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最近は、ブログて過去を振り返ることよくやっていますが、僕も45歳になって、不摂生な生活を送っているので、いつポックリいくかわからないので、遺書代わりに…(笑)


僕は現在
「いしいそうたろう」
という、佐藤浩市さんのモノマネをされる方と
「ぴっかり高木といしいそうたろう」
というコンビ名で、コンビを組んで、山梨県で住みます芸人として活動しています。


その前は
「R藤本」
という方と大阪でコンビを組んでいました。


ハッキリ言って、めちゃくちゃ嫌われて解散しました。

僕の人間性を、ある事ある事、色々なメディアで言われて、東京で心機一転お笑い活動を始めるはずだったのに、会う人、会う人に
「お前ってクズらしいな」
と言われて、マイナスからのスタートでした。


だから僕も、復讐じゃないですが、R藤本さんの、ある事ある事を書いてやろうと思います。


僕は、親2人は福岡出身ですが、大阪生まれ大阪育ちです。


20歳から30歳までNGK(なんばグランド花月)で働き、そこで知り合った、ヘッドライト町田さんや、清水キョウウイチ郎さんらの影響で、お笑い活動を始めました。


最初はアマチュアとして、ぴかぴかライブという主催ライブをやったり、インディーズのお笑いライブに出まくったり、baseよしもとという、吉本芸人も、アマチュアも全員出れた、吉本の劇場に出たりしていました。


その中の1つのインディーズライブで、アンパンマンに出てくるジャムおじさんのお面を被って、ジャムおじさんソックリな声で、めっちゃドス黒いジャムおじさんのキャラで
「RJ(リアルジャムおじさん)藤本」
という名前でネタをやってる人がいて
「この人面白いな」
と思って、ライブの主催の人に
「RJさん紹介して下さい」
と言って紹介して貰って
「一緒に何か面白い事しましょう」
と、正式なコンビではなく、ユニットとして活動する事にしました。


Rさんがジャムおじさん、僕がアンパンマンになり
「パン工場」
というユニット名で、ライブに出たり、アマチュアのお笑いの大会に出たりしました。


福井県でアマチュアのお笑いライブがあり、Rさんの運転で、片道4時間、往復8時間かけて出場する事にしました。


予選は審査員2人の前でネタをやり、そこで選ばれた8組が、たくさんのお客さんの前でホールでネタが出来て、優勝賞金は20万円!
予選は11組ぐらいしかいなくて、来てるのも小さいお子さんと出てるお父さんや、素人のおばちゃんコンビとかだったので、Rさんと、これは楽勝ですなぁという話をしながらウキウキしてました。


僕らの予選は、小さい部屋で、おじさんの審査員さん2人の前でネタをしました。


ネタが終わったら、審査員さんが何かを考え込んで黙ってしまいました。


数分後、ひらめいた顔して僕に…



















「君、子泣きじじいに似てるよね」
と言いました。

















「子泣きじじいに似てるから、子泣きじじいギャグとかしたらウケるのと違う?」
と言われたので
「わかりました!
本選は子泣きじじいギャグやります!」
と言ったら、見事…

















予選で落ちてました…

















Rさんと
「売れたいなぁ…」
と言いながら帰りました…(;_;)
















ピンではアマチュアの大会とかでそこそこ結果出してたのですか、Rさんと一緒に出た大会は、笑いは取れるもののことごとく駄目だったので、Rさんが
「何か、僕が足引っ張ってますね…
すみません…」
と謝ってきたのですが、僕はこのユニットは絶対に面白いという確信がありました。


そんなRさんが突然
「RV(リアルベジータ)藤本」
という名前でベジータをやり始めたので
「これや!」
と思って
「俺、ナッパやるわ!」
とやり始めたらめちゃくちゃウケたので、M-1に
「サイヤ人地球襲来!」
という名前で出場する事にしました。



