オタ主婦はつらいよ

このブログは2019.12.15までです。移行先→https://pikakoota2.fc2.net/

防衛系(海以外)

[ リスト | 詳細 ]

海自以外の自衛隊や防衛についての記事です。太平洋戦争や消防車などの記事などもあります。
記事検索
検索

全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 前のページ ]

イメージ 1 イメージ 2

今朝の読売新聞を読んでいたらこんな記事が目に留まりました。

ドナルド・キーンさんという方が書いている『私と20世紀のクロニクル』という連載があるのですが
今回は「戦死した日本兵の日記に感動」というタイトルで戦時中の日本兵の日記について
書かれていました。

このドナルドさんは海軍日本語学校を卒業し、戦時中は日本の文書や資料の翻訳をしていたそうです。
そのうち、日本兵の死体から押収した日記を翻訳させられるようになったとのこと。

以前、私の叔父さんが海軍に居てニューギニアで戦死したことを書きました。
戦後、米兵から叔父さんの日記を返還され新聞に載ったのですが、
今回の記事を読んで当時の日本兵の「日記」がどういうものだったのか初めて知りました。

以下原文のままです↓

 アメリカ軍の兵士は、日記をつけることを禁じられていた。敵が日記を手に入れた場合、戦略的な情報を提供してしまう危険があったからである。
しかし日本の兵隊や水兵は、新しい年ごとに日記を支給され、日々の考えを書き留めることが務めとされた。彼らは乗艦に日記を検閲される恐れがあることを知っていて、それは日記に記された感想が十分に愛国的かどうか上官が確かめるためだった。そのため兵士たちは、日本にいる間は日記のページを愛国的な常套句で埋めた。
 しかし、自分が乗船している隣の船が敵に潜水艦に沈められたり、南太平洋のどこかの島で自分が一人になってマラリアにでもかかれば、なにも偽りを書くいわれはなかった。日記の筆者は、自分が本当に感じたことを書いた。
 日本人兵士の日記には、時たま最後のページに英語で伝言が記してあることがあった。伝言は日記を発見したアメリカ人に宛てたもので、戦争が終わったら自分の日記を家族に届けてほしいと頼んでいた。禁じられていたことだが、私は兵士の家族に渡そうと思い、これらの日記を自分の机の中に隠した。しかし机は調べられ、日記は没収された。

読んでいて胸に迫るものがありました。

叔父さんが書いていた日記は日本兵がみな書いていたものだった。
しかし、米兵はそれを所持することを禁止されていた。

戦後それを無事うちの家族が受け取れたのはかなり奇跡に近いことだったんだと。
叔父さんの日記を持っていたアメリカ兵の人は日本兵の家族に無事届けてあげようと
危険を冒していたのかもしれない・・・。

うわぁ、なんか涙が出てきた。
たかが日記と思っていたけど、こんなにドラマがあったんですね。

叔父さんの日記を届けてくれたアメリカ兵さん、ありがとう。

実家に行ったらもうちょっと詳しくこのことを調べてみたいと思います。


引用記事は読売新聞平成18年3月18日付のものです

※この記事・写真等は、読売新聞社の許諾を得て転載しています。
 読売新聞社の著作物について  http://www.yomiuri.co.jp/policy/copyright/
「男たちの大和」を観たついでに、私の叔父さんの話をします。
私の父親の長兄は太平洋戦争で戦死してます。実家の仏壇にも祭られているので
それ自体は知っていたのですがあまり詳しくは知りませんでした。

お正月においっこを寝かしつける為に抱っこして仏壇の前をうろうろしていた時
ふとその叔父さんの遺影を見るとあれ・・・?セーラー服着てるよ!?

父親に詳しいことを聞くと
「叔父さんは徴兵で海軍に入って昭和19年5月3日にニューギニアで戦死した」
と教えてくれました。
ということは大和の映画で主人公が乗艦した一ヵ月後に亡くなってるんですね。
なんというか感慨深いものがありました。

もし草加拓海が原爆を作って戦争を早く終わらせたらうちの叔父さんも助かっていたのかも。
そうしたら我が家の歴史も変わっていたことになるよな〜とか。

その叔父さん、実は新聞に載ったことがあるのです。
戦争中日記を付けて肌身離さず持ち歩いていたらしいのですが、戦死した時に日記を米兵に拾われて
戦後何年か経ってから公的機関を通じて届けに来てくれたそうです。
その時に新聞に載って私もだいぶ前に見せてもらいました。

子どもだったので「やさしい人に拾われて良かったなぁ」と思ってましたが
今思えば日本語の読めない米兵が、機密文書の可能性もあると思って持って帰ったんでしょうね。
まあ、日記と判っても捨てられなかったのはその人がいい人だったからかな。

そういえば去年その話を再度取材させてほしいというアメリカ人のルポライターが来て
取材されたらしいです。その記事も実家にあるはずだ。今度読ませてもらおう。
戦後60年だからそれで来たのかな?今思えば。

戦後60年経ってますが、太平洋戦争はそんなに昔の話ではないと思います。
どこの家にもどこかしらまだ「戦争の記憶」のようなものが残っていると思いたい。
でも終戦記念日にそういう特集は確実に少なくなってきてます。(今年は別ですが)

根本的に「太平洋戦争は何故起こったか」を歴史の時間に教えていない日本の教育制度や
認識自体が問題なんだと思いますが・・・それはまた別の話の時に。

「戦争を知っている人たち」がすべていなくなってしまった世界ってどうなんだろう。
私の親は戦争体験者なので繰り返し戦争の悲惨さを語って聞かされてきましたが、
私自身、まだ子どもに語ったことはありません。
まだ幼いせいもありますが、ジパングにはまる前は興味はそんなになかったし。

「戦争のことを知らない、知ろうとしない日本人」ばかりになってしまったらと思うと
恐ろしくもあります。

全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 前のページ ]

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事