ayakoピアノ教室開講中!!

群馬県邑楽町にて開講しております。普通にまともに習いたい4歳頃〜130歳までの方、心よりお待ちしております♪

子どもたちのお話(教育など)

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 最近私が気になっている事の一つに、「自分の子供さんを、”自分のもの”だと思っている親御さんが多い」ということです。親御さんとしては、目に入れても痛くない☆かわいい☆かわいいお子さんだということはよくわかるのですが、その気持ちが思わぬ方向へいってしまっているのです。私の身近には見かけませんが、なにやら色々な場面で出くわします。

 ”自分の所有物”っと勘違いしてしまっている親御さんの多くは、自分のお子さんがする習い事を、お子さんではなく親御さんご自身の希望だけで決められています。お子さんがそれをやりたいかどうかはどこかへいってしまって、”自分の子供にはこれをやっていてほしい”という希望だけで行なっているように思います。

 また、習い事の数が多すぎるのも問題です。習い事は通いさえすれば、その子に全部身について本人の為になると思ったら大間違いです!!! お子さん自身が(逃げの意味ではなく→)、”これはちょっと自分には違うかな・・・好きではないなぁ・・・・”と思っている場合も多くあります。
 人には向き不向きはあります。お子さん自身が色々なものを感じていても、”やめたい★”とは親になかなか言えないものです。だって、親の血眼になっている様子をお子さんは知っているからです。やめたいなどと言ったら怒られるし、”何言ってるのよ!!!”といわれるのが関の山。子どもだからといって、何も考えていないわけではなく、どんなに小さくても(=幼くても)色々なことをたくさん感じ取っているし、わかっているものです。。。
 
 

 また、ピアノに関しても、”この子は趣味で専門家になるわけではないから・・・”などとおっしゃる親御さんもいらっしゃいますが、その子にとってピアノが趣味になるか専門となるかは、親御さんが決めることではありません。どうなっていくか?は、やってみての結果です。ピアノ以上にもっと好きなものが出てくるかもしれませんし、はたまたピアノが結果的に向かなかったというふうになるかも知れませんし、専門に進むことになるかもしれません。いずれにしても、どの道に進んでいくかはやっていくうちに自然になっていく結果であって、ピアノを習う☆という点ではやることはみんな同じです。趣味だから簡単になるわけでも、専門だから難しくなるわけではありません。


 親御さんがすごく力を入れていて、”とにかくこの子は専門に進むから・・・”といって血眼になって家でも手をいれまくっている親御さんもいらっしゃいますが、お子さん自身が自分の気持ちで”専門に進みたい!!”と思っているのなら良いのですが、親御さんだけがそう思っている・・・という方々も見かけます(私のところにはそういう方はいらっしゃいませんが・・・)。
 
 親御さんがやる気満々でも、お子さんは全然そうは思っていない・・・・・ということはよくあることです。でも親御さんは盲目になってしまっていますので、自分のお子さんがどういう気持ちか?はまったくみえていません。。その手がかりになる兆候はたくさんあるのに、親御さんの目には映っていません。たとえば、お子さんに全然練習する気がないとか、弾くよう言っても一向に弾こうとしないとか・・・。

 

 ーー有名子役を子に持つ親御さんは、絶対に血眼になっていません。「”習い事のひとつ”程度の軽い気持ちで劇団に入ってみたら、いつの間にかこうなった☆」という結果のような気がします。これはピアノにおいても同じで、親御さんが血眼になったからといってお子さんが実際に専門に進むわけではありませんし、その逆も同じです。

 親御さんが趣味の気持ちで習わせ、結果的に本当にお子さんにとってその通り”趣味”となる場合もたくさんありますし、単に”習わせよう”という軽い気持ちで始めたら、結果的に専門に進んだという場合もあります。専門のつもりで本当に専門に進んだという場合もあるとは思いますが、血眼になっている親御さんのお子さんの中には、実は本人はまったくその気は無いという場合も多いと思います。


 結果的に専門の道に進んだ私ですが、私の母や私の現在の師匠のお母様も、”うちの子をなんとか専門に進ませよう”などという気はまったく無く、どちらも音楽一家でもありません。
 私の師匠のお母様は、「いつかこの子にとって本当に好きなものが出てきたときに、物事を本気で一生懸命にやる☆ということや集中力☆を身につけられたら・・・」というお気持ちだったそうで、その本人にとっての”好きなもの”が、結果的にピアノでなくても全然よかったそうです。