元々僕はドラゴンボールが大好きで、ドラゴンボールのZ戦士がたまたま立ち寄った、難波秘密倶楽部というSMのお店でフリーザが女王様をしていて、そこでスーパーどMに目覚め、シェンロンに使用済みパンティを頂くというネタをして、最終的に本物のパンティを被って以来、どのネタも最終的にパンティを被るという事をやっていて、R-1ぐらんぷりも、ボクサーの格好でロッキーの曲を
流しながら縄跳びを跳び、最終的にブリーフ一丁になってパンティを被るというネタで準決勝まで行ったので…


















「パンティを被ったら売れる」
と勘違いしていました(;_;)

















なので、嫌がるRさんを説得して
「優勝するためや」
と、オチでパンティを被る事にしたら…


















そのパンティが原因で1回戦で落ちました…
















めっちゃウケてたのに、おかしいという事で、1回戦はもう一度受け直しが出来たので
受け直ししたら、やはりその日1番ウケました。


















しかし、また落ちてしまったので、審査員さんに何で落ちたのか確認したら…
















「M-1でパンツ被ったらあかんわな」
と言われました…



















嘘やん!?
その前の年に、ジャンみやがわさんと、パンティ被って2回戦行ったのに!(笑)





















Rさんは当時、社会人をやりながら、趣味で月一でお笑いライブに出ているだけでした。


僕は、月に20回ぐらいライブに出て、お笑い漬けの日々を送っていました。


そんなある日、Rさんが
「頑張ってるぴっかりさんを見て、僕もお笑いを真剣にやりたくなりました」
と言ってくれて、会社を辞めました。


僕らはユニットじゃなく、正式にコンビを組む事にしました。


コンビ名を何にするかと色々話し合って、Rさんも、今では考えられないのですが
「ぴっかりと愉快な仲間たち」
みたいなコンビ名をいっぱい考えてくれたのですが、しっくり来なかったので、いっそのことそのまま名前をつけただけのコンビ名にしようと考えました。
当時僕はR-1準決勝に行ったりして自信満々で、ライブも出まくっていて芸人さんにもそこそこ知られていたのですが、Rさんは全然知られてなくて、養成所も行ってなかったので、芸人さんにも冷たい態度を取られていて肩身の狭い思いをしていたようなので
「このR藤本という人はぴっかり高木の相方だよ」
という意味も込めて
「ぴっかり高木とR藤本」
というコンビ名にしました。


「絶対こいつは面白いから、絶対俺がこいつを有名にする」
と思っていました。

















自分も売れてない事も、ましてや面白くない事も気付かずに、そんな事を思っていました(;_;)



















当時、よしもと無限大ホールでやっていた生配信ライブで
「面白い若手出てこいや」
というコーナーがあり、その出演者を募集していました。


僕は、あまり乗り気じゃなかったRさんに
「売れたかったら、こんなんにドンドン挑戦せなあかんで」
と説得して、出る事を進めました。


Rさんがベジータで出ると言ったので、僕は
「Rさんはベジータで人気を集めてくれ。
売れたらトークが求められるから俺はナッパを封印して、ぴっかり高木で出てトークを磨くわ。
優勝したらメダルが貰えて、メダルを集めたら単独ライブをやらせて貰えるから、その時に始めてナッパで出て爆笑をかっさらうわ」
と言いました…




















当時の俺、どこにそんな勝算があったんや…(笑)

















しかし、Rさんと一緒の日に出る事になったので、僕も何かやりたくなってきて、亀仙流の道着を着て、クリリンとして出る事にしました(笑)


RさんのベジータがめちゃくちゃMCの人にハマって、大爆笑でしたが、僕は滑りまくって、MCの人に
「普段クリリンとかやってんの?」
と聞かれて
「いえ、やってません…」
と言ったら、どえらい空気になってしまい、エンディングは同じ空間にコスプレした楽しそうな2人がいるのに、ベジータだけがいじられて、僕だけいない感じになってました…(;_;)

