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3月11日〜その後〜

東日本大震災の後、浅草の人力車が自粛していた頃、仕事がないとヤバいなと思って、お父ちゃんの事もあるから、実家の大阪に帰ってたんですが、その時大阪でも派遣のバイトに登録しとこうと思って面接に行く事にしました。

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せっかくだから、普段会えない人にも会いたいなと、現在ユーチューバーの、元吉本の先輩
「マナブ18号」さん
とご飯をご一緒させて貰って、そのままマナブさんの家に泊めて頂きました。



朝ご飯をマナブさんと一緒に、定食屋さんで食べて、そのまま派遣のバイトの面接に行きました。


面接が終わり実家に帰って、鏡を見た時に驚愕しました…


















マナブさんに、後頭部に
「キ○タマ」
って書かれてたんです…


















そうとは知らず、定食屋さんに行って、バイトの面接行ってたんです…



















バイトの面接は…

















受かってました(笑)


















よく受かったな!(笑)
























ふにゅ〜(;_;)

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3月11日

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最近、同じ内容のブログばっかりあげてて申し訳ないですが、今日は震災のあった日という事で、この日の出来事と、気持ちは忘れたらあかんなと思うので、震災の日の出来事を振り返ってみたいと思います。


東日本大震災のあった日
2011年3月11日は
僕は東京の浅草で人力車のアルバイトをしていました。


当時僕は東京吉本でお笑い活動をしながら、浅草の人力車のえびす屋さんで、アルバイトをしていました。


浅草の人力車は、雷門の前で歩いてる人にお声かけをして乗って頂くのですが、その時も雷門の前でカップルに声をかけていました。


その時に、カップルの彼氏が
「今揺れませんでした?」
と言ってきたので

「またまたぁ!
そんな事言わないで乗って下さいよぉ!」
と言った瞬間!


突然あり得ないぐらいの大きな揺れに襲われました…


周りを見回すと、もうすぐ完成するスカイツリー、スカイツリーの最上階のクレーン、アサヒビールの本社ビル、本社ビルで窓拭きをしているクレーンなど、目に見える全ての建物が左右に大きくグワングワン揺れていました…


「この世の終わりが来た…」


よく、ノストラダムスの大予言などで想像していた、地球最期の日…


その日が突然やってきたと思いました…


どこにも逃げ場はない…


僕はどうしたらいいかわからず、立ち尽くすだけ…


うずくまって泣き叫んでいる人もいました…


しかし、しばらくしたら揺れがおさまり、相変わらずどうしたらいいかわからず立ち尽くしていたら、人力車乗り場から電話がありました…


さすがに今日は終わりか…



「社員さん、冷静な判断お願い致します!」
と思っていたら…






















「お客様が来たからご案内して!」

と言われました…





















このタイミングで!?(笑)



























冷静な判断すぎるやろ!(笑)
















お客さんは、沖縄からの修学旅行生でした。


揺れる前に乗るという話になってたみたいで、若い子には地震なんて関係ない…


人力車も、お客様が求めるなら台風の日でも営業するタフさなので、揺れたすぐ後に人力車でご案内という事になりました。


女子高生は
「凄い揺れたね〜♪」
と楽しそうにしてるけど、僕は

「凄かったですね〜♪」
と言いながら
「また地震来たらどうしよ〜」
と、内心ビビりまくりでした。


10分のコースのご案内が終わり、浅草寺の近くにお客様を人力車から降ろした瞬間…


また大きな地震が来ました…



揺れが終わり、女子高生達に
「気をつけて楽しんでね〜」
とお別れしました。



いつまで続くんや?


もっと大きな揺れが来たらどうしよ…


これは人力車どころじゃないな…


と思ってはいるけど、営業は続行…(笑)




地震後は、バスや電車がストップして、観光客が浅草に閉じ込められる形になりました。



台風が来ようが、浅草に観光客がいる限り人力車乗って頂き、浅草を楽しく案内して良い想い出を作って頂こうというのが人力車のスタイル…


どうせ浅草から動けないのであれば、どうせなら楽しんで貰おうと、そういった方達に声をかけて乗って頂く事にしました。






















僕らはまだ、この時は状況が全くわかっていなかったんです…

















「人力車いかがですか?」
と声をかけたら
「福島の家が心配なんで、大丈夫です」
と言われたので
「そうですか…
ただ、どうせ動けないなら観光を楽しんだ方がいいですよ」
とくらいつく…

「そうですよね…
でも、大丈夫です…
ありがとうございます…」

「わかりました!
またお願い致します!」

こんな感じで、人力車でいつもやっているやり取りをしていました。




















僕はこの時、東京の状況が1番酷いと思いこんでいました。


「福島の家が心配という意味もよくわかっていなくて、自分達の無事を報告する為に福島の実家に電話してるけど、みんなが電話してて電波状況が悪いから繋がらない…


その程度の感じだと思ってしまっていたんです…

























そして、こんな状況でも
「どうせ動けないなら」
と人力車に乗ってくれる人も実際にいて、バスとかが乗れないから、タクシーがわりに遊び心で人力車で移動してくれる人もいたんです。



