顕正会の泥船

正直に心のままに勇気を出して!

無題

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

ケッコウ面白いのです

皆さんは「ヒーロー戦隊シリーズ」をご存知でしょうか?
日曜、朝日放送(関西)7時30分〜8時30分まで放送している男の子のヒーロー物です。
今は
「侍戦隊シンケンジャー」
「仮面ライダーディケイド」
をやっています。
これがケッコウ面白いのです。

3歳の息子に見せてやろうと見出したのですが、お兄ちゃん(高校、中学)、妻と私。
家族全員がファンになっています。
今迄も、たまにチャンネルを回すと見る事はあったのですが、イマイチ面白くなくスルーしていましたが、今放映中の物は大変面白いですね。

日曜日はたいがい朝から御登山や末寺参詣で忙しいので録画しているのですが、毎回楽しみにしています。

「侍戦隊シンケンジャー」
いつもの如く、レッド、ブルー、ピンク、グリーン、イエローの5人組です。
先々週からゴールドが加わりました。(これもいつものパターンです)
このシンケンジャー何が良いのか?
ストーリーがいいのです。
メインの俳優さんも役柄にピッタリですね。
すごくバランスの取れたチームになっています。
涙あり感動有り、当然、笑いもふんだんにあります。
巨大合体ロボットはイマイチちゃっちいのですが、幼児向けという事で許しチャオかな?と云うところです。
主題歌もテンポ良く気に入っています。

「仮面ライダーディケイド」
今までの仮面ライダーとは一味も二味も違いますね。
最初は変な顔しているな〜と思っていたのですが、慣れてくると今までのライダーの中では一番カッコいいと思うようになりました。
ディケイドのボディーカラー、ムラサキとホワイトのバランスが非常に上品に見えます。
こちらもストーリーが面白いですね。
「9つの世界を破壊する」と言われる「仮面ライダーディケイド」。
実際は9つの世界を救っている。
来週からは又違う世界、10個目の世界へ行く事に・・・
9つの世界、歴代の仮面ライダーが次々と出てくるのです。
「電王」「響鬼」「キバ」「カブト」「龍騎」「ブレイド」「555ファイズ」「アギト」「クウガ」など、悪役もそれぞれのシリーズにあった軍団が登場するのです。
ディケイドの決めセリフが「通りすがりの仮面ライダーさ」である。
また、ストーリー中のセリフで好きなのが、「ちょっとくすぐったいけど、我慢しろよ」。
知らない人には何の事?と思われるであろうが、私はケッコウ気に入っています。
分からない人は是非見て頂きたいです。

信心とは全く関係ない話ですが、家族の「マイ・ブーム」を紹介させて頂きました。
顕正会時代はこんなの見てる余裕なかったな〜

開く コメント(0)

絶対、守りたい

二時間唱題も残り1ヶ月を切りました。
やはりキツイです。
二時間の唱題がキツイ訳ではない。
二時間を作るのがキツイのです。
平日は6時30分頃起きて勤行、朝食。7時30分には家を出ます。
帰宅は21時を回る事が多い。
夜の勤行、晩ご飯を食べ、それから二時間唱題を行なう。
ちょっと家の雑用などがあると23時頃から二時間唱題を行なう時もある。
終わると夜中1時を回る事がある。
お風呂に入って布団に入る頃は2時前である。
1日4〜5時間の睡眠である。
この状態が2〜3日も続くと流石に疲労が蓄積されて終末はかなりキツイ事になります。
それでも、二時間唱題は日如上人とのお約束です。
御本尊様に向かってのお約束でもあります。
絶対、守りたいと思います。

休日は夕方までに二時間唱題を終わらせ、夕の勤行後に夕食時に飲むお酒が楽しみです。
お酒も週一で量が減りました。
でも、ショッピングに付きあわされ二時間唱題が出来なくなるとお酒が飲めないので寂しいです。
次の休日までお預けになります。(トホホッ・・・)