その時の動画が、ニコニコ動画やYouTubeでアップされて注目され始めて、テレビにも出させて頂いたのですが、テレビを見たら
「ぴっかり高木とR藤本 吉本興業」
とテロップが入っていて、その時に始めて
「あ、俺…
吉本入ったんや…」
と気付きました(笑)


それからテレビにチョコチョコと出させて頂き、モテなかった僕が始めて女性に相手にされるようになってきて、有頂天になり始めました。


ぴかぴかライブというライブも主催していて、その時にメインで出てくれていた、ウーマンラッシュアワーの村本さんや、ハレンチトーストさんといった、面白かったら何してもええという、昭和の芸人みたいな人達と仲良くさせて貰ってたのもあり、女性を手当たり次第に遊びに誘いました(笑)


そして、恐らく上手い事いってたら問題なかったんやけど、やっぱり上手い事いかなくて、村本さん達はモテるもんやから、フラれた時に
「どうせ顔で選んでるんやろ!」
と暴言を吐きまくったもんやから、すぐに悪い噂が広がりました。


今まで女性に冷たい態度取られてきて、やっと芸人になってテレビに出て、モテると思ってたのに、結局モテなかったから、今までのウップンが爆発してしまいました。




















てか当時の僕は、痛い発言も含めて、諸々、今以上に気が狂ってました(;_;)



















Rさんは、そんな噂を聞くうちに
「ネタも覚えないくせにそんな事ばっかりやって」
と、ストレスが溜まっていたようです。



本当に、最初の最初だけですが、お笑いに熱い人だと、おじさんなのに夢を一生懸命追いかけてる姿勢を見て、尊敬してくれてた時もあったみたいだからこそ、失望されちゃったんでしょうね…(;_;)


Rさんの態度がドンドン冷たくなっていくのを感じました。



売れる為に2人で東京行こうぜと、東京に行く時期も決まってたし、クズを特に隠してるつもりもなかったので、Rさんに嫌われてるのは、ただ単に僕が出来ないからだと思っていました。


しかし、キングオブコント2回戦で敗退し、珍しくご飯に誘ってくれるなと思ったら、そこで
「解散したい」
と言われました。


僕は食い下がり、また別の日にRさんを呼び出して、テレビに出始めて、吉本も推してくれてるのに、解散したら勿体ないと伝えたのですが、解散したい理由を伝えられて
「良い人と思ってたけど、そんな事してるっと聞いてショックでした。
色々な人に相談したけど、解散した方がいいって言われました。
あなたと組んだ方が売れるかもしれません。
でも僕は、あなたと続けるぐらいだったら売れなくても1人で頑張りたいんです」
と言われて、ぐうの音も出ませんでした。


せっかくこれからだという時に、自分が原因で解散してしまうショックと、もうベジータと一緒に出来なくなるんだという寂しさで、人目もはばからず大泣きしました。



解散してしまいましたが、Rさんは元々ピンでも東京に行くつもりで、僕ももう東京に行く話になっていたので、ピンで東京に行く事にしました。


解散してピンになると、途端に僕には何もなくなりました。


しかし、解散してもRさんとの仕事が結局定期的に入ってきました。


解散する前より、解散してからの方がRさんに嫌われていたような気がします。



せっかく解散出来たのに、仕事が入ってきたら意味がないし、コンビの印象がついたままだとピンで活動やりづらくなってしまいますからね。


Rさんは、ネットなどのメディアやライブ、プライベートなど、至るところで僕との解散理由や、僕がどれだけクズかというのを伝えました。


ほとんどRさんのファンとはいえ、あれだけいたファンがゼロになり、周りには誰もいなくなり、心機一転頑張っていこうとやってきた新天地で、初めて会った芸人さんに
「お前クズらしいな」
と言われました。



