雖然在日本工作,但找跟海外交流的機會!

個人的に中国台湾マーケットを狙ってみる。。。

?煥步

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7月下旬、とうとう台湾での留学生活を終えて日本に戻ってきた。
いろいろ悩みながらも、大学院卒業に向け、体力づくりの一環として留学中の2年間ほぼ毎日ランニングを続けてきた。
だから大病もなければ、精神的に参ることも無くがんばって来れた。
大学院卒業なんかより、ランニングの楽しさ・大切さを知り得たって事のほうが自分にとっては本当にためになっていると思っている。
卒業が近づけば近づくほどストレスが溜まり、走る距離は伸びていったと思う。
まだ日本で仕事を探し出せない日々の中で、気分転換に2年間台湾でどんだけ走ったか計算・整理してみた。



2008年7月〜12月 走行距離小計962km(大学400mグラウンド2405周:なんかえらい前に感じるが、ランニングを始めたころの記憶はなぜか今も鮮明)
7月 144km(同360周:このころは永和市の川付近のグラウンドを走っていた。ランニング後の種なしレモン水のうまさを知る。)
8月 224km(同560周:真夏の夕凪の中のランニングにハマる)
9月 136km(同340周:学期が始まり、ランニング時間がガクンと減る)
10月 178km(同445周:授業での発表等のストレスから逃げるため、再び走行距離が伸びだす)
11月 108km(同270周:大学寮から引越し。生活騒音から逃れる難民生活が始まり、また走行距離が減る)
12月 172km(同430周:ちょうど大学院生活にも慣れ、新居で友達と料理をして楽しんでいた)

2009年1月〜6月 走行距離小計1214km(大学400mグラウンド3035周)
1月 188km(470周:あまり何かをしたという記憶が無い。多分学期末レポート等で大変だったはず)
2月 200km(500周:留学後初めて帰国。日本の良さを痛感する。ランニング専用シューズを日本で購入。腕立て・腹筋の筋トレを生まれて初めて採用し、今も継続中)
3月 116km(290周:新学期が始まり、最も単位を取るのが難しいとされる必修授業を取る。毎日毎日まじめに勉強してたからはずで、全く記憶が無い。冬の寒さもあり、距離伸びず。)
4月 210km(525周:このころから研究室とグランドを行き来するだけの日々が始まる。このころ英語の勉強を開始し、ほぼ遊びに行く時間が無くなる。)
5月 270km(675周:夏の雰囲気が漂い、ほぼ毎日10kmを走るようになる。)
6月 230km(575周:学期修了。ルームメートの生活騒音で超イライラ。仲の良かった研究室のルームメートが卒業し、暗雲立ち込める。)

2009年7月〜12月 走行距離小計1036km(大学400mグラウンド2590周:論文書きとある一人の大学生の家庭教師を毎日続ける生活が始まる。)
7月 192km(同480周:留学後2度目の帰国。初夏の日本の新緑に懐かしさを感じる。台北で4度目の引越しをするが、夜隣人のオヤジの痰を吐く音等で集中力を完全に削がれる。修士論文作成開始)
8月 160km(同400周:引越し先の家族と折り合わず、完全に孤立する。ある学生の家庭教師を毎日引き受けることになり、経済的には安定するが、このころから毎日が論文書きと家庭教師の単調な日々となる)
9月 168km(同420周:大学院近くへ5度目の引越し。しかし合わず、2週間後経済的余裕もあり一人部屋に引っ越す[6度目]。大家が日本びいきで、何かと面倒をみて頂いた。新居場所はなんと大学グラウンドの目の前。)
10月 196km(同490周:論文書きと家庭教師の日々が続く。毎日半径1.5km以内の生活続くが、新居では耳栓なしで眠れることに心から感謝。)
11月 180km(同450周:延々と論文書きと単一の学生との家庭教師、TOEIC学習が続く。)
12月 140km(同350周:延々と論文書きと家庭教師、TOEIC対策が続く。年越しまでこの学生といっしょ。いい加減飽きてくる。)

