬまで不思議をどっぷり楽しみます。

2006/4/27(木) 午前 9:31 プチ・アポロ

Jennyさん、思慮深い人は物静かで多くを語らないのでしょう。学校に行くだけでは不足で、得た学問を自分の人生に生かして初めて学を修める事になるのだろうと思います。無学と無知とは違い、学校へ行かずとも多くを知っている方は確かにいますね。特に戦争を経験された方の意見は耳を傾ける必要があると私は思います。

2006/4/27(木) 午前 9:42 プチ・アポロ

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哲学する、と言えば自問自答してじっくりゆっくり考える程度に簡単に解釈してます。となれば常に哲学しているわけですが、歳とると、あるがままに全てを認識し受け入れる心境になってきます。それが腹も立てずに生きてられる術となります。このバチカンの「アテネの学童」はいつ見ても、いいですね。

2006/4/27(木) 午前 10:52 [ rue*de_*a*c_de_*rio*p*e ]

Triompheさん、アテネの学堂は、古代ギリシャの先生たち大集合で壮観ですね。ミケランジェロもいたり。そういう遊びが心の中にあるのが大事かもしれませんね。深く考える事、楽しく談笑する事、禅問答、全てが謎を解く鍵なのでしょうね。魅力的な人になるべく精進ですね。

2006/4/27(木) 午前 11:06 プチ・アポロ

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パズル・ゲームの要素は強いですね。しかし、人生も組み合わせの中で 営まれているわけであり、選択性も状況に左右され、限られているわけです。その二者選択性から一時逃れ、別の選択性・組み合わせを考え、提示 してみるという行為が必要とおもわれたんじゃないでしょうか

2006/4/28(金) 午前 2:59 もヴぃ

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私は哲学関係の書籍をあまり読んでいません。唯一読んで感銘を受けたのは、デカルトの「われ思う、ゆえにわれ在り」と言う言葉です.よき思考、悪しき思考が、その人の存在の価値を決定するのだと、自己流に解釈しています。

2006/4/28(金) 午後 1:59 [ kaz*_51** ]

Kazuさん、コギト・エルゴ・スムというラテン語。当たり前なのに驚きと再確認ですね。代数の生みの親であるデカルトの演繹法や解釈は大陸の合理論として近代フランス哲学の礎を築いています。論理的な解釈が今は数学的な記号論になっているのも近世よりです。

2006/4/28(金) 午後 3:09 プチ・アポロ


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