|
ときどき、
壮大なみことばを聞くと、 あまりにも個人事情に振り回されて生きてるものだから、相対基準が全く結べなかったり、 自分とは関係なさげ、、、と漠然と感じてしまったり、 逆にキレたり、(不満が溜まってる時) 分かったつもりだけで、自分の都合よく解釈しているだけだったり、(ま、何ごとも理解の度合いは浅い方から深い方へと移り変わっていくもの) あたま素通りしたり、(雑念多いと、こうなりがち、、、) コミュニケーション=授受作用 主体の伝えたいことを対象が必ずしも、100%理解するわけではありませんよね。 というか、ほとんど、正しくは伝わってない、と言った方がいいかもしれませんね。ぶっちゃけ。 、、、おっと、お久しぶりなのにご挨拶が遅れました。カパヤパアンでございます。今も変わらずフィリピンの灼熱地獄で、元気に生きております。物はないわ、不便だわ、暑いわ、小さなことにいそがしいわ、で物事はスムーズに順調には進みませんけれども、意外と楽しく過ごしているのは、コカパヤパアンがいるから、かもしれません。神様がそうであるように人間も、愛する対象が必要なのです、ね。 そんなこんなの、今日このごろ 授受作用、という言葉がやたら カパヤパアンの頭の中をちらつきます。 これがまた、めっちゃ奥深い。 天国生活は、この授受作用(コミュニケーション)を神様が創造された世界の原理原則通りにやりさえすれば、ただちに今目の前からでも始まる!!というぐらいに、 堕落性・煩悩の惰性でおこなうコミュニケーションは、堕落世界の産物。習慣化して当然と思っているから、この発想を変えるのは、もー40代すぎたらムリ!! って思わなくもないけど、 いやいやいやいや、、、、 大丈夫っ! まぁだまだ! 人生半分しか生きてないから、 これから!これから! と自分を励まして、マラソンならば折り返し地点、 これからが勝負ですよーぉ! 、、、、で、ほんとぉに伝えたいことを正しく伝えたり、聞いたことを正しく受け止めたり、互いに高めあったり、互いに物事を発展させたり、愛し合ったり、 それらはみんな授受作用次第。コミュニケーション次第ってことなんですよね。 あ・うん、の呼吸で、言わなくてもわかる、なんていう美徳も昔はありましたけど、 思ってるだけで、相手がそれを正しく理解してくれるなんて、幻想 ですよね。 伝えない限りは伝わらない。 相手にわかるように伝えなければ、マイナス、誤解、口げんか、決別、、、、 なんてことにもなりかねない、ほど コミュニケーション=授受作用をどういうふうにするか、って とぉーっても大事。 天国と地獄を分かつぐらい、すべては授受作用しだい、じゃないか?と思うぐらいに。 神様との授受作用 親子の授受作用 夫婦の授受作用 兄弟姉妹の授受作用 社会に出たらあらゆる人との授受作用をして、それによって人生はどんなふうにでも、なる。 授受作用の原則通りに、自分以外の人を自分以上に愛する人になるかどうか 為に生きる人になるかどうか 与えても忘れ、また与える人は、 受けたことしか憶えてないから、 ほんとに幸せ感いっぱいな人になる。 そういう人は、ホンモノの、 ために生きる人生を送るひとになる。 (義務感使命感で、やってこれた時代はもう終わる) ニセモノは消え去る。(遅かれ早かれ、、、と付け加えておきましょう) もう救いの摂理、ご父母様はその責任を完了された!のですから。時代は変わる、動く、進む、、、、。 と、カパヤパアンは最近考えております。久しぶりのブログ更新で、近況報告!でした。 |
全体表示
[ リスト ]