2010年1月〜6月 走行距離小計1493km(大学400mグラウンド3732周:最後のあがき)
1月 260km(同650周:様々な閉塞感と留学が終わりに近づいていることから、大学外の一般道を走り始める。2つめのランニングシューズを使い始めた。初めてフルマラソン以上の44kmを走破したが、後半脱水症状で完全に足が止まる苦い経験。論文中間試験を無事通過。)
2月 179km(448周:何度も断ったが、家教の学生の誘いで彼の実家のAUへ2週間。AU滞在中のランニングは、無言の抗議となってしまい、帰国後家庭教師の仕事を無くし、経済危機に陥る。また貴重な冬休みを論文作成に使えず、踏んだり蹴ったりの最悪月となる。)
3月 344km(860周:家庭教師が無くなり、収入が激減。超緊縮財政下で僧侶のような生活を始め、時間があれば不安をかき消すように走り始める。このころから関係が悪くなった学生に会わないよう、大学グラウンドにさえ近づかないようになり、完全に一般道を中心に走り始め、不安をかき消した。)
4月 180km(450周:長年住み慣れたアパートだが、TOEICリスニング練習中かならず午前中音楽をかける輩と折り合いがつかず、引越しを決意。屈辱の日々が続いたが、ある台湾人オーナー様より通訳のバイト依頼が舞い込み、日本へアルバイト出張、1週間実家で羽を休める[留学中3度目の帰国]。甲斐あって、TOEICの目標点数を突破できた。これが最後と7回目の引越し決行するも、大失敗に終わった。)
5月 196km(490周:最後の引越しとなるはずだったが、上に住む大家の生活騒音に耐えられず、2週間後また引越しする羽目に[8度目]。敷金・礼金等もほぼボッたくられ、完全な台湾人不信に陥る。また台北にいること自体がストレスに感じ、何ら安らぎを得られなくなる。再度通訳アルバイト出張で日本に戻るが、このころは台湾にあまり戻りたくないと感じ始める。ボロボロになりながら、大学院論文最終審査通過する。今思うと、われながらよく卒業なんかできたと思う。)
6月 334km(835周:都会の喧騒から逃れるため松山区周辺から、基隆河沿いをつたって南港や円山辺りをランニング開拓する。それでも完全に台北の騒音に絶えられなくなり、頭がおかしくなりそうになる。最終となった8度目の引越し先でも、上の階のバカなデブオヤジの歩く音に悩まされる。もう台北では生きていけないことを完全に悟る。限られた時間、後悔しないようにと走れるだけ走った。最高で一日46km走ったが、時間さえあればもっと走れるぐらいまで体力と経験がついていた。)


2008年7月〜2010年6月 走行距離合計4705km(大学400mグラウンド11752周:無事大学院を卒業できたのは、ランニングの継続だと確信している。自分なりに満足している。)

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もう4月の半ばになろうとしている。

ずっとブログを書けないほど、結構忙しかった。それに半年以上続いた家庭教師の学生と関係が悪化し、何かと大変だった。台湾での生活費がほぼゼロに近づいたのは言うまでもなく、ここまで言うかというぐらいの罵詈雑言のメールを送り付けられ、本当に傷ついた。

傷付いたけど、論文を書き上げるため休む暇も無かった。

そしてストレスに対抗するためと体力維持のため、気合を入れて走った。走らなかったら、本当にまずいことになっていたと思う。




バイトも無くなって、毎日毎日部屋に閉じこもって論文を書いた。

中国語で書いて、それをMSNやSKYPEを通して、友達に見直しをしてもらう。とにかく通常の2倍、3倍の時間がかかる。

外に出る機会は、唯一ランニングの時。

とにかくイライラや悩みが頭から消えるまで走った。

走りに走り、3月は345キロ走った。

たしか今までの月間最多は昨年5月の285キロ。それよりずっと遠くに走ることができた。




また最後に何が言いたかったか忘れてしまったが、もう少しだけ遠くまで走れそうな気がしている。


写真は週末に一度食べるようになった麻辣牛肉麺。あとは日頃の自炊のひとこま。

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ちょうど1月中旬の天気の良い日、(淡水駅→漁人碼頭→淡水駅→士林駅)のルートで走ったことがあった。