 子役さんのお話に戻りますが、親子共々が血眼になってあれやこれやとやっている親子に限って、どこからもお声がかからないというのはよくあることです。一生懸命にやる☆という点では、血眼もよいのかもしれませんが、傍からみると何かギスギスした感じにみえますし、無理しているようにもみえます。子供が子供らしくないというのでしょうか・・親も子も双方でそのことにまったく気が付いていないのですから仕方がありませんが・・・・・。たとえそういう方の近くにそのことに気がついて下さっている方がいても、よそ様のお家のことですので、なかなか口に出してまで指摘してくださる方は少ないものです。




 〜〜それからもう一つ。

 ”レッスンで多くのことを先生から言われると、レッスンに行った気がする。言われることが少ないと、レッスンに行った気がしない・・”−−−と思っていらっしゃる方、いませんか?

 レッスンで言われることが山ほどあるということは、それだけ”できていない”ということです。手取り足取りのレッスンと家での親御さんからの手取り足取り★をやっているようでは、お子さん自身の力にはなっていきませんし、何か本末転倒という気がしてしまいます。。。。

 わがブログの前回の記事で、「同じ話を聞いても、人によって受け取り方が違う☆ということは当然のことで、当たり前に普通にあることなのだから、自分とまったく同じように相手も感じていると思い込んではいけない☆☆☆」というお話をいたしました。
 今回は、もうひとつそれに加えて私が感じていることを書かせてもらいます。


 勉強でもピアノを含め、何事においても”伸びる人☆”というのは、やはりそれなりの共通点があるように思います。それから、本当はもっと伸びる人なのに自身でとめてしまっている人というのも見かけます。私はそういうとき、とてももったいないし、残念に思うのですが、それらを含めたのが今回のお話です。

 
 何か為になる話を聞いても、それを”他人事で自分には関係のないこと★”と思うか、それとも”そうか!”と思って自分に取り入れるかどうか?☆ということが、長い人生において、大変に大きくその人の一生を左右すると私は思います。
 テレビや本、または周囲の人など・・・私たちは色々な場面で”いいお話”に触れることがあります。でも、同じお話をきいても受け取り方は様々です。もちろん、色々な受け取り方があって良いのですが、時々”もったいないなぁ〜〜”と思うことがあるのも事実です。

 
 過去の記事の中で私は、何かものを習うときに一番大切なことは「素直さ」と「謙虚さ」を持つことだ☆☆と書いたことがありましたが、この「素直さ」というものがまさに成長のための”良い受け取り方”につながると思います。

 
 何か自分の為になるような話をきいたとき、素直に”そうか!!自分でもやってみよう☆取り入れてみとよう!!”と思う人は、好奇心旺盛で、貪欲ですし、伸びていける要素をたくさん持っていると思います。反対に、伸びていく要素はたくさんもっているのに、為になるような話に出くわしても、どこか他人事で自分とは関係のないどこか別の世界の人たちの話★という具合に受け取ってしまう人もいます。
 そういう人の多くは、伸びる要素はたくさんもっていながら、自身でそれをできなくしてしまっているように思います。とてももったいないことだと思います。。 
 


 
 私は現在県内の高校にて音楽の非常勤講師をさせていただいておりますが、私は時々授業の中の可能な範囲で、音楽という教科を越えて、何か生徒のためになるようなーーー将来を考える際の参考になるようなビデオなどを見せる機会を作っております。

 生徒にはその都度感想を書かせておりますが、皆それぞれに色々なものを感じ取ってくれ、鑑賞しているときの雰囲気や生徒の様子等も踏まえ、”よかったよかった☆☆(^−^)”と思うことが大半です。しかしごくまれに、上記のような”もったいない”受け取り方をみることあります。


 おそらく、なにか自分に自信がないというか、自身を過小評価してしまっているのかな・・・と思います。そういうとき、私はすごくもったいないなぁ・・・と思います。自身が思うよりももっとその子は色々な面で伸びていける子だと思うのですが、自身ではあまりそう思ってはいないようなのです。

