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カパヤパアンはね、
もともと父親似なのか、無口 なんです。 このことは、わたる世間にゃ鬼ばかり の、世間でも教会内でも 損にこそなれ、得!ということはまず ない、ですよね。 でもね、 カパヤパアンは、 ホントは もっと 今以上に 黙っていたい、と天を見上げることがある。 心の中で感じてる繊細なニュアンスは、 語る言葉で表現出来ないだけではなく、 天を仰ぎたくなるほど 口から、勝手に??? 出てくる言葉たちは、 心の中のもの とは、 時には、ぜんぜん反対のことが出てきたり、、、、 なにか、違う、、、ことば なのだ。 なんで? なんでやねん? こりゃ、なにかの冗談? 霊界からのイタズラ? なんでまたこーも、カパヤパアンたち堕落人間ってのは、 心と体が複雑怪奇に 出来上がってしまっているのでしょうね。 本心が願い求める、本然のカパヤパアンの姿! どうして、そんなふうに体は動くことができないのだろう、、、、。 それが、 堕落人間、なのか。 妖怪人間ベムベラベロの気持ち。 |
煩悩 堕落性を脱ぐ
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簡単なことじゃ ありません。
でもがんばる、天国人になるために、、、神様、ご父母様に似るために。
ここには 自分を振り返るための
材料として載せています。
材料として載せています。
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相手と、時と、場合
によるか。。。。
時に、、、
人は、誰かを可能性と希望のかたまりを見るような目で、見たり、
時に、、、
人は、誰かを堕落性と煩悩と罪のかたまりを見るような目で、見たりする。
誰もがそれを、相手と時と場合によって 、人を見る目を取り換える。
私たちの目には、いっぱい何かがくっついている。
ウロコだったり、、、、、 (目からウロコ)
目くそだったり、、、、、 (目糞鼻糞を笑う)
色眼鏡だったり、、、、 (人を色眼鏡で見る)
目の色も変幻自在に変えることもできるし。。。。
目があったりなかったりすることさえ、ある。。。。(人を見る目がある、とか ない、とか)
自らが堕落性と煩悩に満ち満ちた私たちは、目の努力も必要だ。
他人の目とか、(客観的に見る)
親の目とか、(多少は成長した人間の目で見る)
神様の目とか、(真の愛の存在からの目線)、、、で見る訓練。
この神様の目の訓練がうまくいってれば、他人を、堕落性のかたまりと見ることは控えめになるかと、思いきや、、、、
話はそう単純じゃぁないらしい。
目から脳に送る情報が通過する神経が、にぶいと、、、、、
他人の気持ちになって考えることも
できゃしない。
ああぁっ。。。 悲しい性(さが)よね。堕落人間って。妖怪人間もそうだけど。
本人に自覚がないと、ますますドツボだ。。。。
だから、人間社会はややこしい、、、、。
おおっ、今日はまるで悲観主義者のようなカパヤパアン。
Inside out ってアニメ映画見てみたいわね。関係ないけど。
支離滅裂!!
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人間というものは、何かに圧力かけられたり、ストレス感じる生活してたり、自己否定させられて受け入れられなかったり、
というような苦しみの中にいると、 苦し紛れに、 それらからちょっとでも解放されようとして、自分でない何かに 当たりたくなる。(痛めつけたくなる) だいたい、他人を傷つける人間はそのような環境、状態に置かれている、のではないかな。 現実的にはそうでなくても、精神的にそう追い込まれている場合も多いでしょう。 いじめ、、、、 パワハラ、、、 体罰、、、、 傷害事件に殺人事件、、、 戦争、テロ、、、 (ただ単に、他人を傷つけるのが好き、というのは、別の問題だ。) 自分は違う!というかもしれないが、 だれでもその同じ環境に追い込まれたら、おなじことをやらないと、自信を持って言える人がどれだけいるだろうか。 カパヤパアンは、わかりません、というだろう。 そして、、、、 (人の事なぞ言える立場ではないが) はっきり、言ってしまうが、 カナシイカナ、いかに信仰歴が長かろうと、いかにみむねの道に投入して来ていようと、 いかに苦労の道を歩んで来ていようとも、 あれ? 堕落性煩悩を脱げた人には、どうも見えないのである。 (これはしばらく前の実体験なり) で、そう感じた時、その一瞬、「その思いは間違いだから頭からその思いを立ち消そう!」 と思ったのであるが、、、 その思いはますます強くなり、とうとう確信になってしまった。 