顕正会の泥船

正直に心のままに勇気を出して!

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【折伏理論解説書】(改訂版 平成111130日)(235ページ)
『日達、この時に当って正本堂の意義につき宗の内外にこれを闡明し、もって後代に誠証となす。正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり。』
 
上記は、日達上人が昭和四十七年四月二十八日に出された「訓諭」の一部です。
顕正会員なら皆さん知っていますよね。
 
『折伏理論解説書』には
①『先には、「国立戒壇永久放棄」が公式決定され、いまここに正本堂の意義が公式決定されたのである』
②『この訓諭の意味するところは、正本堂は、一期弘法付嘱書・三大秘法抄に御遺命された戒壇を、前以て建てておいたものである。よって広宣流布の日が到来すれば、そのまま「本門寺の戒壇」となる建物である、というものだ』
③『正本堂を、前もって建てた「本門寺の戒壇」としたことで、国立戒壇否定の目的は果たしている』
と、以上の事が記載されています。
 
この辺で、顕正会員はコロット騙されるのですね。
(私もそうでした。ヘヘッ)
「訓諭」の解釈はネットで色々と調べないと分かりません。
顕正会では「ネットは見るな!」と指導されます。
確かに悪質な書き込みもありますが、浅井さんにとって都合の悪い事がいっぱい出てくるからです。
ほんとぅ〜に、何が清らかな団体だ!と、つい怒鳴りたくなる内容ばかりです。
 
『折伏理論解説書』には浅井さんのトリックが沢山盛り込んであります。
先の日記にも書いた「名称」という言葉も以降は出てきません。
「名称」という言葉を隠して、宗門は御遺命違背したとすり替えていったのです。
「訓諭」の解釈については、後に詳しく説明いたします。
真実を知れば、ビックリしますよ。本当!
 
つづく

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【折伏理論解説書】(改訂版 平成111130日)(213ページ)
『わが日蓮正宗においては、広宣流布の暁に完成する戒壇に対して、かつて「国立戒壇」という名称を使っていたこともありました。しかし、日蓮大聖人は世界の人々を救済するために「一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し」と仰せになっておられるのであって、決して大聖人の仏法を日本の国教にするなどと仰せられてはおりません。日本の国教でない仏法に「国立戒壇」などということはありえないし、そういう名称も不適当であったのであります。・・・・今後、本宗ではそういう名称を使用しないことにいたします。』
 
上記は、日達上人が昭和四十五年五月三日、第33回 創価学会本部総会において御講演をされた内容です。
『折伏理論解説書』には「国立戒壇放棄の宗門の公式決定」として記載されています。
 
まず、国立戒壇の名称を使用しないとされた事が、どうして宗門の宿願とされる本門の戒壇建立を放棄した事になるのか?
 
放棄した事にはならないですよね。
 
なぜなら、「名称を使用しない」とされた事で、本門の戒壇建立の本義は変わっていないという事を仰せなのです。
顕正会員は、日達上人は名称を使用しないと仰っただけで、本門の戒壇建立を放棄された訳ではないと、いくら説明しても理解しない。出来ないようです。
御書もそうですが、猊下様のお言葉も素直に拝読しないと己義となってしまいます。
 
では、どうして国立戒壇の名称がいけないのでしょうか?
その理由は文中でも書かれています。
が、大事な事が記載されていません。
うっかり忘れたのか?
いやいや、故意に記載しなかったと見るべきでしょう。
文中の「・・・・」が気になりますね。
 
記載されなかった「・・・・」の部分
『明治時代には「国立戒壇」という名称が一般的には理解しやすかったので、そういう名称を使用したにすぎません。明治より前には、そういう名称はなかったのであります。今日では「国立戒壇」という名称は世間の疑惑を招くし、かえって、布教の邪魔にもなるため、』
 