いつも通り営業が終わったのですが、電車がまだストップしていて、僕らも浅草から出れなかったので、浅草に住んでる人力車仲間のマンションに泊めて頂く事にしました。


みんなで浅草に泊まる事なんて滅多にないから、せっかくだから浅草の銭湯にみんなで行こうという事になり、銭湯にあったテレビで流れているニュースを見た瞬間…


















みんな、我が目を疑いました…




















津波に流されている家…


車…






一瞬映画かとも思いましたが、それは間違いなく現実でした…




















その時に初めて、声をかけた方が福島の家を心配していたという意味と、とんでもなく不謹慎な事をしてしまっていた自分に気付きました…






















事態を重くみた人力車の会社は、しばらく人力車を自粛する事になりました。


とはいえ営業しないと会社が潰れちゃうので、アルバイトは休ませて社員さんだけで様子を伺いながら活動していたのですが、しばらくしたら浅草も少しずつ人が戻ってきたという事で、人力車のアルバイトを復活する事に…


ただ、復活したのはいいけど、人が少ない…


人がいないので、仲見世商店街も開いている店がほとんどなかったです。


しかし、開けてくれているお店もあったので、どうして人が少ないのに開けているのか聞いてみたら

「確かに人は少ないけど、被災地の人達が心の疲れを癒す為に浅草に遊びに来て、浅草まで静かだったらそれこそ元気がなくなっちゃうだろ?
だからそういう人がいつ来てもいいように開けてるんだ」

と言われました。


他のお店の人に聞いても、営業を続けている人力車の社員さんに聞いても同じ答えが返ってきました。


何て気持ちのいい考え方をする人達だろうと思いました。


ただ、こと人力車の営業に関しては、やはり人が少なくて厳しかったです。


そして何より、福島の人との事がトラウマになって、歩いている人に声をかけれなくなっていました…


こんな時に不謹慎じゃないか?


また傷つけるんじゃないか?




















こんな時、お笑いや人力車などの娯楽は無力だなと思いました。



















なくて困らない物…



災害があった時にやっていたら不謹慎な物になってしまうんです…




しかし、僕らはこれでご飯を食べています。


活動しなければ生活出来なくなって死んでしまうんです。




何か、堂々と胸を張って活動出来る方法はないものか…


そこで思い付いたのが、人力車の売上の一部を被災地に寄付するという事でした。


被災地にも少なからず貢献出来るし、人力車のイメージも良くなって活動しやすい…


すくなからず人の為になるなら負い目もなくなる…


これはかなりいいアイデアだと、人力車の社員さんに提案してみると…


「気持ちは解るけど、うちはそんな売名行為はしたくないんや。
心配せんでもうちの会社でちゃんとした義援金を送ってる。
だからお前は安心して、乗りにきた人を幸せにしてやってくれ」
と言われました。


それを聞いて、いい会社で働かせて貰ってるなと思ったのと同時に…



















無力なのはお笑いや人力車ではなく、僕自身なんだなという事を痛感しました。























そんなに被災地の事が気になるなら自分で募金すればいいんです…



間違いなく邪魔になるやろうけど、被災地にボランティアしにいったらいいんです…




募金するお金もなく、人力車の営業に自信がなくなった僕は、少しでも自分が楽になりたいから、後ろ指さされない理由を探していただけなんです。





僕のそんな悩みなんて関係なく、時間は容赦無く過ぎていき、浅草にも少しずつ人が増えてきて、少しずつ活気が戻ってきました。



僕も、何とかお客さんに乗って頂けるようになってきて、たまたま人力車に乗ってくれた方が福島から来たとおっしゃったので、ビックリして
「お家は大丈夫なんですか!?」
と聞いたら
「実は家が津波で流されちゃっててね…
でも、いつまでも塞ぎ込んでちゃ駄目だと思って、今日は浅草に気分転換に来たんだ」
と言われました。


それを聞いて僕は、楽しんで貰う為に、ただただ全力で、一生懸命案内しました。

すると

「お陰で嫌な事全部忘れて楽しめたよ!
ありがとう!」
と言って頂きました。




















その言葉に、逆に僕が救われました。























この年に吉本の企画で、吉本の芸人が全国に住んで活動するプロジェクト
「あなたの街に住みますプロジェクト」
が始まり、僕らは山梨県で活動していく事になりました。



人力車はこの年の5月のゴールデンウィークまでやりました。




ゴールデンウィーク明けに、相方のいしいそうたろうさんと一緒に山梨県住みます芸人として山梨県での活動を始めました。





その4年後、あるイベントでMCをしていると、客席の一番前で一生懸命ガヤを飛ばしてくるおじさんがいました。


事あるごとにガヤを飛ばしてくるので、いい感じに酔っ払ってらっしゃるのかなと思っていたら、イベント終わりにそのおじさんが僕に話しかけてきました。




「実は僕は震災の後に福島県からこっちに来てて、君達も同じ時期にこっちに来てるから、勝手に同期だと思ってるんだ。
あんたらが頑張ってるのを見て、俺も元気出たよ!
ありがとう!」