でも、でも、 やはりそれは、事実だと、そう思いませんか? 確かに中には、堕落性が比較的脱がれてる方もいるのかもしれない。 が、堕落人間がハマる恐ろしい罠、 どんな苦労をしてもどれだけ長いこと苦労しても、 本心から純粋に(純水に) 我を無くしてひたすら、他のために生きる精神をもってやらなかったなら、 アボニムのみことば通りには、なり得ないのである。エゴやプライドやらが純粋であることを妨げてきている。煩悩、、、、。 これは、、、 恐ろしい発見をしてしまった、、、、、。 外見からでは、人のこころの中までは、測ることはできないのである。 ほんとに純粋に犠牲の精神で投入していたら、それを見た二世はほんとにまっすぐ育ったのかもしれない、、、。もしかしたら。 「こういう、、、、苦労の道を間違いなく進んでいるにもかかわらず、祝福を実らせることができないでいる現実(人、家庭、)を見るに付け、、、これは一体なんでなんだ?!」 と悩んでましたよ。ほんと。 そういうところから、信仰に見切りを付ける人がいるのも、わからないではない。 でも、カパヤパアンは、 み言の真髄を行けば 確かに、 与えられた祝福を実らせられるという、事実も見た!から、 カパヤパアンは、神様のとりこ!なんだ。迷いはないの。 祝福とは、与えられたものにとっては、課題であり責任であり、ときに重荷である、けれども それは、言葉通り 祝い事であり、福、なのだ。恵みなのだ。 ん? ん? 標題とは話がずれていますわね?!???? そうそう、、、、 堕落性煩悩を脱がない限り、だれでも他人を傷つけないという保証はない。自分でわかってないだけで、ながーい遠回りなイジメをやってしまっている場合だって、多々有る! 未必の故意、のようなものは、日常茶飯事だと言っても、間違いじゃないだろう。 そして、インターネット上の誹謗中傷がどこにでも見られるのも、面と向かって人に当たることが出来ない人が、その矛先を、顔を見る必要のない相手に替えて、自分の苦しみをぶつけまくるごとくに、他人を傷付けているのだろう。 他人が 傷ついてるのを見ることで、堕落人間は、自分の痛みがすこし、解消される、、、 という 難儀な存在だよ。 堕落人間は、、、 まことに神様と生きるようになること以外に、 この!堕落性煩悩と切れて生きることなんザ、できっこないと、 思いますよ。カパヤパアンは。 |
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ねぇ、どうしてなの? 教えて!!
純粋な素直な女の子の 超切れ味のいい 質問。 そんな高度な問題は、簡単に一言で答えることできないよ、 (実際そうですが) 聖書をたくさん勉強しなさい、 そうお答えになったのかしら? (この出来事、法王フランシスのフィリピン訪問中にあった出来事として、人から又聞きしたもので、詳しく知らず、失礼) 子供から見ると、みんな大人はズルイもので、 一言で答えられないのも、事実だけど、 なんとなく言葉を濁して、適当に受け流す。 時間もないことだし、 ってのが予想されますね。 それでは、再度 質問。 どうして神様がいるのに人間の苦しみは無くならないの? 神様が、人間に手を差し伸べることのできない事情、、、、 (いやこれは、ほんとに一言では説明できないモノではありますね) でもどうしても一言で言わないといけないとしたら、 それは、人間に責任分担というものがあるからよ。と言うべきかと、思います。 カパヤパアンは、、、、 実はこの人間の責任分担というものがわからなくて、信仰生活を始めてから3年間、同じお祈りを繰り返していました。 なんで、なんで神様は、アダムとエバが堕落するのを止めなかったのですか?! と。 それを止めてくれてさえすれば、こんな悲惨な人間世界はなかったはずなのに、、、、。 悔やまれて、悲しくてたまりませんでした。 あぁ、今でも 身近な人同士の仲たがいや、自分の中での煩悩の苦しみや、 戦争や殺人や、争いを見る度に どうしてここまでに成り下がってしまったのか、と この女の子のように、 神様がいるのにどうして人間の苦しみは無くならないの、と つぶやきたくなることもある。 というか、 どうやったら人間の責任分担で、ここまで来てしまったものを、神様の創造理想の姿に取り戻せるんだろうか? いったい、元に戻れるんだろうか? と思うほどに世の中滅茶苦茶、混沌の世界に突入してきましたね。 でも、これがこそ、 終末の兆候、なのだから、 あきらめることはない。 望んでいさえすれば、 必ず道はあるのだから! それが人間の責任分担の一歩でしょ。 |
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2015.02.04心に響くカテゴリーの