このときは42キロを走破しようとは思っていなかったけれども、途中からやめられなくなってしまった。

でも残念なことに当日夕方に用事があって、時間いっぱい走ってちょうど28キロぐらいで終わらなければならなかった。

このときのペースならきっと42キロを走破できたと思った。けどどうしても約束を取り消すことができなかった。頭の中では、伊達公子とグラフのウィンブルドン準決勝が日没サドンデスで順延になったことと、今回の件を重ね合わせてみたりしていた。(かなり古いけど)





そして昨日の1月27日 台北 気温20度強程度 無風 午後2時

走ろうか走るまいか迷っていた。本当は学校の課題もあってあんまり体調もよくなかったし、気も乗らなかった。

でもやっぱり走ることにした。今後の自分の身の振り先を考えると、それほど機会は多くないと自然と判断したからかもしれない。
偶然だけど、瀬古選手と中山選手の和解の握手の記事が出ていたことも、自分を後押しした。(古すぎかな。。)


http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2010/01/27/04.html


google earthで選定したルートは(台湾師範大学→淡水河沿いで杜子島→基隆河沿いで淡水駅→基隆河沿いで士林駅まで)の44キロ。

台北の街中をランニングしても、乱暴な運転、排ガス、騒音、犬の糞、ごみ、デコボコな舗装等なんらいいことがない。

でも、河沿いは自転車専用道路が整備されていて、若干河の臭いや野良犬が多かったりするけど、とても気持ちがいい。特に淡水からの基隆河沿いは車が一台もなくて、騒音から解放される。


特に大きな問題も無く10、20、25キロを通過。

ただ、いつもは大学のクッション付きグラウンドで走っているので、アスファルトは想像以上に足を疲労させた。(後にこれが命取り)

ローペースで25キロまででちょうど3時間。

単純計算で42キロ走ればちょうど5時間前後というところ。

淡水駅に着いたときにちょうど30キロぐらいだった。


デジカメを忘れてしまったが、淡水駅からは地平線に沈む太陽を見ることができ、さらにエクササイズ的にも時間的にもちょうど十分だったのて、このままMRTに乗って帰ろうかととも思った。実際結構足にも疲労がきていた。




でも今回のランニングは何よりも距離にこだわりたかった。

今までランニングの最長記録は30キロだった。ちょうど一年ぐらい前の記憶。400メートルのグラウンドを75周して、結構しんどかった思い出がある。

この一年それなりに走りこんできたので、今回はどうしてもその限界に挑戦してみたかった。

淡水駅で想像もしていなかった綺麗な夕日を一瞬だけ見れたし、ストレッチを少しやったら力がとれた(気がした)。


「たぶんイケんだろう。」



30キロ地点の淡水駅から今度は士林駅に向かって走り出した。

今までペースを抑えて走っていた分、結構早く走れた(気がした)。

しかし後半で1キロ程度走ると、想像以上に疲れていて、途中で止まって歩き出してしまう自分もいた。

そんなこんなで40キロまで走り通したけど、それ以降急に足が上がらなくなった。

また急に水分を取りたくなったが、川沿いにはコンビニが一件も無い。。(街中には日本以上にあるのに。。)

なぜか自分の脳裏のなかでは存在していたはずの自販機も無かった。(人気がなくても自販機があるのは治安がいいニッポンだけ!)



そしてちょうど40キロを境に全く走れなくなってしまった。

探しても探してもドリンクを売っている場所が無く、一度も走れることなく3、4キロ歩いた士林駅近くでコンビニでやっとポカリを買えた。

結果的に自己最高の44キロ(以前は32キロぐらいだったはず)を走って、少しは満足できてもよかったのだけれども、どちらかというと、最後の3、4キロを全部歩いてしまったという不満のほうが強かった。


30キロ過ぎから、完走することに夢中になりすぎて、水分を取ることを完全に忘れてしまった。(もう死んでしまった自宅の飼い犬は、餌を追って、よく山に迷い込み、翌日疲れはてて人里に降りてきたが、ひょっとしたら私はそれよりバカだったかもしれない。いや、生き物なんてそんなもんだろう。。)



