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私が現在勤務する高校で、保育系にすすむ生徒がいるのですが、学校でそのためのピアノをみてほしいとの希望があり、今年の9月から昼休みをつかって週に何度かみています。このことは以前にもわがブログでお話したことがあったと思いますが、11月になり入試が近づいてきて、彼女(生徒)ももうほとんどOKという具合で、本当にあともう少し!!という感じです。
そんな今日、別の生徒が昼休みにピアノを弾きに音楽室へ来ました。その子もどうやら上記の彼女と同じ学校を受験する予定らしく、ピアノを練習しに来たというのです。私が9月からみている彼女がそのあとに来る予定だったので、“それまでなら大丈夫だよ☆”といい、ピアノを貸してあげました。
練習に来た彼女は、どこかのピアノ教室に通って習っているので、指導はしてもらっているそうなのですが、課題曲になっているバイエルの中のある一曲のある部分がうまくいかないというので、聴かせてもらいました。すると、一応弾けてはいるのですが、楽譜の音の一通りをただ弾いているだけで、音楽的なことはまったく行なっていませんでした。楽譜に書かれた強弱記号(fやp。cresc.やdecresc.等)もそうですし、Adagioやlegato、dolceといったとても大切な言葉にまったく眼中になく弾いていたのです。
私がそれぞれの楽語を本人にきいてみると、“初めてそれについてを触れられた”という様子で、通っているピアノ教室の先生からは、これまでまったく触れられることも&言われることもなかったというのです。本人は、“なんで自分の先生は何も言ってくれなかったのだろう・・・。”という様子で、「そんなこと初めて言われた・・・。ただ弾けば良いと思っていた・・・・・・。」と言っていました。
―ー―ピアノの先生の中には、“保育系だから”とか、“ピアノ専門に進む子ではないから・・・”というふうに考えて、そういう人たちに対しては、ただ音を追いかけて弾けばよい★っというやり方をなさっている人が、いらっしゃるようです。そういう先生が、一体どのくらいいらっしゃるのか私にはわかりませんが、“掘り下げようと思ったらもっともっと言うことはあるのだけど・・・”ということはあるにしても、やはりやることはきちんとしていないと、教わった本人にとって気の毒です。
私が学校でピアノを教えている生徒は9月から課題曲に取り組みましたが、私が今日会った子は通っているピアノ教室があるとのことだったので、もしかしたらこれまでずっとそこで切れ目なくレッスンを受けているのかもしれません。しかし、楽語には一切触れられることはなく、本当にただ弾かせているだけ・・・・・。私はもちろん学校でレッスンしているので、ボランティアですが、それは当然ですし、私自身レッスンをすることができて、私はとてもとても嬉しくて仕方がないのです!!!☆☆(^0^)/
しかしボランティアではありますが、やることはきちんとやっています。大変失礼ながら、今日私が会った彼女(生徒)は、お金を払って教室に通って指導を受けているにも関わらず、ただ弾かせているだけのレッスンとは・・・・・・・・。とても気の毒に思いました。なんということでしょう!!!!!