と言ってくれました。


そして、帰り際に大きな声で







「負けねえぞ!」

と言って帰っていきました。





















この言葉にまた元気を頂きました。
























山梨県に来て、住みます芸人として青年会議所に入ったり、消防団に入ったり、市役所の人口対策チームに入れて頂いたり色々しましたが、僕に出来る事は何1つなく、色々な人にご迷惑をおかけするばかりでした。




こんなつまらない僕でも、結局出来る事はお笑いしかないんだと痛感しています。



僕らが一生懸命頑張る事で、僕が福島の方達に逆に頂いたような元気を与えれるのであれば、こんな嬉しい事はありません。





最近は有難い事に、山梨放送さんのロケで、福島や宮城に行かせて頂き、現地の皆さんの元気な姿を見せて頂き、また僕らも元気を頂きました。


福島県住みます芸人のぺんぎんナッツさんも、地元の人気者になり、地域に根付いているのを感じました。



僕も、お笑いでみんなを元気にしているんだと、胸を張っていける芸人になれるように頑張ります!

ご報告!

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僕のバンド
「コロガキ」
ギターにして音楽プロデューサーの
「THOGO(トーゴー)」さん
が、僕が書いた清水キョウイチ郎さんのブログを読んでくれて、清水さんの動画を見まくってくれていて、今日トーゴーさんがやっているBAR
「BSP甲府」
で清水さんの動画をみんなの前で流してくれました。


山梨県で清水さんの話題で盛り上がれるなんてね…



みんなが清水さんの動画で笑ってくれているのを見て、嬉し涙が出ました。



こうやって、僕が大事にしてる物に真剣に向き合って貰えるのは本当に嬉しいです。




清水さん…



僕はあの時日本一を誓い合った場所で、お笑い芸人をしています。



来年の誕生日は、どういう報告が出来るか、楽しみです!

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3月6日は僕の誕生日です。


誕生日になると毎回ブログに書かせて頂いている事があります。


毎年内容はほぼ同じです。


その年その年の僕の気持ちを伝える事はあっても、内容は更新される事はありません…


なぜ毎年同じ事を書くのか?


新しく僕の事を知ってくれた人に知って欲しいという気持ちもありますが、1番は
「忘れない為」
です。


20代の頃に、忘れられない人…


いや、忘れたくない人に出会いました。


それが大阪で
「ぴのっきを」
というコンビで活動されていた
「清水キョウイチ郎」さん
です。



僕は、親は2人とも福岡ですが、大阪で生まれ、大阪で育ちました。



20歳の頃の僕は、本当にやりたい事も見つからずただダラダラと生きてました。


それに見かねた友達が

「やる事ないんやったらうちで働けへんか?」
と紹介してくれたのが、吉本の笑いの殿堂、吉本の大阪本社もある
「NGK(なんばグランド花月)」
の駐車場係のアルバイトでした。


NGKにある駐車場で、本社や劇場に来る吉本の社員さんや、芸人さんから月極め、一般の方まで、色々な方がとめに来られる駐車場です。


見学に行ってみたらたまたま今田さんや東野さんが普通に歩いてて 、感動して、始めることにしました。


最初はアルバイトで何となく働いていて、しばらくしたら
「やる事ないんやったら社員にならへんか?」
と勧めてくれて、何となく社員になり、20歳から30歳頃まで何となくNGKで働いていました。


お笑い芸人になるという考えは全くありませんでした。


何となく人前に立つ仕事がしたい、何となく有名になりたいという漠然とした気持ちはありましたが、お笑いが好きだった訳でもなく、やりたい事を何となく探す日々が続きました。


NGKの駐車場で働いていた人に日本拳法を教えて貰って格闘技にはまり、そこから極真空手を始め、その後ボクシングに転向してプロボクサーになりました。


NGKでもボクシング好きな方は多く
「よう、ボクサー」
「よう、チャンピオン」
という感じで、声をかけてくれる人が増え始め、ボクシングを始めてから仲良くなった方も多かったのですが、その中の1人に
清水キョウイチ郎さんがいました。


清水さんは
「ぴのっきを」
というコンビで、当時大阪では結構知られた人でした。


昔は天才と言われ、爆笑オンエアバトルは、ぴのっきをを売り込む為に作られたという話も聞いた事があります。


それだけ勢いがあった清水さんですが、ある時
「ストップ病」
という病気にかかってしまいました。

文字通り、普通に生活してたら突然動きが止まってしまう病気でした。


これからぴのっきをを売り出そうという時に…
テレビの生放送中、ネタの最中、容赦なく何度もその病気に襲われ、相方さんも
「ごめん、もう無理やわぁ…」
と離れていきました。