でも、本当に辛いのは二時間を作れるのか?
という状況になった時です。
一番やばかったのはゴールデンウイークの期間です。
とはいえ、私は仕事でしかも夜勤の週だったのです。
5月1日〜5日まで夜勤でした。
ところが、急遽3日に御登山する事になったのです。
夜勤明けで寝る間もなく自家用車で出発です。
高速道路は大渋滞です。
大石寺に朝9時に着く予定が11時30分になりました。
お昼を食べて御開扉。
帰りも渋滞で遅くなるのを覚悟して、御開扉後夕方4時の唱題会に参加。
その後、常唱堂で夕の勤行を済ませてから帰路につきました。
翌日は夜勤と云う事で時間に余裕はあったのですが、家に着いたのは夜中の2時ぐらいでした。
流石に疲れていたので、唱題は起きてからと寝る事にしたのです。
目が覚めると11時ぐらいでした。
昨日の夜勤明けの疲れと長時間運転の疲れからか体が動かない。
慌てて朝の勤行をして朝食(昼ご飯)を済ませました。
さて、これから昨日の分の唱題も合わせて約3時間。
唱題が終わったのは16時前でした。
直ぐに寝て、18時30分に起きて夕の勤行と晩御飯です。
17時30分に自宅を出ました。
睡眠は2時間と少々、この日の夜勤は辛かったですね。
二時間唱題を翌日まで残したのは初めてだったのですが、どんなに辛くてもその日の唱題はその日の内にとつくづく思いましたね。
皆さんも分分に応じて御苦労されていると思いますが、お互いに頑張りましょう。

ちょっと前の出来事でした。
チャンチャン。

開く コメント(5)

経験は人生の宝

「経験」て大事ですよね。
突然、何の事? と思われるでしょうね。

辞書によると、
「実際に見聞きしたり、自分でやってみたりすること(によって得た知識や技術)」
とあります。

「失敗は成功の元」
この言葉も経験する事の大事を教えてくれていると思います。

経験する事で見えてくる物があります。
見えなかった事が見えてくる。
人は自分が理解出来ない事や見えない物は間違いである。とか、認めないとなるのです。
最悪の場合、理解出来ない物事に対して、批判したり悪口を言う事にもなるのです。

「人の心の痛み」なども経験がないと分からない事だと思います。
私も人の事は言えません。
どちらかと言えば「人の心の痛み」を理解出来ない人間なのです。
直ぐに、相手の感情的な部分は無視して道理で詰め寄ってしまいます。
知らずしらずのうちに、相手を追い詰めてしまうのです。
経験の無さでしょうか。
慈悲がないのでしょうか?
でも、これも若いうちだけ。(笑)

今はヨボヨボです。(笑)
今も心の痛みは理解出来ないけど、理解しようと努力するようにしています。
逆に、最近では相手の事を思い過ぎて、何でも許しちゃうようになって来ました。
相手の立場や状況を考えると責められなくなるのです。
これも、仏法のお陰なのでしょうか?
「今生人界の思い出」て、言葉は顕正会ではよく使います
ある意味において、経験は「人生の宝」にもなります。
楽しかった事より辛かった事の方が懐かしく思い出として印象に残っています。
辛い時も苦しい時も「人生の宝」になるように乗り越えて行きたいと思います。

四条金吾殿御返事  建治2年6月27日
「苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思ひ合はせて、南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ。」

開く コメント(0)

魔は己心に潜んでいる

人生は色々な事が起こる。
どうして、色々な事が起こるのか?
特に人間関係におけるイザコザは精神的にも疲れる。
人と人とのぶつかり合いは、一度もめると修復が難しい。
なぜか?
お互いが正しいと主張し合うからです。
どちらも正しいのです。
目線の角度が違う。
これが争いの根本原因なのです。
どちらもがお互いを尊重して歩み寄れば解決することも、意地とかプライドが邪魔して歩み寄ることが出来ないのです。

