北の大地の文人

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辺見庸の月

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(戦争と顔)

先日、南と北の対話が成立し両国選手の平昌オリンピックへの参加が決まったようです。この対話が成立した重要な時期に我が国の首相はなすすべもなく「だんまり」を決行しました。

南北対話の成立を望まない安倍首相はことあるごとに「圧力」を主張してきました。トランプ大統領さえ「対話」を歓迎しているのに、国内極右からの批判を恐れ彼は戦争の危機を回避する両国の対話を歓迎しないのです。

しかも文大統領がこの時期「従軍慰安婦日韓合意」に疑義を投げかけたことに、「一ミリも譲歩しない」と馬鹿げたことを政権側は発しています。

従軍慰安婦問題は戦争責任の問題であり、政府間同士が合意に至っても悲惨な戦争被害に遭われた方々の、あるいはその親戚、縁者、末裔の人々の心が癒されるのは容易なことではありません。

侵略者とその被害者の関係は、一片の合意文書で解決できるような問題ではないのです。かつてドイツ首相がワルシャワのゲットー記念碑前でひざまずく姿はこの国の敗戦の歴史を物語っています。

残念ながら戦争責任追及の未完の結果が「合意の堅持」という今の日本のこの姿なのです。慰安婦の人々の心に思いをいたすことなく「形式的な文書」で戦争犯罪行為を水に流すなどという調子の良い話は、日本人を騙すことはできても、被害者や世界の良識ある人々を納得させることはできません。

戦争責任のシンボルとして何を選ぶかはその国の人々の自由な意志に委ねられています。このままでは日本はかって歩んだ道、世界の孤児になっていくのでしょう。

権力によって口や耳を封じられたマスコミの現状は、かつての独裁国家だったという歴史の事実ではなく、この今の極右統制国家なのです。政治に対するする痛烈な批判も反対もないこの国のマスコミや言論界がいかに政権によって飼い慣らされているかを今の「朝鮮南北問題」は見事に語っています。

政権とマスコミに「南北対話の開始」を歓迎する論調は見あたりません。不思議な話ではないでしょうか。戦争の危機を回避するこの両国の行動は称賛すべきであって非難すべきものではありません。

対話の進展を批判するのは、はっきりしています、戦争を望む人々なのです。「日米韓同盟に楔を打ち込む北の陰謀」などという論調はあまりにも歴史を無視した見解です。

考えて見てください、1950年に始まった朝鮮戦争は南と北の同じ民族同士の戦争でした。休戦協定後、実際に戦ったもの同士が話し合うのにどうして批判をするのでしょうか、不思議な話です。

そして「北朝鮮」の核が脅威というならイスラエルの核は脅威ではないのでしょうか。これも不思議な都合の良い話です。

政治に苛立ち権力に抗うことばかりを考える冬の一日でした。そのような中、角川書店出版「本の旅人」平成30年1月号(2017.12.27発行)に掲載された辺見庸作「月(第三回)」を読みました。

相変わらず奇をてらった幻想的な作品でした。冒頭の挿し絵に丸い空洞のある人間の顔が描かれていました。

戦争と顔について辺見氏は論じたかったのでしょう。次のように戦争と顔の類似性を暗示しています。
・・・「現実を覆っていたことばとイメージが現実によって引き裂かれてしまい・・・」と書きしるした哲学者がいたっけ・・・「戦争においては、現実を覆っていたことばとイメージが現実によって引き裂かれてしまい、現実がその裸形の冷酷さにおいて迫ってくることになる」・・・「顔は、もののひとつでありながら、かたちをつらぬくが、それでも顔はかたちによって境界づけられている」・・・「顔のかたちが有する輪郭は、その表出において不断に開示されているのだけれども、その不断の開示が、かたちを炸裂させる開示性そのものを戯画へと封じこめてしまう」・・・
(前記作品66-67頁より抜粋引用)
辺見氏の作品とその表現は難解です。幻想的な世界の描写の中に現実のイメージを溶け込ませ読者を深遠な知の世界に誘います。

抽象化された「戦争と顔」を具象するために対比や類似性を追求します。そしてそれを言葉によって表現し隠されたおどろおどろしい現実を表象させようとしているのでしょうか。
・・・「かたちを炸裂させる開示性」ってなんだろうか・・・・「聖性と戯画との境界上にある顔は、それゆえ、なおある意味では権能をゆだねられている」・・・ギクリとするのは、顔というのが「聖性と戯画との境界上にある」というところだ・・・(前記作品67頁より抜粋引用)
作品冒頭の目鼻のない顔が不気味に見えます。戦争と顔のない顔、「戦争は聖性と戯画との境界にある」と私は理解したのですが・・・・

夢と現実の境界が見えてこない今の時間は戦争前夜のように思えてなりません。戦争は戯画などではなく、死屍累々とした恐ろしい現実です。

注)孤高の革命家「林白言」氏
 戦前、朝鮮で生まれ、故あって、両親とともに五歳で玄界灘をわたり終戦を陸別駅で迎える。戦後の労働運動が盛んなときに、国労中央執行委員を務めるが、合理化の嵐の中で解雇され、北海道に舞い戻る。差別と苦難を乗越え、北の大地で文化活動を起こし、自らもペンを取って「人間の本質」を照射していった。既に、彼は鬼籍に入っているが、「ペンは剣よりも強し」のごとく、彼の残したものが今も光り輝いているのは事実です。
 このブログの目的も「林白言氏につながる過去」から、私たちが現在を生きるために大切な「啓示」を探り当てようとしています。

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