|
CDレビューも始めてみることにしました。
記念すべき1枚目はこのCDしかないと思う。
ヨーヨー・マ プレイズ ピアソラ 〜ソウルオブザタンゴ〜 Yoyo Ma Soul of the Tango
曲目
1,リベルタンゴ Libertango
タンゴ組曲 Tango suite
2,アンダンテ Andante
3,アレグロ Allegro
4,スール:南への帰還 Sur:Regreso al amor
5,ル・グラン・タンゴ Le Grand Tango
6,フガータ Fugata
7,追憶のタンゴ Tango Remembrance
8,ムムーキ Mumuki
9,現実との3分間 Tres Minuttos con la realidad
10,天使のミロンガ Milonga del Angel
11,タンゴの歴史:カフェ1930 Cafe1930
本当は1曲1曲解説を加えたいころだが、それはいつかの機会に回すとして、このCDの存在意義について考えてみたい。
いつぞやのライブのパンフレットでも論じたが、ヨーヨーマ、ギドンクレーメル、ダニエルバレンボイムといったクラシック界では名の知れた音楽家によって演奏されることによってピアソラは世界的に名の知れるところとなった。
その中でもLibertangoをピアソラの代表作にせしめ、ピアソラを除いたあらゆる「ピアソラのCD」の中で最も優れているのは圧倒的にこのCDではないだろうか。
このCDを聴いてピアソラを知り、その音楽に身震いした人は多いことだろう。
なにより自分もこのCDからピアソラにはまっていった一人である。
そういう意味で言えば、ピアソラのCDの中で最も存在価値があるといえる。
しかしながら、ヨーヨーマの演奏は決してピアソラ本人のそれとは大きく異なる上、さらに言えばタンゴ弾き方ですらない。
たとえば、ピアソラの5重奏団にも参加したエレキギター奏者のマルビチーノは(CDの解説にも書いている)「(ヨーヨーマの演奏について)すべての音符が聞こえてきたのは初めてだ」と評した。
もちろんテクニックとしてはかなりすぐれているものだろうが、それはタンゴに弾き方ではない。
フェルナンド・スアレス・パスもピアソラを弾くには「タンゴの弾き方をマスターすることだ」と言っている。
それ以前からピアソラを聞いていた人、タンゴを聞いていた人にとっては、はがゆさすら覚えただろう。
自分自身、一時期いろいろ迷っていた部分がある。
自分がやりたいのは「ピアソラ」なのか、「ヨーヨーマが弾くピアソラ」なのか…
ヨーヨーマが弾くピアソラを目標にしていた自分にとって、ピアソラ本人の演奏を聴きこむことはヨーヨーマとピアソラとのが乖離していくようで苦しさすら覚える時期があった。
その答えとして「脱ヨーヨーマ」を本気で考えたこともある。
だが、そこから道を開いてくれたのもこのCDだった。
編曲の関係もあって、しばらく本人演奏のピアソラばかりを聞いている時期があった。
確かビジュジャかなにかの編曲に悩んでいたころだったかと思う。
久々にヨーヨーマを聞いてみることにした。
やはり熱いのだ。
やはり自分のチェロ弾きとしての原点がここにあるのだ。
これを否定してはいけない。
これを否定しては、チェロ弾きとしての自分の意味がない。
でも、なぜなのか。
やはり決してタンゴの弾き方ではないのだ。
一つの答えとして今の自分が持っているのは
「自分の弾きたいように弾いている」ということだ。
いいかえれば「音楽を通じて自分を最も良く表現している」のだ。
自分の感情も最もスムーズに音楽に乗せているともいえる。
ピアソラ本人が当然そうであったように、ヨーヨーマもそうであり、「そこにその音符があることに1mmとも疑問を抱いていない」のだろう。
作曲家としてのピアソラと音楽家ヨーヨーマの相性がなせる技なのかもしれない。
それ以降、わざわざ「脱ヨーヨーマ」を掲げることもないように思う。
ただし、「ヨーヨーマ」を目標にすることもないと感じる。
ヨーヨーマもピアソラも、本人しかできない音楽をやっているからこそ魅力的なのだ。
それそのものを真似たところで、意義は薄い。
もちろん、それぞれの弾きたいと感じる要素は大いに取り入れていく。
それ以上に自分をピアソラの音楽で表現できることを目指している。
これが今のところの結論だと思う。
あれ、これCDレビュー??
|