そして、結婚していた奥さんとも離婚されてしまいました。


娘さんは奥さんが引き取り、会いたくても会わせて貰えなかったそうです。


これからだという時に、相方に離れていかれ、奥さんにも離れていかれ、娘さんと会う事も叶わなくなりました。


清水さんはずっと、娘に会いたい、娘に会いたいと言っていました。


ピンになってからも、しばらくはテレビのレギュラーもあったのですが、新喜劇に勧められて、心機一転新喜劇でやる事になりましたが、蓋を開けてみると清水さんは若手に混ざってちょい役でたまに出る程度のポジションでした。


そして新喜劇に所属するという事で、レギュラーも失いました。


今でこそ新喜劇の方は色々自由に活動されてますが、当時は新喜劇に出る人は新喜劇だけという感じだったようです。


清水さんとは元々顔見知りではあったのですが、昔ボクシングをやっていた清水さんが、僕がプロボクサーをやっていると知って、僕に興味を持って話しかけてくれたんです。


清水さんも僕と一緒で、空手からボクシングに転向したという事もあり、そこから意気投合して、一緒にご飯食べにいったり、清水さんがNGK出番の時はずっと一緒に喋ったりするようになり、いつの間にかNGK館内で


「清水と高木は親友」

と言われるようになりました。


一緒にボクシングを見に行ったりするようにもなり、清水さんは僕のボクシングの試合も応援に来てくれました。


新喜劇の中田はじめさんに
「清水さんにはよく怒られてるんですよ」
という話をしたら
「え!?
清水兄に怒られてるの!?」
と驚かれるぐらい、清水さんはトラブルメーカーで、よく揉め事をおこしていました。


もともと一本気で、融通のきかない性格の上に、天才と言われながらも、病気によって全てを失った不遇な人生の為に、人間不信になり、被害妄想が激しくなり、よく人と揉めていました。


僕は、最初はNGKの駐車場管理の仕事をしていたのですが、シフトがバラバラな駐車場管理の仕事だとボクシングをする上できつかったので、比較的シフトが統一されているNGK内の床のワックスがけをしたりする特別清掃に変えて頂きました。


よく清水さんと楽屋のロビーとかで出会って、そのまま話し込んでしまう事が多かったのですが、そんな時清水さんは、巨人師匠に話しかけられようが、カウス師匠に話しかけられようが
「今、高木と話してますんで」
と、僕との話を優先させてしまうぐらい一本気で友達想いな方でした。


清水さんにとって、師匠も掃除のおじさんも関係なかったんですね。


ただ生き方が不器用なだけだというのもあるんですが、俺は権力より友情を選ぶんだという、清水さんの中の正義を貫きたかったんだと思います。


そんな清水さんを心配した芸人仲間が、清水さんに
「兄さん、何であんなホームレスみたいな奴と仲良くしてるんですか?」
と言ってきたので
「何やと!?
取り消せ!」
と、掴み合いの大喧嘩になった事もあるそうです。


仲間の為には、どんな人間にもつっかかっていくような人でした。




ある日、ボクサー仲間と、清水さんと一緒に、ジムの仲間の試合を応援しに、後楽園まで車で行く事になったのですが、いつまでたっても清水さんが来ない…


心配して電話したら、清水さんが
「ハァハァ…」
と言いながら出てきて

「すまん、高木…
人殴ってもうた…」
と言ってきました…



朝から何しとんねん!(笑)


どうしようかと途方にくれてたら、清水さんが遅れてやってきて

「遅れてすまんかったな…
じゃあ行こか…」
と言いました。


「行こかって…
相手の方どうなったんですか!?」
と聞いたら

「大丈夫や…」
と答えるのみ…


何回聞いても
「大丈夫や…」
の一点張り…


怖っ!(笑)

何か怖かったけど時間がなかったので東京に向かいました。




能天気な2人は、そんな事があったのも忘れて、途中のパーキングで見た富士山にテンションが上がりました。


「高木ぃ、俺はお笑いで日本一になるから、お前はボクシングで日本一になれ!
日本一の富士山に日本一になるって誓うんや!」

清水さんはお笑い、僕はボクシングの日本一を誓いあいました。


そのあと後楽園につき、清水さんと一緒に、声がかれるまでジム仲間の応援をし、その後のタイトルマッチの選手の応援を、声がかれるまでしました。

「気持ちや!
気持ち!」

「辛かった練習を思い出せ!」
と、全然知らない、会った事もない、僕らなんかよりもはるかに気持ちが強いであろう人達の応援を一生懸命しました。





清水さんはクソ真面目、僕はチャランポラン…


全然性格の違う2人なのに妙に気があいました。


そんな清水さんと、僕の誕生日は3月6日…


誕生日が同じ日でした。


僕は自分でNGKのテナントスタッフ、裏方、芸人さん達を集めて、自分でお店を予約して、自分で自分達のお誕生会を開きました。


そして皆さんからたくさんプレゼントを頂いて
「夢みたいや!」
と喜んでました。














昔からそんな所は変わらなかったんですね(;_;)




