顕正会員は「国立戒壇」という名称が古来より使われてきたと思っています。
そのように思い込まされています。
文中に於いても、
「わが日蓮正宗においては、広宣流布の暁に完成する戒壇に対して、かつて「国立戒壇」という名称を使っていたこともありました。」
と書かれている事から、そのように思い込んでしまっているのです。
しかし、「国立戒壇」の名称は、御書にも見られないし、明治時代以前の猊下様の御指南にも見られません。
明治時代からの僅かな期間でしか使われていない名称であれば、使用しないように、となってもなんら問題は無いはずです。
「国立戒壇」の名称が古来より使われていると講員を洗脳したかったから、「・・・・」と故意に記載しなかったのでしょう。
 
「国教」という言葉も同じです。
「国立戒壇」という名称に付随して出てきた言葉です。
国立戒壇には国教が不可欠であると信じられたのです。
顕正会では、「広宣流布」と「国教」が同義語であるように教えられているのです。
「国立戒壇」という名称が使われなくなれば、「国教」という言葉も消えてなくなります。
本義を変えず、「本門の戒壇」「広宣流布」という本来の呼び名を用いて何処に不都合があるのでしょうか。
 
次に
『今日では「国立戒壇」という名称は世間の疑惑を招くし、かえって、布教の邪魔にもなるため、』
このお言葉にも重要な意味が存在します。
一見、顕正会にとっては有利な言葉のようにも思えます。
「国立戒壇」を否定している として…
ならば、なぜ記載せず隠す必要があったのでしょうか?
 
元々、「国立戒壇」という名称は、身延派の元僧侶「田中智学」が考え出した言葉なのです。
田中智学は、軍部と協力してアジア極東を侵略しながら、日蓮宗の教えを広めようとしたのです。
浅井さんの「国立戒壇論」は、田中智学が考えた、天皇中心、国家中心の「国立戒壇論」と非常に似ているのです。
「国立戒壇」という名称は、田中智学が考えたと露見する恐れがある為記載しなかったのではないかと思われます。
「世間の疑惑を招く」というのは、田中智学の「国立戒壇論」を指してのお言葉なのです。
ついでに、浅井さんの「国立戒壇論」も含んでいるのですが….
 
ではどうして「国立戒壇」という名称を宗門が使うようになったのか?
田中智学の「国立戒壇論」は、「一期弘法付嘱書」「三大秘法抄」から湾曲して考えられた物なのです。「国立戒壇」にはどの御本尊を安置するべきかと宗門と法論する事になったのです。その時、便宜上に使われたのが始まりなのです。
『明治時代には「国立戒壇」という名称が一般的には理解しやすかったので、そういう名称を使用したにすぎません』と言う事です。
 
「国立戒壇」という名称を使うと、
田中智学の考えた「国立戒壇論」と同じと、疑惑を招く事になる。
浅井さんが主張する「国立戒壇論」が、宗門の宿願であるとの疑惑を招く事になる。
どちらも、宗門が目指す、「本門の戒壇」と「広宣流布」の妨げになる事は言うまでもありません。
だから・・・本義に触れる事無く、名称を使用しないとされたのです。
「本門の戒壇」建立の本義は、「一期弘法付嘱書」「三大秘法抄」に書かれている事です。
 
 
どうです?
浅井さんの難癖のつけ方、宗門を悪く見せようとするトリックが理解できたでしょうか?
 
顕正会での洗脳を少しずつ解いて行きましょう。
 
 

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脱会後・・・

顕正会を去る(見切りをつける)理由として、大別すると次の様になります。

1、大聖人様の教義から逸脱している事に気付き脱会に至る方。
2、顕正会の組織運営や幹部に疑問を感じて脱会する方。


1、について
顕正会の教義的な間違いをキッチリと把握することが大事です。
「依法不依人」を理解できる方です。
この様な方は、宗門へ移っても信心がぐらつく事なく大聖人様を見つめた信心修行をなされています。
「教義的な間違い」とは、「偽本尊作成」「血脈否定」「国立戒壇の間違い」「勤行のやり方」「葬儀のやり方」などがあります。
「依法不依人」とは、
正宗では当たり前に使われている言葉ですが、顕正会では聞かない言葉ですね。
「法に依りて人に依らざれ」
「法」とは大聖人様の教え、経文や御書という事です。
「人」とは、講釈師のような口の上手い者。
つまり、浅井さんのような口の上手い詐○師の言う事は、信じてはいけないと言う事なのです。
顕正会では聞かない理由がよく分かりますよね。
大聖人様の教えを根本にして正邪を見分けなさいという事です。
顕正会では都合のいい僅かな御書しか教えません。
正邪を判断するのは難しいです。