ーーー私は、“受かりさえすれば、弾いているピアノがどういうふうでも良い★”ということでは決してないと思います。受験でピアノ実技が必要だとしたら、それは彼女らが今後その学校に合格して、専門的な学ぶための学校に入り、いずれ現場にたつときのために必要なピアノを勉強する。そのための第一歩だと思います。そのための受験ですし、そのための実技試験だと思います。
たとえ、単に音をたどっているだけのピアノで合格できたとしても、私はそれでよいとはまったく思いません。結果的に進んでいくなかで、受験にも使っているのであって、受験のためにピアノをやっているわけではありません。
今日私が会った生徒も、そういうこと(楽語を含め、音楽的なこと)を習っているピアノの先生から教えていただいていたら、絶対にやる子だと思うのです。それなのにこのまま試験場に行って、もし周りが音楽的なことを普通に守って弾いていたら、彼女はたちまち萎縮してしまいますし、自信をなくしてしまって、弾くどころではなくなってしまいます。
先生が教えたのにやらないのと、教えてもらっていなくて知らないからやっていないのとでは、まったく違います。自分で考えてできることもたくさんありますが、教えてもらわなければわからないこともたくさんあるものです。
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――――私が現在でも大変にお世話になっているピアノの師匠は、今年の3月で大学を退官されました(定年退職)。そのお祝いパーティが今年7月にあったのですが、そのお祝いのお印として、師匠のご好意もあり、門下生で師匠との思い出や師匠へのメッセージを書き、それを記念誌として本にし、門下生全員にお配りしようということになりました。そしてそれが先日、私の家にも届けられました☆
記念誌を読んでみると、みなさんにとって、師匠の存在がいかに大きいか☆や、師匠への大きな大きな感謝の気持ちが書かれていました。私もみなさんの文章を拝読し、自分にも思い当たることがたくさんあり、涙が出てきそうになりました。
そのなかで門下生の皆さんがおっしゃっているのは、“師匠は、妥協をしらない先生である。大変に厳しいけれども、そのご指導のおかげで今の自分がある。師匠のおかげで、「ピアノを弾く」ということがどういうことなのかを、初めて教えていただいた。ほかにはいない先生。とてもとても厳しかったけど、その分とても感謝している。師匠のようなピアノの先生はほかにはいないので、とてもとても出会えてよかった。”
/“在学中(大学)にレッスンを受けていたときには、本当に大変で厳しくてヒーヒー〜〜という感じだったけれども、そのおかげで色々なことがわかって、何年、何十年経った今、より一層師匠がおっしゃってくださった言葉、教えのひとつ一つが身にしみてわかり、当時ではわからなかったことも、今ようやくわかったこともある。本当に師匠のレッスンを受けてよかった。ピアノ以外でも師匠には色々なことを教えていただき、おかげでピアノ以外のことでも師匠の教えは大いに役に立っている”
―――というのが、その内容です。
このようにみなさん異口同音におっしゃっていて、私にも数え切れないほど思い当たるふしがあり、私も師匠のおかげで今があると本当に本当に思っています。師匠に出会えていなかったら、私はもっともっともっとタイヘンなことになっていたと本当に思います。
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私がこの記念誌を読んで思ったことは、甘やかした“易しい(優しい?)”よりも、ちゃんとした“厳しさ”があるほうが、本人にとって一番良い☆☆という事です。たとえそのときにはわからなくても、厳しく、妥協をせずに指導していただいたおかげで、指導を受けた人たちはあとになってからでも、その大切さがわかる☆☆☆ といういう気がします。“なんとなく”のソコソコで、きちんとしたことをやっていないと、教わる側はそれを「ピアノである」と思っていってしまいます。知らないのですからなんとも気の毒で、よほどのことが無い限りはきっとそのまま一生を終えていってしまうでしょう。
私も師匠と出会う前のピアノ人生を考えると、別の意味で本当に大変で、あとから何度も何度も、私がずっと受けていたピアノ教育が“日本流”であったことはもちろん、本当に色々な苦い思い、辛い思いをたくさんしました。日本でピアノを勉強している限りは、99.99%の先生が“日本流”でいらっしゃいますし、私のように素晴らしい師匠と出会える生徒さんは、本当にごくごく一部だと思います。私がピアノを始めてから十年以上もの間、受けたピアノ教育がまさしくよろしくない“日本流”であったことは仕方のないこと、無理もないことだと思いますが、やっぱり欲を申し上げるならば、もっともっともっともっともっと早くに今の師匠に出会いたかったと思います。しかし、それは言っても仕方のないことです。
今の師匠に出会えたこと、大好きな師匠にピアノを教えていただけたこと、ピアノ以外のこともたくさんたくさん教えていただけたことを、今より一層心から幸せに思って、感謝しています。そして師匠から教えていただいた、“ただしい”ピアノ教育をぜひしていきたいとより一層思います。
私が9月からピアノをみている上記の生徒は、ほかの受験生のことを良い意味で気にしていません(=つまり、きちんと自分のやるべきことに目を向けている。ほかの人がどうこうではなく、きちんと自分が自分なりにベストを尽くそう☆☆という気持ちでいる)。ですが、今日私が会った生徒は、周りの人のことをすごく気にしていました。
私はその彼女の普段通う教室でのレッスンの様子をみたわけではないのでわかりませんが、もしかしたらきちんとしたことをしていないから弱いのか、自信がないのか・・・・・わかりませんが、その彼女にも私は大にがんばってもらいたいものです。二人ともの合格を祈ります☆☆☆Fight!!(^0^)
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