顕正会の泥船

正直に心のままに勇気を出して!

全て偽本尊

顕正会会館に安置されている御本尊について
会館に安置されている「日布上人の大幅御形木御本尊」は、全て偽本尊です。
 
そもそも、日蓮正宗には「日布上人の大幅御形木御本尊」という御本尊は存在しないのです。
 
本家で作られた形跡が無い物が他所にある。
これってどうよ。
偽物ってことだろ〜。
 
これ以上の説明が要るかって!
 
顕正会も大きくなったもので、全国に会館や事務所が約40箇所以上にもなっています。
そのほとんどが「日布上人の大幅御形木御本尊」を安置しています。
顕正会で多く護持している御本尊が、どうして他に存在しないのでしょうか?
 
偽本尊作成の罪がどれだけ深いかよ〜く考えてください。
 
偽本尊には鬼神が棲んでいます。
手を合わせれば感応して、四悪道の境界に落ちてしまいます。
成仏なんて夢事で終わってしまいます。
寧ろ堕地獄へまっしぐら・・・です。
 
 
 

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さて、浅井さんは「数百幅譲り受けた(趣意)」と主張していた訳ですが、数百であろうが、数千であろうが、大事な御本尊です。
滅多な事で疎かに扱う訳にはいきません。
 
「御奉持」という行為は、無理に会員を集める為に編み出した行為と考えられます。
今のように各地に自宅拠点や会館がなかった時代です。
 
御形木御本尊を数百幅譲り受けたとしていますが、大事な御本尊を簡単に会員に与える訳には行かないと考えていたと思えます。
昔は安易に御本尊を与えるような事はしていないのです。
 
ところが、平成10年「御遺命守護完結報告式」以降は、これまでとは違った事になるのです。
 
まず、平成11年、総班長以上の役職者に日寛上人の御形木御本尊を配布しているのです。
その数、約70幅と聞いています。
その後も、幹部になれば日寛上人の御形木御本尊を頂ける事になっているようです。
 
時を同じくして、血脈相承の否定が始まり、日達上人、日顕上人の御本尊を「お取替え」と称して、日寛上人の御形木御本尊に替えていったのです。
元学会員が護持していた御本尊が対象になったのです。
血脈相承を否定するまでは、日達上人、日顕上人の御本尊を利用して入会式を行なっていたのに・・・。
 
「お取替え」の条件は主に自宅拠点になる事でした。
班長の者も副班長職をもらって自宅拠点になりました。
入会式は、副班長職以上の者が行う事になっていたからです。
尚、自宅拠点でなくとも申し出により「お取替え」があったとも聞いています。
 
平成11年以降、現在までバラ撒かれた日寛上人の御形木御本尊は、1000幅を超えていると思われます。
僅か5000名も居ない地方でも女子部限定、男子部限定などの小拠点を含めると自宅拠点数は10箇所はあると聞いています。
「お取替え」の御本尊数も特定できません。
幹部に撒かれた御本尊数も数百に膨れ上がっているでしょう。
最初の方にも書きましたが、一末寺にこれ程多くの御本尊数を保管していたというのは有り得ない事なのです。
 
もし、最初からこれだけの数の御本尊があったのなら、「御奉持」という御不敬を重ねる必要はなかったのではないか。
今更、これだけの御本尊をバラ撒くならもっと前に自宅拠点を増やしていたのではないか。
 
どうして、このような暴挙にでたのでしょうか?
 
幾つかの理由は考えられますが、結論から言いますと
「偽本尊だからバラ撒いてもいいのだ!」
という事でしょう。
 
偽本尊だからどんなに乱暴に扱っても御不敬にならない。
バラ撒いても損はない。
 
これが、答えでしょう。
 
つづく・・・
 
 

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偽本尊疑惑

顕正会の誤りはなんといっても、
「偽本尊作成」
「血脈相承の否定」
が、最重罪であろう。
 
「偽本尊作成」
顕正会は昭和49年(1974年)に解散処分になっている。
36年も前に譲り受けたとされる御本尊が、どうして真新しいく真っ白な状態なのか?
 
