顕正会の泥船

正直に心のままに勇気を出して!

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洗脳を少しずつ解いて

 
『即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり』
の説明をしましょう。
 
『正本堂は未来広宣流布達成の暁の本門寺の戒壇を願望したところの大殿堂ではあるが、未だ広宣流布達成とは申されないほど謗法の徒が多い、故に安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず、須弥壇は蔵の形式をもって荘厳し奉ると申したのである。』
 
浅井さんに渡したとされる「訓諭」の解釈文の一部です。
 
日達上人は、浅井さんが故意に切り離した所を繋げて、解釈文を書いておられます。
また、「たるべき」「願望したところ」とされているのです。
決して、「広宣流布達成の暁には本門寺の戒壇となる」と断定されておられません。
 
 
先般紹介した「訓諭」を もう一度ここに載せます。
「訓諭」
『日達、この時に当って正本堂の意義につき宗の内外にこれを闡明し、もって後代に誠証となす。正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり。但し、現時にあっては未だ謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず、須弥壇は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり。』
 
先日紹介した解釈文と本日紹介した解釈文を繋げてみました。
(解釈文)
『我が戒壇の大御本尊は本門事の戒壇の根源なる故に、戒壇の大御本尊まします所は事の戒壇である。即ち戒壇の大御本尊が御宝蔵に安置せられていた時は、御宝蔵が本門事の戒壇であったのである。正本堂は未来広宣流布達成の暁の本門寺の戒壇を願望したところの大殿堂ではあるが、未だ広宣流布達成とは申されないほど謗法の徒が多い、故に安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず、須弥壇は蔵の形式をもって荘厳し奉ると申したのである。
 
よ〜く読んで、浅井さんの謀(たばか)りを見抜いて下さい。
先日来の日記の内容と照らせ合わせれば、正本堂は御遺命の戒壇で無い事は明らかです。
 
この解釈文を読めば、正しい「訓諭」の意味は理解できますよ。
日達上人の御心も理解できるはずです。
なのに、浅井さんは「訓諭」の意味を知りながら、日達上人の御心を踏みにじり、正反対の意味を会員に教え、宗門を誹謗しています。
知らぬとわいえ、会員も同じ様に宗門を誹謗して罪障を積んでいます。
「訓諭」を途中で切って、正反対の意味が伝わるようにしています。
 
都合の悪い所は隠し、誤解を招くような加筆を加え、充分な説明もせず、誤った考えを会員に植込んでいる。
 
絶対、許せないですね。
こんな小細工をして、いったい何が目的なのか……
 
答えは……
 
組織の存続?
 
ハッキリ言います。
 
浅井さんの名誉欲、金欲の為、浅井一族の存続の為なのです。
 
 
絶対!絶対!ぜっ〜たい!許せないですね。
 
 

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洗脳を少しずつ解いて

 
先日のつづきです。
 
さて、あえて浅井さんの文章を引用しましょう。
大御本尊まします所はいずれも事の戒壇
これを己義と書いている訳ですが、はたしてそうなのでしょうか?
 
『さればいま猊下の仰せ給う「事の戒壇」とは、この広布の時の「事相」に約し給うものでなく、所性の法体の「事」に約し給うたものである。即ち、戒壇の大御本尊おわします所は何処・何方にても直に「事の戒壇」と定義せられたのである。従って、曾っての御宝蔵も、また現在の奉安殿も「事の戒壇」であり、将来正本堂にお遷り遊ばせば同じく「事の戒壇」であるとの御意であられる。』(昭和四十六年十一月十五日)(富士140号)
 
この文は、浅井さんの著書『「正本堂」に就き池田会長に糺し訴う』に載せた文です。
後日、掲載しますと予告した文章です。
学会の池田さんに『猊下の仰せ給う「事の戒壇」とは……』と、説明している文章です。
日達上人の解釈文と、同じ事が書かれていると思うのは私だけでしょうか?
浅井さんが、己義と批判している文章と似ていると思うのは私だけでしょうか?
「事の戒壇」の意味を知っていれば、いずれも」があっても疑問には思わないのです。
 
いずれも」の意味を知りながら説明もせず、会員が誤解するのを承知で「いずれも」の言葉を使って猊下様を非難する。
許せませんよ。
 
 
ある時は、正論として書き、ある時は、己義と誹謗する。
これを二枚舌と言わずしてなんというのか!
呆れて、空いた口が塞がらないとはこの事です。
 
『現時における事の戒壇なり』とは……戒壇の大御本尊おわします所は何処・何方にても直に「事の戒壇」と定義せられたのである」
浅井さんが書いた事の戒壇」の説明は、『現時における事の戒壇』と同じ意味なのです。
浅井さんは、ご自分が書いた物も己義だったと言っているのですよ。
 
日寛上人『法華取要抄文段』
「広宣流布の時至れば一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。其の処は皆是れ義理の戒壇なり。然りと雖も仍是れ枝流にして、是れ根源に非ず。正に本門戒壇の本尊所住の処、即ち是れ根源なり」(日寛上人御書文段五四三ページ)
 