さすがにRさんを恨みました。


もう解散したからいいじゃないか…


許してくれよ…



何より、会った時のRさんの冷たい目が辛かったです。


しばらくしたら、Rさんと仕事で呼ばれる頻度も少しずつ減ってきて、Rさんもピンで活躍し始めました。



R-1、今はシードで2回戦から出場させて頂いてるのですが、当時は1回戦からで、1回戦は落ちたくなかったので、1回戦はナッパでネタをして、2回戦から違うネタをしようと思って、1回戦ナッパで出たのですが、掴みのネタをコンビ時代のネタを使ったら、Rさんが見にきてくれていたみたいで
「俺のネタ勝手にパクリやがって!」
と怒られました。


本人は偵察とは言ってましたが、気にして見にきてくれていたなんて…


赤信号だと思っていた、信号がいつの間にか黄色に変わっていたなんて…







それからしばらくして僕は、いしいさんとコンビを組み始めました。






そして月日がたち、住みます芸人として山梨県に来た年、震災の年に、僕の父が亡くなりました…





そんな時、突然Rさんから連絡がありました…




Rさんはこう言いました…


















「あなたのお父さんが亡くなったと聞きました。
あなたが家族の事を大切にしているのを知っていたので、心配になって連絡しました。
もうこんな事2度と言わないので聞いて下さい。
僕がお笑い芸人としてやっていけてるのは、あなたのお陰だと思っています」


















コンビ時代に、何となく喋った話…


僕は家族が大好きで大切にしていると言ってたのを、覚えていてくれたなんて…


その時Rさんは、家族が好きという気持ちがわからないなんて事を話していたのに…

















あれだけ迷惑をかけて、裏切って、失望せて、あれだけ嫌われていたのに…


















心配して連絡してくれるなんて…


父親の死を哀しんでくれるなんて…



















迷惑をかけただけで何1つRさんにしてあげれなかったのに、僕のお陰だと言ってくれるなんて…


















僕なりにRさんの事を思って行動していた事を感じてくれて、忘れないでいてくれていたんです…



















この日から、僕は勝手にR藤本さんの事を、一生の仲間だと思っています。













Rさんの為なら何でもしようと思ってるけど、結局未だに世話になりっぱなしで、迷惑ばかりかけています。



Rさんの為ならノーギャラで出ると伝えてはいますが、そんな綺麗事じゃなく、結局僕がベジータと一緒に出たいから言ってるだけです。


結局、一緒にやっても僕にしか得がないしね。


ナッパという人間は、ベジータと解散した時に死んだんです。


ドラゴンボールでも、もう出てないし、終わったコンテンツなんです。


それをベジータが、ドラゴンボールで生き返らせてくれました。


Rさんは、テレビのオーディションとかで、もっとドラゴンボール以外のネタも入れた方が出やすいよと言われるそうですが、そういう事はやりたくないそうです。


Rさんは.ベジータの戦闘服を着ている時は絶対にベジータでい続けます。


ドラゴンボールを、ファンを裏切りたくないんです。


僕は、当時のファンを裏切りました。


Rさんと解散して、ナッパをピンでやったりもしたけど、ナッパでい続けられませんでした。

ドラゴンボールを見たくない時期もありました。


ドラゴンボールを裏切ったんです。


こんな僕が、ベジータの横にいる時だけはナッパでいれます。


ベジータの横にいる時だけは、ナッパでい続けようと思っています。



こないだベジータとナッパで仕事してる時にRさんがボソッと
「あの時から、ずっと同じ事やってるよ…」
と言っていたのを聞いて、格好いいなと思いました。



毎回、ベジータと一緒にいれるのは最後かなと覚悟して、噛み締めて仕事しています。



また次もあればいいなと、ワクワクしながら待っています。



コンビ時代にベジータが語っていた夢…




「ドラゴンボール芸人を集めてライブがしたい…」





そのメンバーの中に、夢の中にいれる事を誇りに思います。








ドラゴンボールも、DB芸人の物語も続くといいな…






















ドラゴンボール超は終わっちゃったけど、今度は映画だね!





















みんな、劇場で待ってっぞ!























オラも、劇場に観に行くから!

























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