そんな僕らですが、僕は試合に負けて、ボクシングは引退寸前…


ただ目的もなくジムに行く日が続き、清水さんとよく呑みに行くようになりました。


清水さんと色々な話をしたり、清水さんの舞台を見ているうちに、僕は

「お笑い」

という物に興味が出てきました。


そして、清水さんがしょっちゅう

「高木はおもろいなぁ」

「高木は芸人やなぁ」

と言ってくるので、ついにはその気になってしまい、清水さんと呑んでいる時に

「清水さん、僕…
お笑いがやりたいです…」
と相談しました。



すると清水さんは

「そうか…
お前の人世や…
好きにせぇ」
と言ってくれました。


とはいえ、芸人がやりたいと言っても、どうしたらいいかわからず、ただ日にちだけが過ぎていきました。


そんなある日、日本一のピン芸人を決める大会
「R-1ぐらんぷり」
のチラシを見つけました。


そして何と、R-1の決勝の日にちが、僕と清水さんの誕生日と同じ3月6日でした。


清水さんに

「決勝が3月6日!
これは僕らの為の大会ですよ!
一緒に出ましょう!」
と誘いました。


今から考えたらプロの芸人さんに対して失礼な事を言ってましたね(;_;)


普通だったら、素人が何言ってんねんて言われる所ですが、清水さんは

「マジか!
高木ぃ…
俺は決勝でしか待ってへんからな!」
と、ノリノリ…

「清水さん、決勝で会いましょう!」
と、固い握手をかわして、結果は…

















僕は1回戦敗退で、清水さんは2回戦敗退でした…

















そらそうですわな…(;_;)


















当日、3月6日の決勝の舞台で会うはずの2人は、また人を集めてお誕生会をしました…

















初舞台がR-1だった僕ですが、どうしたらいいかわからず、そこからお笑い活動をする事もなく、毎日ジムに通っていました。


そして、ジムの仲間の応援をするうちに、またボクシングに対する熱い気持ちが戻ってきました…


そして、清水さんと呑んでいる時に

「清水さん…
僕、やっぱりボクシングがやりたいです…」
と相談しました…



すると清水さんは

「そうか…
お前の人世や…
好きにせぇ」
と言ってくれました。


清水さん、ありがとうございます!


俺はまだやれる!


必ず世界チャンピオンに…
















と思っていたら、またR-1の季節がやってきました…
















め…

めっちゃ出たい…(:_;)


















しかし、さすがに今回は

「お前の人世や、好きにせぇ」

とはならんやろうなと思って、清水さんに内緒で出る事にしました…


さすがにバレへんやろ…


と思って出場したのですが、出番終わりに清水さんが出口で待ち構えてて

「新喜劇の事務局とR-1の事務局は隣どうしやのに、バレへんとでも思ったか!」
と、めちゃくちゃ怒られ、夜中に新喜劇の楽屋に呼び出されて3時間正座させられ、ボッコボコにされました…


これだけ見てたら、そんなに怒らんでもと思うかもしれませんが、清水さんは仲間が馬鹿にされただけで誰にでも立ち向かっていくぐらい仲間想い…


めちゃくちゃ仲間想いなのですが、裏切られたと思った時の反動が凄かったんです。


色々な事があり人間不信になっていた清水さん…


そして、その頃の僕は、クズな人間性を見抜かれ、清水さんに

「お前は、めっちゃええ奴や…
俺が何かあったらいつも心配してメール送ってきてくれて、その内容に救われて、その時のメールはずっと残してたのに…

めっちゃええ奴かと思ったら、めっちゃクズやったりするし、信用でけへんようになってきたわ…」
と、人間性を疑われ、クズ扱いされ始めてた所にコソコソそんな事をしてたもんやから、清水さんの怒りが爆発してしまったんです。


「昔、後輩にお前の事を悪く言われて、取っ組み合いの喧嘩になった事あったけど、あいつの言う通りやったわ!」

と言われ、更に

「お前、まだ隠してる事あるやろ…
俺は全部聞いてるからな…
正直に言ったら怒れへんから、正直に言え!」

と言われたので、正直に

「新喜劇のマドンナの宇都宮まきさんを呑みに誘いました!」
「大先輩の矢野・兵動の矢野さんが、トリマーの専門学校に行ってるて聞いて、合コンして下さいとお願いしました!」
「NGKのテナントの女の子や社員さんをナンパしまくってました!」