 たしかに、自分の自分自身への評価というのは難しいものではありますが、すごくもったいないなぁ・・・自分でできなくしてしまっているだけなのになぁ・・・・・本当はもっとやれる子なのにな〜〜・・・と思うことがあります。




 私がこれまで数年の学校での仕事を通じて発見したことは、やはり伸びていく人、できていく人というのは”できる”やり方☆をしていますし、イマイチ伸びない人というのは、自身で”伸びない”やり方をしてしまっています。
 どちらのタイプの人も、もともと持っている能力はそれほど差はないと思いますが、自身でそうしてしまっているのです。
 

 伸びていく人、できていく人というのは、やはり一生懸命ですし、貪欲で素直に何でも良いときいたことは取り入れていきますし、自身で試行錯誤して努力しています。
 一方で、”もう一歩!!”という人は、一生懸命ではあっても、効率のわるいやり方をしていたり、方法としてイマイチの方法をとっていたり、または単に一生懸命さに欠けていたり・・・・。


 もちろん、伸びていく人も時にはあまりよろしくないやり方をしてしまっていることもあるでしょうが、いろいやっていく中でわるいところは直して、より良い方法を見つけ出しているように思います。
 反対に、”もう一歩!!”という人は、そのよろしくないやり方をよろしくないと気が付かないで、そのままをずぅぅぅっとやっているという場合もあると思います。


 
 私のピアノの師匠が言ってくださった言葉の中に、

『どこがわるいのか?の判断が正しくて、なおかつそれを直すためのやり方が正しくて、さらにそれが十分にやり足りたのに、”まだできない”ということは、ありえない』

というものがあります。

 どこが悪いのか?という判断がまちがっていたら、それを直すための良いやり方にたどり着けないですし、判断が正しくても、良いやり方でなければ回数を多く行なっても、直りません。また、判断も正しくて、それを直すためのやり方も正しくても、十分にやり足りていなければ、”できた”には至りません。3つのどれが欠けても、”できる”には至りませんが、3つをうまくやれるようになるよう、自身で試行錯誤してみる必要があるかも知れません。 
 


 ーーーだれでも発展途上。”もうこれで完成!!!”ということはありません。調子の良いときがあったり、スランプになってしまうことがあったり・・・色々な「時」がありますが、大事な”今!!このとき!!!”というときに、踏ん張れる人、がんばれる人が、やはり、伸びていく人なのではないでしょうか。。 


 私も、がんばろう〜〜〜!!!!!☆☆☆(^^;♪♪♪  m(__)m m(__)m

 「勉強」という言葉を聞くと、大抵の人は”あまり好きでない”という印象を持つのではないかと思います。同じ勉強でも、例えば大人になってから☆っとかで、何か自分で”これを勉強したい!!”と思って勉強するのでない限り、多くの場合”仕方なくやっている”っということが多いのではないかと思います。
 私も中学生や高校生のときは、”なんでこんなことをやるのだろう〜〜〜”などと思ったこともありますが、その後成長し大人になって色々なものに触れると、”あのときに習ったあれが役に立つのにな・・・・”などと色々な場面で思うことがあります。


 例えば、私は歴史ーーー日本史・世界史がすきでなく、特に世界史は出てくるカタカナの名前の人たちが、私には皆同じにみえてしまって、とにかくやる気がありませんでした。日本史もなんだかよくわからないっという感じで、要するには興味がなかったのだと思います。Sorry!!
 
 しかし自分の専門分野である「音楽」の歴史はすごく好きで、むしろ”知りたい!!!”っというぐらいだったのですが、大学で西洋音楽史を習ったとき世界史の領域が登場し、”あ〜〜〜〜〜”と思いました。苦手は苦手でも、もう少しまともに覚えておけばよかったなぁ・・(^^;っと思ったりしました。今となっては日本の歴史もいやでなく、子どものころより冷静に落ち着いて学べるような気がします。そのうちに機会があれば、ちょっとやってみたいような気もしています。

