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朗読をなさったこと有りますか?
学校時代に国語の本を読んで以来、声を出して文を読むことはしていないという方も
すくなくないとおもいます。 私は女学院時代はESSと放送部に所属していました。
当時放送部で何回か朗読した遠い記憶があります。
大学を卒業し、フジテレビのアナウンサーになりましたが、朗読をするという仕事はまったく
といってありませんでした。ドキュメント番組のナレーションというものがありましたが、
それは画面があって初めて成り立つものですから、いわゆる朗読とはすこし意味合いがちいます。
しかもそういうナレーションは、ナレーターというプロや、名のある俳優等が読むことが多く、
入社間近いアナウンサーに回ってくる仕事ではありませんでした。
しかし私は、入社当時、多くの朗読をフジテレビの
放送で流していたのです。それは、、、、。
私がフジテレビに入社したのは40年も前になります。
映画が全盛の時代、テレビ局は全く新しいメヂアとして
登場してきました。
まだ白黒で、、カラーの試験放送などが行われだしたばかりでしたが、
くどい色でとても見るに堪えるものではなく、
テレビはこどもも見るのだから、
漫画などは絶対カラーにして欲しくない、、と思ったほどのものでした。
今からは信じられない事です。
しかもCMも地方の放送で今も時々見ますが、
写真の上に字が書いてあって、、、(私たちは其れを業界用語で
テロップと読んでいましたが、、)。その止まった画面に会わせて
その時間に生でアナウンサーが、ナレーションをつけていました。
ブースといわれた、デスクとマイクだけのある小部屋で、ヘッドホーンをつけ、、、
5秒や10秒のコメントを、ストップウオッチを片手に、読むのです。
「魚の目たこにイボころり」 これはずいぶん読みました。当時の大事なスポンサーだったのです。
その後そういうCMのアナウンスも全て、前もって録音し
自動的に放送されるようになりました。
この自動化されるまで、、私はフジテレビから朗読を放送していたのです。
自動化がされるまで、放送はかなり手作りです。
全てが手動で、アナウンスのほとんどが生放送、アナウンサーは順番に泊まり勤務がありました。
放送は、送出している「周波数とJOCXTVフジテレビです。」というコメントでその日の放送が
開始され、放送終了時もこのコメントが終了の合図。
ブースに入って、マイクの音声をオンにして、「JOCXTVフジテレビです。」と読むと、
しゃーというグレーの砂嵐の画面になるのです。
しかし「JOCXTVフジテレビです」。を言う前の時間は、アナウンサーが好きなお別れの言葉を言って、好きに使う事が出来たのです。レギュラー番組のない私たちにとって其れは唯一、アナウンスが出来る貴重な場でした。
週に一度のその時間のために、練りに練った文を書き、時には
その日のビビッドなニュースも挟み込み、マイクを前にハッスルしたものです。
もっとも、この時間にちょっとでも長く話をしたいと張り切るのは、新人アナに限ってました。いろいろな番組を持ち活躍している先輩アナは、早く放送を終え、仮眠室で寝るか、、スタッフと酒盛りをするか、、早々に、最後のJOCXTVフジテレビをいって引き上げていきました。
私は必ずと言っていいほど、ここで朗読を読んだのです。
BGを流し、、詩を読んだり、短いしゃれた文を読む、、、
私の声が多くの茶の間に届いていると思うと、楽しいものでした。
でも下手な下手な朗読で、、早く寝たいスタッフには迷惑なことでしたでしょうし、お茶の間でも、パチとスイッチが切られていたかもしれません。
その時一番多く読んだのは、堀口大学の詩でした。
月夜の浜辺 中原中也
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打ち際に、落ちていた。
それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけではないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、袂に入れた。
月夜の晩に、ボタンが一つ
波打ち際に、落ちていた。
それを拾って、役立てようと
僕は思ったわけではないが
月に向かってそれは抛れず(ほうれず)
波に向かってそれは抛れず
僕はそれを、袂に入れた。
月夜の晩に、拾ったボタンは
指先に沁み、こころに沁みた
月夜の晩に、拾ったボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?
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