「本門戒壇の本尊所住の処、即ち是れ根源なり」
分かりやすくすると
「我が戒壇の大御本尊は本門事の戒壇の根源なる故に、戒壇の大御本尊まします所は事の戒壇である。」(「訓諭」の解釈文の一部)
となるのです。
 
浅井さんは、『法華取要抄文段』を元に、『猊下の仰せ給う「事の戒壇」とは……』の説明文を書いたものと思われます。
なのに、今は『法華取要抄文段』己義だと言っているのです。
 
どうです?
昔は正論を言っていたのに、正本堂を誑惑の建物とする為に、日達上人、日寛上人までも己義を書かれたと罵っているのです。
顕正会本部の門柱に「冨士大石寺」の看板?があると思うんだけど、これって、日寛上人が書かれた御文字を使ったと言ってなかったっけ?
日寛上人もさぞや御迷惑されている事でしょう。
 
 
 

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洗脳を少しずつ解いて

 
『現時における事の戒壇なり』
の説明をしましょう。
 
顕正会では、この部分をだして、宗門は正本堂を御遺命の戒壇としているではないかと、言い掛かりをつけてきます。
 
猊下様と浅井さんが対面されて「訓諭」の解釈文を出す事で合意されました。
折伏理論解説書(248ページ)に、解釈文の写真が載っています。
会員は、解釈文の存在は知っていても内容をよく知りません。
 
そして、浅井さんは、この解釈文に対して
『すなわち、大御本尊まします所はいずれも事の戒壇、との己義には依然として固執しているものの、』247ページ)
と書いています。
これって、猊下様に対しての書き方じゃないよね。
上から目線だよね。
自分の方が偉いんだと言いたいのでしょうか?
 
また、「いずれも」は、浅井さんが勝手に加えた文字です。
 
日達上人が書かれた解釈文の一部です。
①『我が戒壇の大御本尊は本門事の戒壇の根源なる故に、戒壇の大御本尊まします所は事の戒壇である。即ち戒壇の大御本尊が御宝蔵に安置せられていた時は、御宝蔵が本門事の戒壇であったのである。』
②『正本堂建立完成の時は戒壇の大御本尊を安置し奉るのであるから、正本堂は現時に於ける本門事の戒壇となるのである。』
 
どうです、「いずれも」なんて出てきませんよね。
 
実は、この「いずれも」と入れる事で、読む側にとっては意味合いが大きく変わるのです。
「大御本尊まします所は事の戒壇」
「大御本尊まします所はいずれも事の戒壇」
どうです?
会員は、「事の戒壇」を広宣流布の暁にしか存在しないと思い込んでいるのです。
本来の意味を知らない会員は、「いずれも」が入ると、変?と思ってしまうのです。
「いずれも」はおかしいよ、宗門はおかしいよ、と思ってしまうのです。
「事の戒壇」と「御遺命の事の戒壇」を同一と思い込んでいるのです。
 
後日の日記では「戒壇の大御本尊おわします所は何処・何方にても直に「事の戒壇」……」という文章を載せる積もりでいます。
「いずれも事の戒壇」と似たような意味合いですね。
浅井さんが執筆した書に出てきます。
これを読むと、「大御本尊まします所は事の戒壇」の正しい意味が理解出来るのです。
 
『すなわち、大御本尊まします所はいずれも事の戒壇、との己義には依然として固執しているものの、』
しかし、これだけを読むと、会員は「己義」という言葉を信じてしまいます。
 
折伏理論解説書(248ページ)に、解釈文の写真が載っています。
写真は辛うじて文字が読める状態です。
しかし、「大御本尊まします所は事の戒壇」の正しい意味は発見できません。
 
実は、上記の文は隠れて読めません。
しかし、の文は読めるようになっているのです。
 
①の文を知らずに②の文だけを読めば、正本堂を御遺命の戒壇と意義付けているようにも読めますよね。
それに、解釈文に修正を加えたとなっていますが、①の文には修正を加えていません。
①の文は、自分(浅井)でも正しいと思っているのです。
だから・・・
上記の解釈文も、「訓諭」(Bの文)と同様、故意に隠してあるのかなと、勘ぐってしまいますよね
 
また、解釈文の写真に写っている真中の原稿一行目に、
「十一月二十三日戒壇の大御本尊が奉安殿に安置せられて、奉安殿が本門事の戒壇となったのである」
と、あります。
見逃さないで下さいね。
浅井さんは、この部分にも修正を加えていません。
正本堂を『現時における事の戒壇なり』と仰せられた事と、どう違うのか?
 
「いずれも」が書いてあると思わせたり、誤解を招くような写真を掲載したり、意図的に仕組まれているとは思いませんか?
 
