顕正会の泥船

正直に心のままに勇気を出して!

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洗脳を少しずつ解いて

 
先日のつづきです。
 
さて、あえて浅井さんの文章を引用しましょう。
大御本尊まします所はいずれも事の戒壇
これを己義と書いている訳ですが、はたしてそうなのでしょうか?
 
『さればいま猊下の仰せ給う「事の戒壇」とは、この広布の時の「事相」に約し給うものでなく、所性の法体の「事」に約し給うたものである。即ち、戒壇の大御本尊おわします所は何処・何方にても直に「事の戒壇」と定義せられたのである。従って、曾っての御宝蔵も、また現在の奉安殿も「事の戒壇」であり、将来正本堂にお遷り遊ばせば同じく「事の戒壇」であるとの御意であられる。』(昭和四十六年十一月十五日)(富士140号)
 
この文は、浅井さんの著書『「正本堂」に就き池田会長に糺し訴う』に載せた文です。
後日、掲載しますと予告した文章です。
学会の池田さんに『猊下の仰せ給う「事の戒壇」とは……』と、説明している文章です。
日達上人の解釈文と、同じ事が書かれていると思うのは私だけでしょうか?
浅井さんが、己義と批判している文章と似ていると思うのは私だけでしょうか?
「事の戒壇」の意味を知っていれば、いずれも」があっても疑問には思わないのです。
 
いずれも」の意味を知りながら説明もせず、会員が誤解するのを承知で「いずれも」の言葉を使って猊下様を非難する。
許せませんよ。
 
 
ある時は、正論として書き、ある時は、己義と誹謗する。
これを二枚舌と言わずしてなんというのか!
呆れて、空いた口が塞がらないとはこの事です。
 
『現時における事の戒壇なり』とは……戒壇の大御本尊おわします所は何処・何方にても直に「事の戒壇」と定義せられたのである」
浅井さんが書いた事の戒壇」の説明は、『現時における事の戒壇』と同じ意味なのです。
浅井さんは、ご自分が書いた物も己義だったと言っているのですよ。
 
日寛上人『法華取要抄文段』
「広宣流布の時至れば一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。其の処は皆是れ義理の戒壇なり。然りと雖も仍是れ枝流にして、是れ根源に非ず。正に本門戒壇の本尊所住の処、即ち是れ根源なり」(日寛上人御書文段五四三ページ)
 
「本門戒壇の本尊所住の処、即ち是れ根源なり」
分かりやすくすると
「我が戒壇の大御本尊は本門事の戒壇の根源なる故に、戒壇の大御本尊まします所は事の戒壇である。」(「訓諭」の解釈文の一部)
となるのです。
 
浅井さんは、『法華取要抄文段』を元に、『猊下の仰せ給う「事の戒壇」とは……』の説明文を書いたものと思われます。
なのに、今は『法華取要抄文段』己義だと言っているのです。
 
どうです?
昔は正論を言っていたのに、正本堂を誑惑の建物とする為に、日達上人、日寛上人までも己義を書かれたと罵っているのです。
顕正会本部の門柱に「冨士大石寺」の看板?があると思うんだけど、これって、日寛上人が書かれた御文字を使ったと言ってなかったっけ?
日寛上人もさぞや御迷惑されている事でしょう。
 
 
 

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