自宅拠点用に配布される日寛上人の「御形木御本尊」。
過去に、浅井さんは「数百幅譲り受けた(趣意)」と発言しているが、それも怪しい物である。
浅井さんの発言を裏付ける根拠が無いのである。
日寛上人の御形木御本尊の御下附は、昭和40年頃まで続いていました。
学会の折伏により大量の御本尊が必要となり、以降は日達上人の御本尊が御下附される事になったのです。
その様な状況下で、日寛上人の御形木御本尊が数百幅も一末寺に存在していたでしょうか。
また、現在のように自宅拠点が増え出したのは、平成10年「御遺命守護完結報告式」以降の事です。
それまでは、会館や事務所で「入会式(入信勤行)」を行なっていました。
しかし、当時は会館や事務所が少なかったので、会員が御本尊を借りて折伏に出かけたのです。
これを「御奉持」といって、会館や事務所で保管されている日寛上人の御形木御本尊を貸し出していたのです。(今でも一部ではあるのかな?)
病院などで寝たきりの人を入会させる時は、御奉持した御本尊を押しピンで壁に留めて、入会式を行なっていたのです。
御本尊を押しピンて・・・なんという御不敬でしょうか!
持ち歩く事さえ恐れ多いことです。
こんな事が、日常茶飯事に行なわれていたのです。
会員が無知な事を良い事に、平気でこんな行為をさせていたのです。
日蓮正宗では、絶対に有り得ない事です。
浅井さんの醜い本心が見えますね。
 
つづく・・・
 

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伝統教義を盗んで講釈

しばらく更新を止めていました。
せっかく書いた日記が埋もれてしまうのもどうかと思って遅らせていました。
最近は顕正会員の活発な動きもほとんど見られませんね。
もっぱらモバゲーやグリーでチョロチョロしているだけのようですね。
 
しかし、表向きは静かに見えますが、顕正会内は大変な状況のようですよ。
大物、小物も含めて続々と脱会者が出ているようです。
 
顕正新聞には毎月総幹部会の様子が写真で載っていますよね。
よ〜く見てください。
壇上にいる幹部の面々、変わっていませんか?
一、二年前の古い新聞と見比べれば違いがハッキリと分かるはずです。
 
消えた幹部は、「病気などで療養中」なんて思っている方・・・・本当ですか〜?
或は、「退転したのは魔が入った」なんて思っている方・・・・洗脳されていると考えて良いでしょう。
消えた方は戻って来ませんから・・・(笑)
 
浅井さんの話は巧みですね。
多くの会員が夢中になって聞いています。
浅井さんの話は2つの文体から成り立っています。
 
一つは、大聖人様のお話し。
大聖人様の御化導と教義で構成されています。
大聖人様のお話しを聞いて凄いと思う人は多いですね。
そして、話しをしている浅井さんも凄いと思っちゃうのですよね。
バッカですね〜〜〜〜。(アンタもだろッ!)
日蓮正宗では大聖人様の御化導とか教義のお話しは普通に聞くことが出来ます。
元々、日蓮正宗が伝えてきた物ですからね。
浅井さんはね、自分だけが知っていると会員の前で悦に浸っているのですね。
日蓮正宗の伝統教義を盗んで講釈しているだけなのにね〜。
 
二つ目は、浅井教(終末思想)のお話し。
とは言っても週刊誌や新聞、3流雑誌の受け売りばかり。
自分の考えなんてほんの少ししかありません。
その少しが「浅井予言」と言って、ことごとく外していますね。
特に酷かったのは、「小田原(東海)地震が本年中に起こる」というものでした。
「小田原地震、おそらく今年、これはもう間違いないでしょう。(中略)私はそれを知るゆえに、昨年十二月から心を休めたことがない」(平成十年顕正新聞新年号)
この予言を信じた会員は、「地震が来る」と熱心に活動をしていましたが、やがて世間から笑われ、職場や住んでいる地域から居場所をなくして消えていったと聞いています。
「あと二十五年で広宣流布ができなければ、核戦争によって人類は絶滅する」(昭和五十七年十月九日)
もう、とっくに25年過ぎてるし〜、最近は中国が軍備を拡大して日本を攻めると言っているし〜、核戦争はどうした! はぁ?
軍備拡大の前に核戦争じゃなかったのか! 
行き当たりバッタリの口からデマカセ!
「ハズレテごめん!」って一回くらい誤れよ〜! 
 
