顕正会の泥船

正直に心のままに勇気を出して!

全体表示

[ リスト ]

洗脳を少しずつ解いて

 
『現時における事の戒壇なり』
の説明をしましょう。
 
顕正会では、この部分をだして、宗門は正本堂を御遺命の戒壇としているではないかと、言い掛かりをつけてきます。
 
猊下様と浅井さんが対面されて「訓諭」の解釈文を出す事で合意されました。
折伏理論解説書(248ページ)に、解釈文の写真が載っています。
会員は、解釈文の存在は知っていても内容をよく知りません。
 
そして、浅井さんは、この解釈文に対して
『すなわち、大御本尊まします所はいずれも事の戒壇、との己義には依然として固執しているものの、』247ページ)
と書いています。
これって、猊下様に対しての書き方じゃないよね。
上から目線だよね。
自分の方が偉いんだと言いたいのでしょうか?
 
また、「いずれも」は、浅井さんが勝手に加えた文字です。
 
日達上人が書かれた解釈文の一部です。
①『我が戒壇の大御本尊は本門事の戒壇の根源なる故に、戒壇の大御本尊まします所は事の戒壇である。即ち戒壇の大御本尊が御宝蔵に安置せられていた時は、御宝蔵が本門事の戒壇であったのである。』
②『正本堂建立完成の時は戒壇の大御本尊を安置し奉るのであるから、正本堂は現時に於ける本門事の戒壇となるのである。』
 
どうです、「いずれも」なんて出てきませんよね。
 
実は、この「いずれも」と入れる事で、読む側にとっては意味合いが大きく変わるのです。
「大御本尊まします所は事の戒壇」
「大御本尊まします所はいずれも事の戒壇」
どうです?
会員は、「事の戒壇」を広宣流布の暁にしか存在しないと思い込んでいるのです。
本来の意味を知らない会員は、「いずれも」が入ると、変?と思ってしまうのです。
「いずれも」はおかしいよ、宗門はおかしいよ、と思ってしまうのです。
「事の戒壇」と「御遺命の事の戒壇」を同一と思い込んでいるのです。
 
後日の日記では「戒壇の大御本尊おわします所は何処・何方にても直に「事の戒壇」……」という文章を載せる積もりでいます。
「いずれも事の戒壇」と似たような意味合いですね。
浅井さんが執筆した書に出てきます。
これを読むと、「大御本尊まします所は事の戒壇」の正しい意味が理解出来るのです。
 
『すなわち、大御本尊まします所はいずれも事の戒壇、との己義には依然として固執しているものの、』
しかし、これだけを読むと、会員は「己義」という言葉を信じてしまいます。
 
折伏理論解説書(248ページ)に、解釈文の写真が載っています。
写真は辛うじて文字が読める状態です。
しかし、「大御本尊まします所は事の戒壇」の正しい意味は発見できません。
 
実は、上記の文は隠れて読めません。
しかし、の文は読めるようになっているのです。
 
①の文を知らずに②の文だけを読めば、正本堂を御遺命の戒壇と意義付けているようにも読めますよね。
それに、解釈文に修正を加えたとなっていますが、①の文には修正を加えていません。
①の文は、自分(浅井)でも正しいと思っているのです。
だから・・・
上記の解釈文も、「訓諭」(Bの文)と同様、故意に隠してあるのかなと、勘ぐってしまいますよね
 
また、解釈文の写真に写っている真中の原稿一行目に、
「十一月二十三日戒壇の大御本尊が奉安殿に安置せられて、奉安殿が本門事の戒壇となったのである」
と、あります。
見逃さないで下さいね。
浅井さんは、この部分にも修正を加えていません。
正本堂を『現時における事の戒壇なり』と仰せられた事と、どう違うのか?
 
「いずれも」が書いてあると思わせたり、誤解を招くような写真を掲載したり、意図的に仕組まれているとは思いませんか?
 
ホ・ン・ト・小細工が好きよね〜
 
小細工じゃ無いと言うなら
顕正会員に「訓諭」と「解釈文」を全文公開してください!
【折伏理論解説書】に載せてください!
できないよね……(笑)
 
つづく
 

.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事