2、について
この理由で脱会した方は中々洗脳が解けないで悩んでおられます。
人や組織に疑問を感じて脱会しても
教義の逸脱や偽本尊の過ちを深く理解しないと、
「ひょっとして顕正会は正しいのでは無いか」と、
心がフラフラと不安定な状態を引きずってしまうのです。
未練を断ち切る事が出来ないのです。
経済苦に陥り精神的に病んで心身共にボロボロになって脱会したはずなのに。
喉元過ぎればなんとやらではないが、顕正会時代を懐かしんでいる人もいます。
この様な方も心に深く毒気が入り込んでいるようです。
顕正会の間違いをしっかりと、教義の上から理解しないとこのような事になります。
あの人は親切だったとか、尊敬できる人だったとか…….
どこの新興宗教でもその様な方は居られます。
騙されていると本人が気付くまではね。
脱会しても洗脳が解けず、罰が当たると我見に陥り思考力を失って戻ってしまわれる方が居られます。
正宗であれば、教義の上から顕正会の間違いを教えてあげられたのに……
可哀想でなりません。


それと、宗門に帰依したら直ぐに幸せになれると思っておられる人がいます。
帰依したからと言って直ぐに罪障消滅が叶う訳ではありません。
顕正会の洗脳を解かなければ素直な信心が出来ません。
素直な信心が出来てこそ、罪障消滅が進んでいくのです。
しばらくは、良薬を飲んでも毒が消えるまで苦しい日々が襲ってきます。
魔の働きもあるでしょう。
罪障という膿を出し切らないと直らないのです。

教義の上からしっかりと顕正会の間違いを把握し、素直な信心に励んで頂きたいと思います。

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御書を心肝に染めよ

【寂日房御書】  弘安2年9月16日(1393頁)

 『夫(それ)人身をう(受)くる事はまれなり。已(すで)にまれなる人身をうけたり。又あひがた(値難)き仏法、是又あへり』(1393頁)

この御書は顕正会でも聞いた事があるでしょう。
幹部諸氏がよく口にしていますね。

「人身をう(受)くる事はまれなり。」
世界中の人口はどれだけなのでしょうか。
有情の生命から見ると人間なんて一握りでしかありません。
人間に生まれてくる事がどれだけ難しい事なのか。
地球の歴史から見れば、人類の歴史自体が僅かでしかありません。

「あひがた(値難)き仏法」
とは、大聖人様の仏法を指しています。
釈尊が説いた仏法を指している訳ではありません。
外道・邪教と比較すれば、釈尊が説いた仏法も優れていると思います。
しかし、末法においては大聖人様の仏法が最大事です。
太陽が出れば月の光は消えてしまいます。

人間として生を受け、あひがたき仏法に巡り合えた宿縁をどうして無駄に出来るのでしょうか。
大聖人様は大石寺におわします。
どうして、自らお逢いする事を拒否するのでしょうか。
どんなに正当な理由を述べるとも有り難さが理解できるならば、何を差し置いても逢いに行くべきです。

所詮、顕正会の信心は此処までです。
「ありがたい」と思っているが……で、終りです。

この文の続きにはこうあります。
『同じ仏法の中にも法華経の題目にあひたてまつる。結句題目の行者となれり。』
南無妙法蓮華経と唱える宗派は多数あります。
でも、大聖人様の御説きになられた御題目は日蓮正宗でしか唱えられません。
顕正会、学会、身延等々、同じ題目でも信心の血脈が流れていません。
『題目の行者』とは、日蓮正宗で御授戒を受ける事で真の『題目の行者』となれるのです。
大聖人様と縁を結ぶ為には御授戒を受けなければなりません。
縁を結んでいると、思っているだけでは、人生は虚しく果かない物になってしまいます。