 
 私は国語は好きな教科のひとつでしたが、大学で歌舞伎や能・狂言等々の日本音楽についてを習ったのですが、そのときは実際のものを抜粋でしか観ることができず、まともに歌舞伎や狂言などなどを観に行ったことがありませんでした。なので昨年私は歌舞伎を観に行きました。公演名は「社会人のための歌舞伎鑑賞教室」という、なんという私向きなのだろう!!!☆っと思ってしまう公演でした。その名の通り、ただ歌舞伎を公演するのではなく歌舞伎の基本的なことーーー舞台装置等々についても説明してくださり、本当に行ってよかった☆☆☆っと思える内容でした。プログラムというか別に冊子も配られ、そこには公演なさる役者さんのプロフィールはもちろん、歌舞伎に関する色々な単語の説明や公演の台本も載っていて、講演をみながらセリフを確認できたりしました。

 このとき私は、台本をみることができてとても嬉しかったのですが、内容はわかるにしてもセリフの言葉が古語ですし、すごくゆっくりとかなりの抑揚をつけながらのなので、ちょっと大変でした。古語そのものの意味も時々、(?)と思ってしまうこともあり、自分の勉強不足をとても感じました。




 勉強しているそのときにはよくわからなくても、あとになって色々なこととそれらがつながっていることに気がついたりします。また、勉強はなぜするかというと、色々な教科を通して、色々なものの考え方、見方を身につけるのだと思います。教科はあくまでも手段であって、最終の目標ではない気がします。人によってもどれが得意・不得意かは異なりますので、色々な教科を皆勉強することになります。

 また、テストや色々な苦しいこともありますが、こういう色々なことを乗り越えられないと、のちに仕事をするようになったときに、色々なことに工夫したり耐えていくことができないのではないかと思います。勉強を通して、工夫の仕方とか頑張り方などを学べるのではないかと思います。

 子どもは子どもなりに、学生も学生なりに、それぞれ色々大変ではあります。決して”子どもや学生は楽だ”とは私は思いませんが、大変でも子ども時代、学生時代は色々な意味での「基礎」の時間だから、がんばって☆☆(^-^)/ っと私は申しあげたいです。


 すべての皆さんへ GOOD LUCK〜〜☆☆!!! (^0^)

 先日あるニュース番組で、赤ちゃんが自分の気持ちや伝えたいことを表すためのジェスチャー「ベビーサイン」というものを教えてくれる教室を紹介していました。私は”そういうものがあるんだぁ〜〜”と思い、そのテレビを見ていたのですが、なんとも赤ちゃんが上手くそのジェスチャーを使っているではありませんか!!!まだあまり言葉を理解できてない年齢にも関わらず、「痛いときは、こう」とか「○○したいときは、こう」という具合に、その教室で教えてもらったことを、赤ちゃんは上手く使いこなしていました。

 その番組の中で、この「ベビーサイン」を習った親子が出演なさっていて、その赤ちゃんもお母さんも私にはとても穏やかな顔をなさっているように見えました。そのお母さん曰く、”以前、見た目には普通に遊んでいるのだけど、耳が痛いというサインをしていたので、念のため病院に連れて行ったら、耳に異常が見つかった☆ 赤ちゃん自身の気持ちやしてほしいことを本人がサインをつかって表してくれるので、すごく役に立っている”とおっしゃっていました。
 
 つまり、2歳に満たない赤ちゃんでも、見た目にはわかりにくいだけで、本人なりには色々と思っていることや感じていることがある☆☆っということなのかなぁ〜〜と、私は思いました。言葉があまり(ほとんど?)使えないだけで、思っている事柄はある☆☆。。
 2歳に満たないくらいでもそうなのですから、3歳や4歳・・・・という具合に成長していけばいくほど、そういう面でも発達していくのだろうな〜〜と思いました。



 私は結婚をしていませんし、もちろん子どももいませんので、よくわからない部分もありますが、このベビーサインのこともそうですし、すごくちいさくても本人なりには思っていることや感じていることがある☆☆☆っということは、彼らがもっと大きくなったときに直面するかもしれない「習い事」においても、とても慎重にしなければならないのではないか・・・??っと思ったのです。

 っというのも、私は時々ヤフーさん以外のブログも拝見させていただいているのですが、その中でも「ピアノを習う」ということに人それぞれ様々な思いがあることが、たくさんの方のブログを通じてよくわかります。
 例えば、”昔習っていたけど、今は全然弾けないので、大人になった今また習いたい”っという方や”自分はやりたくなかったのに、親に無理やりピアノを習わされた・・”とか。また最も多いのは、”ウチの子どもにピアノを習わせたい(習いたいって言ってもらいたい”という記事です。
 