仏法ではどうか?
正しいか否かの判断は道理で決まります。
文証に照らし合わせて判断していきます。
時には個人の感情的な部分は道理によって押し潰されてしまいます。
感情に流されないように。
「依法不依人」
「法に依って人に依らざれ」という意味です。
感情に走らず、「法」に対して正しいのか?
を考えるべきです。
大聖人様は「十四誹謗」を犯してはならないと御教示されています。
普段は正しい事を言っている人も感情的になると「法」を犯してしまう事があります。
喩え相手が理不尽と思えるような事でも、こちらが「法」を犯して構えてしまえば罪障を積むのはこちらです。
魔は己心に潜んでいるとも言います。
外からの魔は見破りやすいのですが、己心に潜む魔は気づかないのです。
「心の師とはなるとも心を師とすべからず」(義浄房御書)

顕正会の浅井会長は、正本堂建立の時、宗内に広がっていた御遺命達成の空気を一掃させるような行動をしました。
この事だけを見れば評価も出来ると思います。
しかし、その後、自分は正しいとして何をしても許されると思ったのか、猊下様に対する信も忘れ、「流血の惨云云」などと脅迫文書まで送り付けるようになったのです。
宗務院並びに他の信徒に対して非難中傷を加え、機関誌の大量配布、デモ行進などを行ったのです。
喩え自身が正しいとしても、「十四誹謗」を犯しては、その身を滅ぼしてしまいます。
その事に、今だ気づいていないようです。
正しいとしても、怒りの感情で行動すれば罪障を積んでしまいます。
自分が正しいと思うなら、大聖人様を信じて耐えて行けば罪障を積む事なく問題解決して下さるのです。
「自分で何とかしなければ・・・。」
これでは、大聖人様を信じてない事と同じです。
信があれば耐える事が出来ると思います。

自分の心に正直に生きたい。でも、「十四誹謗」を犯すような事だけはしたくありません。
常に「依法不依人」を忘れず、用心堅固でありたいと願っています。

開く コメント(1)

不似合いな日記

もう直ぐ「立正安国論、正義顕揚七百五十年」大結集が行なわれます。
注意事項が書かれた冊子などを頂きました。
細かい注意が書かれています。

この構想が打ち出されてから数年が経っています。
当時、私は顕正会員であり、この様な構想があることすら知りませんでした。
それが、今はこうして正宗信徒となり大会に参加出来る事になるとは夢にも思っていませんでした。

また、逆に、この構想を知りながら頑張っていた方の中にも、正宗を去る事になった方もおられるのではと思います。

共に、宿縁と言ってしまえばそれまでなのですが、人生は思い通りには行かない驚きの連続であると、改めて感じているこの頃です。

先日、大きな動きがあったと日記に載せました。
一つの組織で頑張っていた方達が、それぞれの想いで別れる事になったのです。
組織に残る者、新しい組織に入った人達、また、一人で違う組織に入った人など、それぞれが違う道を歩み始めたのです。

この「別れ」という物は、宿縁の違いなのでしょうか?
持って生まれた罪障の違いなのでしょうか?
自身の想いとは違う力によって動かされているのでしょうか?

自身が選んだ道にせよ、何かの力に動かされ選んだ道にせよ、自身が持って生まれた宿縁や罪障からは逃げる事は出来ない。
やっぱり、宿縁や罪障により道が分かれているのでしょうね。

仏法を始めたキッカケは罪障消滅、幸福な境涯になりたい。ではないでしょうか?
成仏が約束され目標は一つでも、歩んで行く道は人それぞれなのです。

成仏までの細く長い道、一本の糸のようにクネクネと続く長い道。
人と人との触れ合いは、糸と糸とが交差した接点なのでしょうか?
宿縁が深い人とは何回も交差するのでしょうか?

・・・・・。

なんとなく、不似合いな日記になってしまいました。
が・ん・ば・る・ぞ〜

開く コメント(2)


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事