ホ・ン・ト・小細工が好きよね〜
 
小細工じゃ無いと言うなら
顕正会員に「訓諭」と「解釈文」を全文公開してください!
【折伏理論解説書】に載せてください!
できないよね……(笑)
 
つづく
 

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洗脳を少しずつ解いて

まず、「訓諭」をもう一度見てみましょう。
 
先日載せた文です。
【折伏理論解説書】(改訂版 平成111130日)(235ページ)
『日達、この時に当って正本堂の意義につき宗の内外にこれを闡明し、もって後代に誠証となす。正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり。』Aの文)
 
【折伏理論解説書】に載ってない続きの部分です。
『但し、現時にあっては未だ謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず、須弥壇は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり。』(Bの文)
 
続きがあったなんて知ってました?
ネットでしか見れないでしょう。
この文は凄〜く重要ですよね。
 
さて、顕正会員さん、この文を読まれてどのように解釈されました。
なんか、顕正会内で言われている事と違う〜と思われました?
学会と顕正会とが、訓諭の解釈で正反対であった理由が分かって頂けました?
(Bの文)を読めば、正本堂は御遺命の戒壇とはなりませんよね〜
当然、浅井さんはこの文を知っていました。
そして、故意に隠したんですね〜。
ご丁寧に、折伏理論解説書に載ってる「訓諭」の写真も(Aの文)で切っています。
 
この続き文を会員に知られると浅井さんの立場はどうなりますかね?
浅井さんの立場…… 無くなっちゃいますよね。(笑)
正本堂を御遺命の戒壇としなければ、浅井さんの立場は無くなっちゃいますね。
本当はね、正本堂を御遺命の戒壇と意義付けたかったのは、浅井さん自身だったんですね〜。
 
皆さんご存知のように、平成10年に正本堂が解体されました。
顕正会では、「御遺命守護完結奉告式」が行なわれました。
みんな、涙を流して喜びましたよね。
しかし、この時点で、顕正会は存在意義をなくしたのです。
正本堂が解体されて一番困ったのは浅井さんなんですね〜
 
正本堂を御遺命の戒壇としなければ顕正会の存在意義は無いのです。
正本堂が無くなれば存在意義は無いのです。
そこで、宗門への新しい攻撃材料を見つけて組織の運営を図ったんですよ。
それが、「血脈相承断絶」「御開扉の中傷」等々です。
以後は、宗門を口汚く罵ることで組織の存続を図っているのです。
 
話しを戻します
浅井さんは、(Aの文)に対し、①②③(前々日の日記)の難癖をつけました。
しかし、(Bの文)を見てください。
但し……」として、直前の文を否定されるようなお言葉になっていますね。
そうです、この部分を載せてしまっては、浅井さんの難癖が全く意味をなさないのです。
 
「現時にあっては未だ謗法の徒多きが故に」 
これは、広宣流布はまだであるという意味ですね。
「大御本尊はこれを公開せず、須弥壇は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり」 
これは、奉安殿やこれまでの堂宇と同じ形式の建物という意味です。
現在の奉安堂も同じ形式の建物となっています。
これまでと同じ形式で作られた建物なら、国立戒壇否定の建物と難癖がつけられないですよね。
ここに、浅井さんの姑息なトリックがあるのですよ。
 
故意に(Bの文)を隠した事は明らかです。
浅井さんは無理にでも正本堂を国立戒壇否定の建物としたかったのです。
自身の正当性を顕正会員に植え付けたかったのです。
 
つづく
 

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洗脳を少しずつ解いて

昨日のつづきです。
 
まず、『折伏理論解説書』に書かれている①②③(昨日の日記について簡単に破折しておきます。
について・・・
「国立戒壇」の名称を使用しない事で「国立戒壇永久放棄」となるのならその通りですね。国立戒壇が御遺命ではないのですから。浅井さんが考えているような本門の戒壇では無いという事です。正本堂の意義が公式決定された事は良い事です。ただ、学会員は、この訓諭によって、正本堂は御遺命の戒壇ではないと知らされたのです。
同じ訓諭なのに、何故、学会と顕正会と正反対の解釈になったのか……不思議ですね。
について・・・
『正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。』即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり』
このお言葉に対する批判と思われますが、「意義を含む」という所に注目してください。含むというのは、100%では無いという事ですね。むしろ、含むというのは、少しという意味の方が強いんではないでしょうか。即ち、御遺命の戒壇では無いということです。したがって、「前以て建てておいたものである」は、通用しないのです。また、日達上人が仰る「事の戒壇」の意味が理解できれば、「意義を含む」の意味も理解出来ると思います。このことは、後に説明致します。
『即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり』
この部分も後に説明致します。
について・・・
②で説明したように、正本堂は御遺命の戒壇では無いということなので、「国立戒壇否定の目的は果たしている」とはならないのです。それに、国立戒壇の否定は「今後、本宗ではそういう名称を使用しないことにいたします。」(昭和四十五年五月三日)と既に決定されている事なので、今更、正本堂と国立戒壇を結びつける事は難癖以外の何物でもありません。
 
さて、これから「訓諭」の解釈について詳しく説明していきますが、①②③について更に詳しい説明にもなっています。浅井さんの姑息なトリックが次々に暴かれて行きます。
ご期待下さい。
 

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