と、思い付く限りの悪事を全部言ったら、清水さんに…


















「お前、そんな事しとったんか!」

とキレられ、再びボッコボコにされました…


















怒れへんって言いましたやん!(笑)



















しかも、何一つ知らんかったし…(:_;)


















しばらくしたら清水さんが

「もう疲れた…
帰るぞ…」
と言ってくれて、やっと帰る事になり、2人とも自転車だったので自転車乗り場に行こうとしたら、そこの近くの、僕と清水さんがよく行っていた居酒屋から、そこの常連の女の子が出てきて、大きな声で

「ぴっかりさ〜ん!
清水さんとM-1出るんやろ〜?
頑張ってな〜!」
と言ってきました…


















それ、清水さんがおらん時に呑んだ勢いで格好つけて適当に言ったやつ!(:_;)


















「誰と誰が、M-1に出るってぇ〜!?
やっぱりお前は信用でけへん!」

と、再びボッコボコにされました…


















そして次の日も呼び出されました…

「こ…
殺される…」
と思っていたら、清水さんが突然

「高木!
なんぼなんでもやり過ぎた!
すまん!」
と言いながら土下座し始めました。

















ボッコボコにする前に気付いて欲しかった…(;_;)



















そして

「お前の気のすむまで殴ってくれ!」
と言ってきたので

「何言ってるんですか…
殴れる訳ないやないですか…」
と言ったら

「そうか…
高木!

