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昨年秋、知多半島、半田にいる友人の奥さんがくも膜下出血で倒れてた。かなり時間がかかったようだけど、なんとか喋れるまでに回復したという。
よかったなあ、と電話で伝えた。そしたら、こちらで働いていた彼の長男が先日電話で、名古屋に勤務先を変えて、実家に戻るから、部屋を解約すると言ってきたので、よく決心したねと言ったら、さんざん迷惑かけたからと。
彼は最初中華街のコックを6年ほど勤めた。そのときに寮を出るからというんで、部屋探しをした。
実家へ戻って少しでも両親のそばにいてやりたいと言う。
お正月そうそう、別の友人のお父さんが入院された。入院しても冗談のでるお父さんだという。この一言で、お会いしたことはないけど、このお父さんはきっと、優しくて、とっても心豊かな方だったんだろうなと想像できる。
なぜかっていうと、人っていうのは、追いつめられた時、もしくは、崖っぷちに立たされたときに、ほんとうのものがでると僕は思っている。
83才だという。なんとか回復されることを願うばかりだ。いやきっと回復する。
半田の友人は、奥さんが倒れたとき、完全にパニックになっていた。電話でそんなことで、おまえどうするんだ、こんな時こそしっかり笑顔でがんばれといってやったけど、立ち直るどころか、完全に参っている始末。娘さんいわく、そんなに大事に思うのなら、なんで、いままで優しい言葉の一つも言えなかったのと僕に愚痴を言っていた。そのとおりだ。まだ、60才前だと思うが、なんとか持ち直して貰いたい。
いや、彼女もまだ、若いから、きっと回復して、好きなえーっとだれだったか、坂崎 幸之助のいるグループのコンサートに行けるようになるよ。きっと行ける。
この歳になるとそういう場面に多々出くわす。
子供さんのいない老夫婦。資産管理をしている都合上、面倒を見させてもらったこの老夫婦の場合は実に辛いものだった。
一昨年 ご主人が亡くなった。 なくなる半年間は、大変だった。この世に未練があったからだ。病気がちの奥さんを残していくということ、先に自分がいってしまうことが、なんとも諦めきれない想いがあったからだ。自分の病が忌々しい、そんな想いが見てとれた。さぞ悔しかったであろうとおもう。
でも、最後に息を引き取ったときは、安らかに眠るように逝った。
いろんな死に様がある。 どんなに準備しようと思っても、たぶんそのとおりには いかないのがこの世である。
かくいう僕は父親の死を知らない。いくつでなくなったかも不明。 ただ、戦前昭和12年頃東京・荒川の日暮里にいたという資料がみつかり、昨年その場所を探しあてた。
70数年の時を経て、その場所にたったのだ。こういうとあの映画「地下鉄に乗って」の雰囲気になる。
あの場所に行けたこと、とっても良かった。 いま、そう思う。ありがとうって感じだ。
いま、たぶん父親の年齢を超えたと思う。 人にとって、父親、母親は永遠に心の中に息づいている。
夫婦ってのは、離婚することができる、つまり最初から他人である。でも親子ってのは、もう永遠に親子なんだ。(馬鹿だよな〜 。そんなの解ってらっていわれそうだけど。ここが大事なんだ。)
自分の中にいる親、そして、自分の息子の中にいる親としての自分。連綿としてこの関係が続いていく。
写真は東日暮里周辺、静かで、下町の風情があり、温かい空気を感じた街だった。
この写真前にも使ったみたいだけど、ま、いいか。
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