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僕がかってに思っているのですが主にあっての兄、又、父親だと感じる人がいます。ある意味師だと思います。それは、母教会の伝道師です。僕は、中3の時兄に連れられ教会に導かれました。その時から彼は僕の事を助けて下さり、神様は聖書ではと語ってくださっています。昨日も近況報告をかねて電話をしました。そして、聞かれました。『君はいまだに献身の思いがあるのか、与えられた御言葉はあるのか、神学校には行きたいと思っているのか。』と。もちろん僕には献身の思いもあるし、御言葉もあたえれたし、神学校に行きたいですと答えました。そうすると、『神学校に行っても真理が分かるわけではない、教団の牧師になるのなら別だけどね。神学校を出たといったおごりが出るかも知れない。』決して神学校を否定しているわけではありません。しかし、神様は神学校を出たからといって用いてくれるとは限りません。そして、言われました。『もっと大事な事がある。それは神様に対して祈る事だ。イザヤはわたしはここにいますと言った。』神様は強制的に用いる方ではありません。神様は人の心に用いられたいと言う思いがないとさせません。それにもう一つの事を言われました。『今の日本はあの頃のイスラエルと同じで堕落している。この日本のために用いてくださいと祈っている。』人々が神様に立ち返る事を本当に望んでいるんだなと感じました。僕は思いました。神学校を出ていなくても主のために働く事が出きるんだなと思いました。母教会の先生は神学校を出ていません。昔、神学校に行きたいと考え祈っている中で神様が『神学校に行かなくても良い。私が訓練する。』と言われたそうです。母教会は信徒が集まって出来た教会で牧師も伝道師もいなかったのです。教会はそれを認め、今にいたるわけであります。彼は神学校に行っていなくても聖書の知識はすごいです。神様に教えられたのでしょう。 そして、午後教会に行き掃除と礼拝の準備そして、礼拝の賛美の楽譜を準備し練習が終わった後今の教会の牧師に話をしました。『神学校はお金もかかるし、それが良いわけではありません。いろんな学びをしすぎてもだめです。べテル聖書研究の学びをしましょう。旧約、新約の学びが」終わってないから。』と言われました。その学びを通しても聖書の学びは出来ます。訓練も必要でしょう。だから、牧師先生に言いました。『僕には恐れがあります。どうしたら良いのか分からない。』でもとりあえずやってみようとトラクト配布から。昨日早速始めました。今出来る事から始めようと思います。 |

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