すまんかった!」

と言いながら自分の顔を自分で思いっきり殴り始めました…


















「こ…
この人…
こ…
怖い…」

清水さんの事が怖くなった僕は、清水さんの事を避けるようになりました…




清水さんの出番を調べて、清水さんに会わないようにしました…



あれだけ、清水さんの出番のたびに会っていた2人が、不自然なぐらい会わなくなりました。



ボクシングの熱も覚め始め、宙ぶらりんな日が続き、またR-1の時期がやってきました…



清水さんが怖いけど、めちゃくちゃ出たい…


清水さんとも会ってないし、プロで試合してる訳やないし、清水さんにとやかく言われる筋合いはないやろ…


と思ってエントリーしたものの、いざ出番の日になったら、やはり怖くなってきました…


そして、その日のMCが誰か見たら

「シンクタンク」さん

でした…


シンクタンクのタンクさんはめちゃくちゃ良い人なんですが、身体がめっちゃゴツい方で、清水さんと仲良く、更に昔、清水さんに

「タンクは、今でこそニコニコしてるけど、昔は学校何個も締めてたぐらい相当悪かったから、怒らさん方がええぞ」

と言われていたのと、清水さんの周りの人は清水さんと同じで仲間想いな人が多く、そしてこの頃清水さんは僕の事を

「お前はクズや!」
「お前は最低や!」

と言っていたので、仲間の人達にも僕の悪口を言ってないはずがない…

「兄さんにようも恥をかかしたなと、絶対シバかれると思って怖くなってきました。

タンクさんにバレないようにコッソリ楽屋に入ろうとしたら、目の前にタンクさんがいて、ボソッと

「清水兄さんから話は聞いてますよ」

と言われました…






















お…
終わった…



















後で絶対ボコボコにされる…






















そうこうしてるうちに僕の出番がやってきました…


ネタはおもいのほかウケたものの、タンクさんの事が気になってしょうがなかったので、舞台袖を見たら…



















タンクさんが他の誰よりも笑ってくれていました…



















その当時R-1はネタが終わってから会場で結果発表だったのですが、客席で見ていた僕の名前が合格者で呼ばれた時に、タンクさんが

「良かったなぁ!」

って感じでニコニコと僕を見てくれていました…


















その時に僕は気付いたんです。

















清水さんは僕の悪口なんて言ってなかったんです…





















悪口どころか、僕の良い所を面白おかしく、いつも言ってくれてたんです…

















清水さんは、僕の前では僕をボロクソに言ってたけど、僕のいない所では、僕の事を良く言ってくれてたんです。




僕は今までの人生、馬鹿にされて、裏切られてきたので、その人の些細な仕草だけでなく、その人の周りの人間を見て、人間の裏の顔を見るようなっていました。




その人がどれだけ僕に笑顔で取り繕っても、その人の周りの人が僕に冷たかったりする事によって、その人が僕に陰口を言ってたりするのがわかるんです。


タンクさんのその行動と表情は、清水さんが僕の事を面白おかしく伝えてくれていたんだろうなと解るのに充分でした。


僕は、途端に清水さんを避けていた事が申し訳なくなり、清水さんに会いたくなりました。


そして、ある時チャンスがやってきました。


新喜劇の若手の方がご結婚されるという事で、そこに呼んで頂ける事になったんです。


案の定、そこに清水さんも来ていました。


僕はおもいきって清水さんに話しかけました。


「すみません!
僕、清水さんの事が怖くなって、気まずくなって避けてました!」

と正直に言ったら、清水さんが

「実は俺もや…
気まずくてよう声かけんかった…
高木ぃ…
お笑い頑張ってるらしいやん!
良かったらこれから仲良くしようや」

と言ってくれて、和解する事が出来ました。


しかし、今までずっと避けてきたのと、また同じ事になるんじゃないかという恐怖で、元の関係に戻るのには時間がかかりました。


仲直りしたと言っても、清水さんがNGK出番の時にたまたま会ったら少し喋ったり、ごくたまにメールする程度の関係でした。


清水さんに対して
「先輩」
というのをより強く意識するようになり、僕からはメール出来ないでいました。


そんなある日、清水さんが僕の出ているライブを見に来てくれました。


勝ち上がり方式のライブで、一番下が1分組、その上が2分、その上が4分というライブで、僕は1分組でした。


清水さんは変装して見に来てくれたのですが、清水さんが見てると思うと緊張して、1分しかないネタを半分飛ばしてしまい、そのテンパッてる様子がウケて、今まで上がった事のない2分組に上がりました(笑)


清水さんに

「高木は、ほんまにしょうもないやっちゃなぁ〜」

と、笑いながら言われました。



















少しずつ、少しずつ…


もつれていた糸がほぐれてきました…




清水さんとだいぶいい関係に戻ってきたけど、もっといい方法はないものか…


そこで、素晴らしいアイデアを思い付きました。


当時僕が主催していた

「ぴかぴかライブ」

というお笑いライブを3月6日の僕と清水さんの誕生日にやって、そこに清水さんにゲスト出演して頂き、僕とユニットで漫才して貰うという企画…


ユニット名は
「ドランカー」
にしようと決めていました。


清水さんにその企画の話をしたら

「ええなぁ!
おもろそうやん!」

と言ってくれました。


そして、ある日清水さんから電話がありました。


「近いうちに高木の出てるお笑いライブ見に行くわ!」


僕らの誕生日ライブに向けて、僕らの関係は順調に回復していました。


















しかし…


















その一週間後に清水さんは亡くなりました…

















肺血栓だったそうです…



















孤独死…


親友が亡くなった事を、僕は知りませんでした。


僕と清水さんが仲良い事を知ってる方が僕に

「清水さん亡くなったって、ほんまですか!?」

と電話してきた事で初めて知りました。


親友だから知っていて当然と思ってくれたんですね…


親友のはずなのに、亡くなった事を全く知らないばかりか、誰からも連絡が来なかったんです。


親友の告別式の場所や時間を、自分で調べて、誰にも呼ばれる事なく、勝手に…


本当に行っていいのかと、コソコソと行く事になりました…


僕は親友なのに、清水さんの家族や親戚に会った事もなかったんです。


そこには確実に、芸人と一般人の見えない壁がありました。


清水さんは壁を作ってなかったのですが、僕の中には確実に入れない壁がありました…


周りは僕の事を知らない、知らない人からしたら、それこそホームレスと言われても仕方ない僕…


清水さんに対する負い目もありました…





清水さんの遺体を見せて頂く事が出来ました。


あれ以来自分から清水さんに会いに行けなかった男が、久しぶりに会いに行ったのは、清水さんの遺体でした…



亡くなっている清水さんを見ても、会っていなかった為か、亡くなっているとピンと来ず、涙が出てきませんでした…


亡くなった親友を見ても涙も出ない…


自分の中にこんな残酷な部分があったなんて…



しかし、ふと遺品の、清水さんがよく着ていたジャンパーなどを見ると、現実なのだとわかって涙が止まらなくなりました…
















ドンドン隠していた想いが溢れ出てきました…



なぜ、清水さんともっと早く和解しなかったのか…


なぜ、もっと清水さんと連絡を取らなかったのか…


なぜもっと…




後悔の涙が止まりませんでした…






あの人が、清水さんが心配かけたくないと言っていた親御さんか…


あの人が、芸人仲間が俺よりも仲良くなってまうと嘆いていた、しっかりものの弟さんか…















清水さんと親友のはずの僕は、清水さんの家族を見た事もなかったんです。

















清水さん…


初めて清水さんの家族を見れたよ…



清水さん…


別れた奥さんらしき人が

「ごめんねぇ!」

と、清水さんに抱きついて泣いてくれているよ…


あんなに清水さんに会ったら
「このカス」
と、ボロクソに言ってきていた和泉修さんが、人目もはばからず大泣きしてくれているよ…


清水さん良かったね…


たくさんの人が泣いてくれているよ…




メッセンジャーの黒田さんが

「兄さん、芸人辞めたい辞めたい言ってたけど、辞めんで良かったやろ!
辞めてたらこんなたくさんの人来てくれへんかったで!」

と言ってました…




ほんまやね…


社員さん、芸人さん、色々な人が清水さんに会いにきてくれてるよ…




清水さん、良かったね…


















良かった?


















