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テーマ『私が好きな秋の味覚』
秋、私の好きな食材群たち、中でもスペシャルな存在価値のあるもの
思い出と、既存概念で イメージアップされた 食材
私にとって、秋の味覚のトップは、。。。。。。『銀杏』。。。。。。
思い出の場所 思い入れの強かった書物に登場して その印象と存在価値が強くなった
たとえば、
初めての出会いは、既に調理されて 爪楊枝に串刺しにされていた。
法事のご馳走の贅沢に並んだ折中で一番美味しいと思った。いつかまた食べたいと・・・
たとえば
幼い少女の頃、父を弔っていただいた菩提寺の境内で、
しかも本堂の裏手の独りになれる場所で、
見上げるポプラの大木が頼もしく優しく暖かく心強く心が通じているような・・・
想い込みの世界であの木の銀杏は特別な物だった。
たとえば、
『綿の国星』はじめ数々の短編集も全て揃えて読み漁った大島弓子先生の作品、
とある作品のの一節に登場する銀杏は、
≪若すぎて心細い駆け落ち夫婦が、お金が無くなって、おなかが空いて、公園で拾い集めた
銀杏の実を焼きながら、「さあ、お前がお食べ」「貴方が食べて』一粒 一粒を譲りあい≫
刹那的極貧の惨めな状況が、なんて羨ましい詩的な愛と美の世界に描かれていて・・・・・
そんな印象の余韻に浸りながら、
友人からのプレゼントでもらった小さなコーヒーサイフォンの付属部品、
小さな小さなアルコールランプに火をともして、
殻を割って取り出した銀杏を(殻ごと焼くと爆発するとおもっていた・・・栗の経験から・・・)
一粒、(当時、学研科学のふろくの実験道具も重宝していた)にさして、火であぶって、
祈るような切ない心細さをイメージしながらゆっくりと食した。
食は細く、体も細く、か弱く、神経質な少女は、皆に大事にされて(させて?)いた。
今は 身も心も ・・・ 無限大太っ腹^o^***
たとえば、新婚当時、
彫刻家修行中だった主人の、はじめての個展を開いたのが秋だった。
個展の会場へと続く道のりに公園が・・公園脇の歩道は広いポプラ並木だった。
ポプラの並木道は、肥え太った銀杏がいっぱい落ちていて、通勤の人々に踏み潰されて、
「ああ。。もったいないこと。。。」とつぶやきながら主人の後ろを急ぎ歩き、
迷子にならないように必死でついていったあの時。
時間があったら拾って帰りたいと思いつつ・・・
拾っている状況でなかった・・・いつか銀杏拾いに来たいと思いつつ一度もその機会がなかった。
子供ができるずっと前だから・・・・・・・・・・・・
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