更に、続いて…..
『まことにまことに過去十万億の諸仏供養の者なり』
人身を受け巡り合えた有り難さは、過去の諸仏供養の御蔭だと仰せです。
「ありがたい」の報恩感謝と御供養を重ねなければ、来世においても人身を受けられる保証はありません。
ましてや、顕正会に籍を置き、御法主上人や正宗を誹謗していれば、たちまち福運も尽き果て人身に生まれ叶わぬとなってしまいます。
顕正会で行われている「広布御供養」は、一円たりとも大聖人様への御供養に使われていません。
虚しいですね。

顕正会では「御書を心肝に染めよ」と言います。
心肝に染めるというのは、口先だけで終わらせる事ではありません。
行動に移す、実践するという事でもあります。
顕正会に疑問を持たれている方、今こそ行動を起こすべきです。
大石寺はいつでも見学できます。
御自分の目で大石寺を見てください。
いつでも、お手伝いをさせて頂きます。

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ひっそりと….

…….
潜んでいました。
じっ〜と オトナシク……
こちらの気を伺い、いつか襲ってやろうと…..
ヤツは突然やって来る。
なんの前触れもなく…..
ヤツの苦痛に脅える日々……
いつまで続くのだろうか…..
映画「エイリアン」を思い出した。
体内でエイリアンがうごめく光景……
ふたたび、あの苦痛に耐えられるのか……
助かる道は二つ……
ヤツがこのままずっ〜とオトナシクしているか
ヤツが何もせずに通り過ぎて行くか……
どちらにしても、ヤツの気分しだいって事だ。

ヤツの正体は…..




7日検査に行きました。
尿検査….異常なし
レントゲン……うむ….

それらしい物はあるが、ハッキリ断定できない。

じゃ、造影検査しましょうか。

えっ!

じゃ、これ読んでサインお願いします。

ええっ!

造影検査の為に点滴で薬品を注入するそうです。
その為、アレルギーはないか、副作用で思わぬ事態が起こった時、病院側の防衛の為に承諾書にサインをする事になります。

サインを拒否すれば検査は行なわれない。
検査しなければ原因はわからない。

患者にとって選択の余地はないですよね。
これって、どうなの?

まぁ、取り合えずサインをして、21日造影検査を受ける事になりました。

21日当日……
実はこの日を迎えるにあたり、事前に造影検査ってなに?て周りの人に聞いていました。
点滴のアレルギーで全身かゆくなったとか、めまいが起こり意識がもうろうとして立てなかったとか、かなりビビらされていました。
今日は帰れないかも知れないと思いつつ検査に挑みました。
点滴の針は思った以上に痛く、先行き不安です….
先生も気分は大丈夫ですか?と何回も聞いてきた。
あぁ〜これからめまいが襲ってくるのか〜と覚悟しました。
心臓がドキドキしてきました。

息を止めてレントゲン撮影……バシャッ!
もうそろそろめまいが襲って来てくるか〜

また、息を止めてレントゲン撮影……バシャッ!
もうそろそろかな〜

またまた、息を止めてレントゲン撮影……バシャッ!
もう来てもいいころだろ〜

ハイ! いいですよ〜

なにが?

えっ! もう終わったの?

……….

身体は何ともありません。

あっ、もういいの。

あっさり造影撮影は終わってしまいました。(笑)

診察…..
レントゲン拝見
先生「これだな、これこれ!」
私「これですか…」
先生「ハイ!結石決定!」
私「….…」
先生「まぁ、ちっちゃいから直ぐに出ると思うよ。ひょっとしたら帰りに出るかもしれないよ。でも、一ヶ月後かも知れない。私にもわからない〜」
私「….…」
先生「取り合えず、一ヶ月様子を見ましょう」
私「ハァ….…」


結果は「左結石」でした。

ヤツの正体とは「結石」

一ヶ月、クスリを飲んで様子を見る事になりました。

次回の検査は2月25日です。

どうなることやら…..

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