本当に?

















いや…


















これで良いはずがない…


誰だって、死んでからでなく生きている時に優しくして欲しいはず…





僕は、清水さんが生きているうちに優しくする事が出来ませんでした…




















清水さんと親友のはずの男は、清水さんの事を何も知りませんでした…



















そして、家族がどんな人かも知らず、家族にも友達と知られず、あまりにも清水さんとの距離が遠すぎて、清水さんに抱きついて泣く事も出来なかったんです…




清水さんと苦楽を共にしてきた芸人さんたちの前で、こんな冷たい人間が、どの面下げて清水さんに抱きつけるのか…


ただ、ただ、後悔の涙を流し続けました…





















月日は流れ…




僕はアマチュアながらも、お笑い芸人として一生懸命活動していました…


そんなある日、ライブ終わりに1人の男性が
「ぴっかりさんですか?」
と僕に声をかけてきました。


僕のファン?
その割には僕の事をよく知らなさそう…




その方は僕にこう言いました…


「僕は、清水キョウイチ郎の友達です。

実は、清水が亡くなる一週間前に、清水があなたに電話した時も僕は隣にいました。

生前清水が
『僕にはぴっかり高木っていう親友がいるんです!
高木は面白い奴なんです!
高木はほんまにええ奴で…』

と、あまりにもあなたの事ばっかり言うもんだから、興味が出てきて会いに来たんですよ!」














あれほど疎遠だった清水さん、あれほど嫌な思いをさせたはずの清水さんが、僕のいない所でずっと僕の事を

「親友」

と言ってくれていたんです…














家族の事も何も知らない、お互いの写真もない僕らでしたが…

















僕らは確かに

「親友」

でした…

















それから僕は、親友の事を忘れない為にも、毎年3月6日が来たら清水さんの事を書いています。





毎年書いていますが、一度だけ、ブログのコメント欄に、こんなコメントが来ました…


「こんにちわ
えっと…
信じれるかどうかアレなんすけど…
えと…
私、その清水さんの娘です。
やっぱ
信じれませんかね…
一応ほんとなんですけど
2歳のころ、離婚しちゃってお父さんのコトはあんまりしらないんだけど…
そっか
なんかィィ人っぽくて
なんか
わかんないけど…
こう、時期がたってもこんなふうにブログとかにあるから…
私はなんとなくうれしいです。
お父さんをコレからもいなくても忘れないでください。
これからも仕事頑張ってください!!」


















清水さんが、会いたくて、会いたくてしょうがなかった娘さんからコメントが来たんです。















清水さん!


きっと娘さんも会いたかったんだよ!














たとえ嘘でも、僕がこのブログを書く事によって、清水さんやその身内が少しでも救われるなら、こんな嬉しい事はありません…



例え、もう誰もこのブログを見なくなったとしても、僕はこのブログを書き続けようと思っています。

















最後まで売れる事を諦めず、新喜劇の若手に混ざって、誰よりもチョイ役を一生懸命稽古していた清水さん…
























そんな清水さんに、僕は憧れていました…

















そんな無名の、売れない芸人に憧れて僕はお笑いを始めました。














僕はいつのまにか清水さんの年齢を追い越し、そして売れる事も出来ず、清水さんと同じような悩みをいつも抱えています。

















清水さん…




僕は、清水さんのように一生懸命生きれてますか?



















清水さん…




きっと僕も、そう遠くない未来に清水さんに会いに行く事になるでしょう。


















清水さん…





その時には少しは楽しい報告が出来る事を願って…


























清水キョウイチ郎さん、お誕生日おめでとうございます。

イメージ 1


最近は色々嫌になり、毎月やっている投げ銭ライブなど、今自分がやっている事から住みます芸人に至るまで、辞めてしまおうかと悩む所まで追い詰められていました。

それでも踏ん張っていこうと頑張ってみましたが、自分が芸人として全然駄目だという事を思い知る事はかりでした。

そんな中、今回の僕の誕生日にやった投げ銭ライブに、写真の人だけじゃない30人ぐらいの人が集まってくれました。


中には僕と過去に揉めた人も来てくれたし、生活が大変だという中で来てくれた方もいました。


別にピン芸人になりたいとかじゃなく、こんな実力も魅力も不足していると自覚しているからこそ、そんな僕だけしか出ていないライブを、貴重な時間とお金を使って見に来てくれるなんて嬉しいじゃないですか。


それだけで救われます。


お陰で自分の悩みを振り切ってライブを楽しむ事が出来ました。


そうすると不思議なもので、お客さんも笑ってくれるようになったと思います。


皆んなが僕のライブを見に来てくれて、楽しんで帰ってくれる…



人並みの幸せより、僕はこっちの方が幸せです。




















昨日で45歳になりました。























今年はガンガンに攻めたいと思うので、よろしくお願い致します!


























ふにゅ〜〜(;_;)
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