北の大地の文人

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唐牛健太郎

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(巨大な帝国)

若い頃に「アメリカ帝国主義」という単語を使って米国にレッテルを貼りこの国の侵略性を批判しました。当時は1950年に起きた朝鮮戦争は米国が仕掛けたものでその証拠に戦争勃発一週間前にダレス国務長官顧問が南北境界の前線38度線を視察している、と根拠薄弱な理由をあげて仲間たちを説得していました。

確かに1949年から始まった共産党弾圧事件(下山、三鷹、松川)は、大々的な反共キャンペーンを生み、さらに開戦直前には共産党幹部の公職追放(レッドパージ)となるのです。

この奇妙な「なりゆき」こそは、韓国の北への侵攻以外に説明がつかないと若い頃は信じて疑いませんでした。しかし歴史の真実は、不思議です。毛沢東とスターリンが従前からの金日成の南朝鮮侵攻要請に許可を与え、人民共和国軍が6月25日に南への侵攻を開始したのです。

今、大国のアメリカが原子力空母や自衛隊を従えて朝鮮半島近隣において有事の準備をしています。共和国によるミサイル発射や核実験が実施されれば、直ちに内陸部にミサイルを撃ち込み軍隊を展開させるというのでしょうか。

先日、アメリカはシリアにトマホークミサイル59発を打ち込み、アフガンではMOAB(Mother of All Bomb)を使用して地下に展開していたイスラム国テロリストと称される人々の殺害を図りました。

これは朝鮮民主主義人民共和国(以降、「共和国」)に対する異様な恫喝であり、実際に共和国に武力介入すれば国連決議なき「侵略」ともいえます。極右の安倍が、シリア政府軍の化学兵器使用の根拠を問われ、答えることが出来ずに「アメリカの行動を支持する」と早々に声をあげたのは侵略者におべっかを使う売国奴にほかなりません。

真に国土と日本人を愛するなら直ちに戦争に巻き込まれるのを回避する方策を考えるべきです。恫喝は新たな暴力を生むだけで問題解決にはなりません。

凶暴な帝国はダブル・スタンダードの主義主張を振りかざし、世界の覇権国たらんとしているのです。トランプ大統領誕生時に、放棄した「世界の警察」という役割をご都合主義で復活させたのです。

「貧しき民のための国」とは言い難いアメリカは、覇権を最大限利用し自国利益のために外交の基本「国際協調主義」を放棄したかのように見えます。このまま「○○に刃物」の状態が続けば、戦争の勃発は免れられないかもしれません。

「力で平和を!」と叫ぶ輩からは手段を目的化する「死の商人」の臭いがつきまといます。朝鮮半島で戦闘が始まれば「特需」が生まれる、それは国益にも適うといわんばかりです。

従順で柔和な人々からは、物事の本質を見極め困難に立ち向かう気概が見あたりません。所詮、悪を正し義を貫く「サムライ」などというものは存在しないのでしょう。

初夏の日差しを感じながら佐野真一著「唐牛伝ー敗者の戦後漂流ー」(小学館2016年8月1日発行)を読んでいます。大学の大先輩である唐牛健太郎(かろうじけんたろう)氏は60年安保闘争の全学連委員長でした。彼は医師島成郎とブント(共産主義者同盟)を立ちあげた人物です。

この作品は唐牛没後30年に書かれた人物伝で、このなかには私の知っている人々が登場します。

北海道新聞の小林金蔵氏(林白言氏の友人)と元民主主義青年同盟中央委員川上徹(僕らの時代の若き指導者)氏です。

この二人は唐牛元全学連委員長の生い立ちや時代背景を考察する上で著者佐野氏が必要とした人物たちです。

それまで全学連に対して好意的であった新聞(朝日、毎日、読売等七紙)が、1960年6月15日東大生樺美智子さんの死で、一斉に学生の行動を非難する共同宣言を発表(6/17)します。地方新聞もその宣言に倣うのですが、唯一北海道新聞だけは声明に従いませんでした。そのとき道新にいたのが後の論説主幹となる小林金蔵氏です。

林白言氏はこの小林金三氏と交流を深め林氏没後1年の記念同人誌(文芸北見第30号1992年12月)に追悼文を寄せています。

そしてもう一人の川上徹氏は、著者佐野氏が共産党を非難する箇所に登場します。

1963年2月26日TBSラジオ番組「ゆがんだ青春―全学連闘志のその後」で、安保闘争当時全学連は右翼の田中清玄から闘争資金を貰っていたという驚愕の事実が暴露されます。

このことを聞いた川上徹氏が二日後の赤旗に次のように述べたと、著者佐野氏は書いています。
・・・(この)放送を耳できいて、安保のとき真剣にたたかったすべての人たち、父や母、労働者、農民そして三池で額に深くしわをきざんだ炭鉱労働者たちの顔を思いうかべ、涙が出るほどくやしかった。(前記作品146頁より引用)
この赤旗での川上氏の意見を佐野氏は痛烈に批判します。「唐牛自伝」の著者は当時の全学連の行動に賛同し、共産党を裏切り者として扱っているのです。

佐野氏のこの川上批判はトロツキストのスターリニスト批判と同じで、かつ、川上氏に対して感情的な一文を書いています。

60年当時の日本共産党を裏切り者として批判するほど著者は共産党の歴史を知っているのでしょうか。私には疑問です。

新日和見主義者として共産党から批判された川上氏は、終生、代々木への熱い思いを断ち切れなかったのではないでしょうか。除名に至らなかったまでも除名相当の処分、待遇を受けてもなおコミュニストたらんとして凛として生きたと私は理解しています。

その生きざまは林白言氏と根底では一致しているものと私なりに解釈しています。

昨今の朝鮮半島の緊迫した軍事情勢が新たな悲劇的段階に進むことを許してはなりません。先人たちが「戦争反対」と渾身の力を込めて叫んだことを忘れてはならないのです。

60年安保闘争闘士の自伝を読み、古典的コミュニスト精神が所在なく漂流しているであろう玄界灘に思いを馳せています。

注)孤高の革命家「林白言」氏
 戦前、朝鮮で生まれ、故あって、両親とともに五歳で玄界灘をわたり終戦を陸別駅で迎える。戦後の労働運動が盛んなときに、国労中央執行委員を務めるが、合理化の嵐の中で解雇され、北海道に舞い戻る。差別と苦難を乗越え、北の大地で文化活動を起こし、自らもペンを取って「人間の本質」を照射していった。既に、彼は鬼籍に入っているが、「ペンは剣よりも強し」のごとく、彼の残したものが今も光り輝いているのは事実です。
 このブログの目的も「林白言氏につながる過去」から、私たちが現在を生きるために大切な「啓示」を探り当てようとしています。

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