ヒドイ話ですネ〜。
 
確かに話し上手は認めますが、凄い人とはなりません。
大聖人様を利用して言葉巧みに話しているだけなのです。
 
 

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今も昔も変わらぬ邪心

「洗脳を少しずつ解いて」と題して数回に分けて掲載しました。
浅井さんに邪心があった事を再認識することが出来ました。
元顕正会員の中には、浅井さんが曲がったのは、平成10年「御遺命守護完結奉告式」以降と言う方や、平成4、5年、偽本尊が出だした頃だという方がおられます。
しかし、私は昭和45年がターニングポイントだったと思っています。
この年は、「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」を出しています。
純粋に国立戒壇建立を願う思いが50%、欲の為に御遺命を利用しようという考えが50%、と見ています。
元々、浅井さんには、宗門を利用して生計を立てようとする姑息な考えがあったように思います。
浅井さんの家業は印刷業でした。何度も夜逃げして転々としていたようです。
そのような父親を見て育った浅井さんは、お金に対する執着も人一倍強かったと想像できます。
父親が妙信講(顕正会)を立ち上げた理由の一つにお金儲けも含んでいたのでしょうか。信心しながらお金を稼ぐ、一石二鳥を狙ったのでしょう。妙信講の機関誌などを印刷して生計を立てていたのでしょう。御供養は余りしていなかったようです。
学会が大きくなった理由は、印刷業でお金を稼いだからです。学会が羨ましくてマネたのでしょうか。
昭和38、39年でしたか?法華講連合会の入会を拒んだのも、その辺に理由があったよういに思います。だって、他に、これっ!と言える理由が見つかりません。「御遺命実現を目的とした折伏の大集団、他の組織とは違う」(趣意)なんて、こじつけていますが正宗信徒の目的は皆同じです。妙信講だけが折伏していた訳ではありません。
それでも、この頃はまだ、純粋に信心していた部分の方が多かったと思いたいですね。
法華講連合会の発足は、学会の急激な信徒の増加により、御登山(御開扉)や機関誌等の発行も含め、組織の統制を図る必要が出てきたからです。散々ごねて、渋々法華講連合会に入会したようです。(この辺は曖昧になっています) しかし、直ぐに脱会しているようです。当然、法華講連合会を抜け出した妙信講は、御登山(御開扉)を許可して貰えなくなりました。その後、昭和44年1月に御登山(御開扉)が叶ったのです。浅井さんは、この御登山を「不思議な御登山」「不思議な参詣」(「冨士」283号)と書いています。ある説によりますと、この御登山は、学会が裏で宗門に願い出て実現したとあります。学会が妙信講に塩を送った事になるのでしょうか。浅井さんは、その事を後で知ったのでしょうか、「不思議」とする事で学会の恩を大聖人様の恩としたのでしょうね。
では、学会は大聖人様の使い・・・これ以上は突っ込まないようにしましょう。
この御登山で事件が起きています。
宿坊である大化城で御本尊様紛失という前代未聞の事件がおきました。
紛失した御本尊様は未だに発見されていません。
この時の審議が気に入らないと御宗門に食ってかかったとも聞いています。
妙信講が正本堂に御供養したのはご存知でしょうか?
一旦は、妙信講の御供養は拒否されたのです。
法華講連合会に入っていない為、という事です。
最終的には、御宗門が間に入って受け取られています。
 
法華講連合会の入会拒否、御登山(御開扉)を許可して貰えなくなった事、御本尊紛失事件と、これらの事で御宗門に対する不満は募っていったのでしょうね。
そして、昭和45年を迎える訳ですね。
 
 

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