Cadot(カド)さん記事から転載記事 以下全文 小保方氏のSTAP細胞問題でも、一人、尊い命が誹謗中傷によって失われました。 「STAP細胞」論文の著者の一人でもある理化学研究所・故笹井芳樹です。 自殺してしまった事に対して、ホリエモンこと堀江貴文氏は、 「私は自殺しないけど普通の人ならしてもおかしくない状態におかれたことあるのでよくわかる」 「あの袋叩き状態は経験してみないとわからない」 「自分は悪くない、あるいは意図して悪い事をしようと思ったわけではない、潔白なら後ろ指さされるような事してないなら自殺なんかしないって思ってる人は甘いよね」 引用: livedoor news と、自身の経験と共に、集中的に誹謗中傷を受けるということがどういうことかを語っています。 こうしたネット中傷は、大きな問題になっていない所でも、数多く存在しています。 芸能人には連日Twitterで「死ね」「おもしろくない」「テレビに出るな、気持ち悪い」といったツイートが届き、国際問題では中国・韓国で何かニュースがあると、これでもかという程「中傷」のコメントがずらりと並びます。 Facebookでも何か気に入らないものを見つけたら、実名で悪びれることなく批判のコメント、中には脅迫とも取れる様な発言をする人も多々います。 なぜ、こんなにも、ネット上で誹謗中傷する人が増えてしまったのか。 それは、本来は「ネット」と「現実」に境目などないのに、別世界の様に受け取り、「人」としての意識・常識がネット上であまりに希薄になっているからではないかと筆者は考えています。 Twitterで、もの凄く誹謗中傷を受けているお笑い芸人、ドランクドラゴンの鈴木拓さんという方がいらっしゃいます。 連日「ゴミ」「死ね」「クズ」などと誹謗中傷を受けていて、ネットニュースなどにも記載される程です。 ではその誹謗中傷をする人たちが、日々の生活の中でドランクドラゴンの鈴木さんが目の前に現れたら、果たして本人に直接「ゴミ」「死ね」「クズ」と言うでしょうか? これは筆者の個人的な考えですが、恐らく彼らはそうした言葉を投げかけないと思うのです。 寧ろ、「芸能人だ」と少し物珍しそうに写真を撮ったりするかもしれません。 現実的にネット上で飛び交っている誹謗中傷は、現実世界ではほとんど使われない様な、恐ろしく「凶暴」な言葉です。 しかし、ネットだとそうした言葉になんら抵抗もなく使ってしまう。 そうした「人」としての当たり前の意識が圧倒的に希薄になってしまっているからこそ、こうした問題が絶えず生まれるのではないでしょうか。 またそうした誹謗中傷を繰り返す人の根底には、「自分が正しい」という、歪んだ正義感が存在していることも、問題を根深くしている原因かもしれません。 冒頭で紹介した故小泉みつお議員の炎上。 確かに故小泉みつお議員が犯した失態は大きな問題であることには変わりありません。 しかし果たして、死んで当然なのでしょうか? 死んで償うことが最善なのでしょうか? 冷静に考えればそんなわけがないのに、あたかもそれが正義かの様に、「死んで当然」と言葉の暴力を言い放つ人がたくさんいるのです。 そして、それに賛同してしまう人も・・・ こうした社会問題を改善するには、どうすればいいのか。 その解は、実は驚くほどシンプルなものかもしれません。 先日、“ネガコメ”を書き込もうとすると警告を表示 14歳の女の子が「ネットいじめ撲滅システム」を開発するまでという記事が注目を集めましたが、非常に興味深い実験結果があります。 「ちょっと待って。とても侮辱的な発言をしようとしているよ」という忠告が表示された場合、93%の未成年たちはコメントするのをやめました。このシステムにより、侮辱的なコメントに至る意欲を71.4%から4.6%にまで減少させることに成功したのです。 引用: logmi つまり、誰かを傷つけるコメントをするかどうかを、コメントする前に一回考えさせるだけで、こうして誹謗中傷の意欲は大きく削られたという事になります。 それはすなわち、「冷静」に考えれば、わざわざ労力を使って人を傷つけようと行動するのが如何に愚かな行為であるかを、人間自身が本能では理解しているということではないでしょうか。 わざわざ時間を割き、誰かを批難・批判・中傷し、傷をつけ、最悪命まで奪う。 これが良いことだと思う人は、少ないはずなのです。 一人一人が、今より少しだけ冷静になり、その「誹謗中傷」が必要なのかどうか、考える。 たったこれだけで、大きく今のネット世界は改善されるのではないでしょうか。 本エントリーが、そのきっかけとなってくれる事を願ってやみません。 以上、転載終わり カパヤパアンも願ってます! 今更ネットのない生活は考えられない。 この世の世界平和を願うように、ネット世界でも平和であることを希望します! ネット世界は家庭とは別の、天国道場、だと思うんです。 |




