[ 此の写真は元気な頃のモノです ]
今朝茂丸さんが死んでいた、発見者は愛ちゃんだろう。
私は其れを担当のケアマネージャーからのメールで夕方遅くに知った。
直ぐに電話をかける、弟が出た話をする愛ちゃんに代わる結構元気そうだ、愛ちゃんはこんな事を言う「私もボケてしまっているね余り悲しくないんだよ」「そんな事は無いよ薄々分かって居た事だから余りショックが無いんだよ」。
老いて長生きと言う事は家族にとって嬉しい事に違いないが沢山の悲しみも背負っている。
愛ちゃんはこれからどうするのだろう、どうやって生きて行くのだろう、一人で此の先10年以上も。
弟は何度も電話をくれたそうだ、つながらなかった様だ、ラオスはまだまだインフラの遅れた国だ。
葬式には帰れない旨愛ちゃんと弟には告げて承諾を貰う、ラオスからそう簡単には戻れない。
此処での仕事も佳境に入って来た。
茂丸さん、43年間かん教師を務め沢山の子供たちに慕われていた、教え子たちには私より年上の人達が沢山いる、それはそうだ結婚前から教師をして居たのだ。
毎年年賀状が沢山来ていた、其れに何時も版画の年賀状を書いていた。
茂丸さんはアマチュアだが長い間写真を遣って居た、私もその影響でカメラマンに成った。
定年後は趣味の畑作りをしていた、じゃが芋、玉ねぎ、プチトマト、美味しかった。
私は親元を離れて42年その内海外に出て来て27年に成る。
茂丸さんと愛ちゃんの老境に関しては余り知らない2−3年おきに会うのだが年取って行くなと思うのみだった、私も年取って行くのだから向こうもそう思って見て居たのだろうな。
昨年10月に3年ぶりで日本に帰った、茂丸さんも愛ちゃんも一層年をとって居た、茂丸さんには少しボケが来ていた、愛ちゃんはシッカリして居たがモノ忘れはひどく成って居た。
今年2月に又帰る事が出来た、状況は変わった訳ではないが介護契約も出来介護士のにもついて貰えるようになって居た。
何もしてあげられない息子にとってありがたい事だった。
私が此方に帰る日私の用事で出掛けてくれた愛ちゃんの帰りが遅くなった。
茂丸さんが呼ぶ「バアさん、バアさん何処へ行った」「俺の用事で出かけて居るよ」「そうかい」暫くするとまた呼ぶ「バアさん、バアさん何処へ行った」、子供の様にあどけない目で此方を見ながら。
茂丸さんの最後の思い出のシーンに成った。
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そうか・・・・ 悲しいな
多くの人に慕われた人だったな
悲しみに暮れてくれ。
月末に信州に行く 松本から空を眺めてくるよ。
2011/7/10(日) 午後 11:13 [ 魔法使いの杖 ]