 
 私自身は、テレビドラマを見て自分でやりたいと思い、両親にお願いしましたが、習い始めてからも親に専門に進むよう言われたり、練習するよう口うるさく言われたことは一度もありません。また、ピアノ以外にも習字やそろばんなど習いましたが、それらも強制されたりはなく、”こういうのがあるけど、どう?”くらいの感じで、勧められて自分でも”それなら行ってみようか☆”という感じで通った記憶があります。 


 私がつい最近拝見したあるブログで、こんな記事がありました。

それは、あるお母さんのブログで、娘さん(2人)と息子さん(1人)がいらっしゃいます。そのお母さん自身(=ブログ者)は、自分のお母さんからあれやこれやと、今から思えばほとんど一方的に進めれるままにそれをやってきたそうなのですが、自分がそうされて育ったため、娘さんにもそうしたほうが良いのかなと思い、そうなさったそうです。ですが、上の娘さんにそのようにしたところ、最初は喜んでやってくれたそうですが、結果的にはすごく嫌がられてむしろ嫌いになってしまい、それ以後は強制することもなく、本人のやりたいように任せたそうで、そうしてからのほうが結果的にはすごく上手くいったそうです。
 下の娘さんには、上の娘さんとの経験もあったので、逆に強制するようなことは一切せず、本人の思うように任せたそうで、本人がやりたいっと言って始めたピアノも実に伸び伸びと楽しそうに取り組んだそうです。
 そうして次の4歳の息子さんがある日、幼いながらも英語の数字などを言っていたので、それならばと思い、”英語習ってみる?”と勧めてみたのだそうです。すると、「そんなこと言って、自分が習わせたいだけでしょう。わかってるんだよ。僕は自分のことをよく考えて決めるんだよ。」と言ったそうです。
 確かに、息子さんに勧めたことはお母さん自身の希望であって、まさに図星★★★ そのお母様は、自分は親だから、自分が何か子どもに教えなきゃ!!!っという気持ちでいっぱいだったので、血眼になっていたそうですが、このことから、息子さんにすごく色々なことを教えてもらったとおっしゃっていました。


 今や習い事の種類はたくさんあって、選ぶのも大変かもしれませんが、よかれと思って勧めてもあきらかに本人はその気でないのに、お母さんだけが乗り気・・・のような状況、正直申し上げて、よく見かけます。明らかにお子さんがやりたいのではなく、お母さん自身の希望。。。でも、ご本人は認めたくないのかもしれません。わからないけど・・。。。



 習い事は、それをやる本人がどうか??っということが最も大事な気がします。親の見栄のために習わされてしまったら、時間の差はあるにしても、お子さんにもいつかそのことは理解されますし、かえってその子にとってイヤで苦い思い出にしかならない場合もたくさんあります。人には向き不向きもありますし、一方で本人がやりたいと思うもの言われるままに習わせる人もいらっしゃいますが、子どもというのは自分のキャパシティをまったく理解していないまま、気持ちや気分のままに言いますので、親御さんがよく見極めるしかありません。

 
 芸事に限らず、「習い事」というのは、数が多ければ多いほど素晴らしいということは絶対にありません。数が多いだけで、何も身につかなかった★ということもたくさんあります。数ばかりを追っても、習いに行っているからといって、それがきちんと本人の為になっているか?身についているか?というと、それはまた別問題だと思います。むしろあまりにも思いつくままに習ってしまっても、1つの物事を取り組むだけでも大変なのに、いくつも習いすぎてしまうと結局は、?????ということになってしまいます。
 私が昨年勤務していた小学校でも、習い事が多い子どもは日々の忙しさに追われていて、やるべきことがなされていないことが多かったような気がします。つまり、数が多すぎてこなすだけの時間が足りないっということです。かしこくきちっとしている子ほど、習い事は1つとか2つとかであった気がします。
本人なりにじっくりとその習い事に取り組めているのが、日々の日記や顔つきをみてもよくわかりました。