陸上の選手は40キロを当たり前に走りながら駆け引き勝負をしている。。やはり凡人では考えられないこと。

自分としては満足できる結果を出せなかったけれども、そんなことを想像しやすくなったことはとても収穫になった。







44キロを走った当日は「もうマラソンなんか辞めて、通常のランニング(10キロ)を継続しよう」って思っていた。

しかし頭の中にすでに昨日走ったコースがインプットされていて、どう走るペースを分配すれば5時間を切れるだろうかとか、売店はどこにあったから、そこで水分補給をすればうまくいくはずとか、そんなことばかり考えている。

執着か進化か、あるいはただの暇人かわからないけれども、残り少ない留学生活の中で、もう何度か無謀な挑戦をしそうな気がする。。

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夏休みが終わった。
結果は惨憺たるものだった。
理由は様々あったが、物理的な環境の変化として、いつも使用していたグラウンドが利用できなくなっていた。
もちろん代わりに一般道路を走っていたのだが、どうしてもやれなかったことがあった。
それはグラウンドのベンチに腰掛けて行う腹筋だった。

そしてこの腹筋を3ヶ月間全く行わなかった。
この間、腰痛と神経痛に苦しんだ。
夏休み中、その理由を見つけられなかった。
これらの痛みから徐々にストレスを溜め、結局何事にも集中できず、何も結果を出すこともできなかった。

最近漸くグラウンドが再使用できるようになった。
確かにグラウンドは走りやすく改修されたが、どうして3ヶ月近くも工期を要したかは、日本の例を見れば一目瞭然。随分予定を狂わされた。。

気を取り直して、今週から腹筋を再開した。
でもはじめはなんだか腹に力が入らず、ものすごく違和感があった。
そして2日目、3日目はとんでもない腹筋痛になってしまった。
腹筋をしようとしても全く腹に力が入らないのである。
「人間衰えるときはかくも簡単に衰えるものなのだろう」と痛感させられた。
筋力の維持には膨大な苦労を必要とするが、衰退するときは本当にあっという間だ。

今日で腹筋再開5日目、苦しいながらもなんとか設定回数をこなせるようになってきた。
適度に腹筋に緊張感があり、身体のバランスが戻りつつあるのがわかってきた。
ランニングのバランスもよくなっているのが感じられた。
夏休み中もランニングを継続してはいたのだが、体が重く、所謂走りにキレがなかった。
今日は久しぶりにそのキレが戻った走りができた。
一日たった60回の腹筋を3ヶ月サボっただけで、腰痛が始まり、集中力は無くなり、あらゆる悪循環を招いた。
もちろん腹筋だけのせいではないのだろうが、身体のバランス上、腹筋や背筋は最も重要な部分。
腕や脚の筋力というのはあくまで副次的なものだ。
勉強でも基本的なこと、主要なことを修めれば、結果はそれなりになんとかなるはず。
今後基本的な弱点を克服していきたいと思う。

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去年の7月から本格的にランニングを始めて1年経った。
昨年の7月から12月は962km(2405周)走った。
今年の上半期(1月-6月)は1214kmで、前期より250kmほど多く走ることができた。

1月 188km(470周)
2月 200km(500周)
3月 116km(290周)
4月 210km(525周)
5月 270km(675周)
6月 230km(575周)
合計 1214km(3035周)

特に4月〜6月は毎日10km(25週)を日課にしてきた。
ほぼ目標を達成することができたが、弊害も出てきた。
今までランニングを最優先してきたが、毎日10km走ると疲労が蓄積するし、また1度のランニング+シャワーで2時間を消費する。
そろそろランニングだけを優先するわけにはいかなくなってきた。

7月から毎日の距離を10kmから8kmに短縮した。
毎日走るつもりなので、下半期(7月-12月)の理想値は1440kmだ。
今年2月に買った運動靴は、5ヶ月で踵の部分が随分減ってきた。

夏休みとして日本で1週間何もせず過ごした。また最近は毎日マンゴーを食べて、2週間で3キロ太った。
最近いろいろな意味で、維持とは如何に難しいかを痛感している。
そして自分は自分を維持、コントロールし続けることができるのだろうか、ちゃんと結果が出るのだろうか、最近とても不安になることが多い。

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