 独身の私には、よくわからない部分もありますが、色々な子どもたちなどをみていて、あまりにも習い事に忙殺される日々を送る子どもは、あるとき切れてしまうのではないかと心配してしまう私であります。。。

 あくまでも私個人の意見です。あしからず・・・・。m(__)m

 ”言われたその時にはよくわからなかったけど、後になってそのありがたみがわかった”という経験。みなさんきっと、おありですよね?おそらく100人の人がいれば、100人近くの人たちにそういう経験のあるのではないかと私は思います。もちろん私にもあります(^^) 
 これらは具体的には、家や学校、また習い事などであることが多いのではないかと思います。

 
 大人でもそうですし、子どもの場合は特に、程度の差こそあれ、言われたそのときは、渦中にいるのでなかなか客観的にはみられなかったりします。また、すぐには真正面からは受け止められないこともあるでしょう。

 これは学校や仕事など、いろいろな場面で共通して言えることではないかと思うのですが、褒められたりするばかりでなく、きびしさもありながら、きちんとした指導を受けた場合、それはその人にとって、とても為になります。そのときに得たことが、あとになってもずっと役に立ったりします。
 逆に、特に何も叱られることもなく、ただふにゃふにゃとやっているだけの場合、そのときには”怒られなくて、平和で、なんてこの指導者は自分にとっていいのだろう〜”なんて思うかもしれません。でも、時間が経って振り返ってみると、そこでプラスアルファとして得られたことはほとんどなく、”自分はこういうところが成長したぞ!”というところが???っとなってしまい、せっかくやったのに、アレ・・??っとなってしまったりします。



 なんでもOKにしてしまって、大変でもその人が現在よりも成長できる機会を与えない場合、教わった側からは大して感謝されることもなく、後からあまり思い出してもらえることもないような気がします。また、きびしくてもきちんと指導してもらえていると、その指導者がどれほど自分のことを想っていて指導してくれていたかを、時間差はあったとしてもきちんと伝わるものだと思います。



 ーーー何の指導者でも同じだと思いますが、教える側というのは別に、教わる側に好かれることを目的にして教えているわけではありません。好いてくれるならそれは嬉しく、ありがたいことですし、好かれようと思って変に甘くしてしまっては、本末転倒なのです。
 ただ、お互い人間ですから”相性”というものも当然あります。でもそれはどちらがわるいわけでもなく、それはイタシカタナイことなのです。ですが、単純に”厳しいから”という理由で嫌いに思われるのであれば、それはご自由に。っという感じでしょうか。嫌いになられないように・・っと、教わる側の都合の良いようにしてしまっては、相手のためにはなりません。大体、”教わる側の都合の良いこと”というのは、多くの場合”ラクなこと”なのですから・・・。
 たとえそのときには大変でも、必要なことならそこを通って(とおって)もらわなければ、本当にはその人のためにはなりません。


 たとえ嫌われしまったとしても、それでもよいから、その人にとって本当に良い道に誘導し、通ってもらえれば、それはその後のその人にとっての「ふつう」になっていくと思います。
 中途半端に、何が身についたかもよくわからないようなふにゃふにゃしたやり方をしてしまうと、後になってそれがその人にとって、大きな穴となってしまいます。習ったりしたそのときは”いいぞ、いいぞ”なんて思っていたけど、後になってみたら全然だめだった・・・という経験がある方は、きっとたくさんいらっしゃることと思います。私もピアノにおいて、「日本式」で習ったあとに専門に進みましたのでとても苦労しました。



 結局は、同じなのだと私は思います。きびしさがあっても、きちんとしたことをやっていれば、あとがラクになりますし、ふにゃふにゃなやり方をしてしまうと、あとで大変に大変に苦労することになってしまったりします。

 
 色々な場面で、どんな方法をとるかは人それぞれですが、人生何がどんな形で役に立つかはわかりません。せっかくやるなら、わざわざふにゃ式を取らなくても、いいのに・・・・っと思ってしまう私です。私もピアノではそのあたりはとても苦労しましたので、本当によくわかります。遠回りをしたからこそ、そのことの重要性がより強く、深くわかる☆ということも一理あるのですが、でもそれを直す労力は本当にかなりのものです。

 まぁ、みなさんもがんばりましょう〜〜〜☆☆☆(^^)m(__)m

 

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