東京・なんぶ星野文昭さんを救う会

獄中34年この冤罪を許せるか!沖縄ー本土の労働者階級の力で星野さんを取り戻そう!

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6月星野面会日記(2018年) ケータイ投稿記事

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6月徳島面会日記
                星 野 暁 子
 6月4日の岩井弁護士の面会が、「3回まで」という面会回数に入るので、今回私の面会は2回になった。

 5日は、文昭の弟、修ちゃんといっしょに面会した。「修も白髪が目立つけど、元気になったようだね」と文昭。「住む場所が決って、ようやく見通しが
たったんだ。版画の作品をしあげたい。そういう方向に自分の意識を持っていくようにしたい」と修ちゃんが言った。

 「岩井さんから昨日の集会の話、聞いた?」と聞くと、「聞いたよ。暁子が
坂手さん、高橋さんとのトークの司会をしたのがよかったって絶賛してたよ。坂手さんの11・14への思い、高橋さんが渋谷の現場を歩いたって話を聞いて僕も感動したよ」と文昭。

 坂手さんは、こんなことを言ったのだ。「16年ぶりにブラインド・タッチを再演して、ゼネストの時の言葉も台本1ページ分以上そのまま使ったんです。ないがしろにされてきた沖縄の歴史を、沖縄に行ったことのない若者たちが想像力の中で考えて闘ったことに、僕は改めて深く打たれます。、、、沖縄の人とつながっているという思いを持っていて実際に横に現在につながると同時に過去とつながり、未来ともつながることをやっていく。沖縄のことを考えるということは、僕たちの目が覚めることで、そのことを星野さんの闘いは教えてくれるので、いつまでもそこにフィード・バックして考えていきたいと思います」。

高橋さんは「確かな証拠もなく43年も刑務所で服役している、この現実に本当に衝撃を受けるし、驚きを受けるし、そして悲しみを覚えます。今日平良先生のお話を伺って、はっとする思いでした。まるで、沖縄のことを自分の目の前にある一番大切な出来事として、見ないようにしていた自分、どうしたらいいかわからないから、あるいは誰かから攻撃されるんじゃないかとか、いろんな不安がたくさんある、自分の中にも。平良先生の話を聞いて、本当に気づかされる思いでした。星野さんが、一日も早く、社会に出てくる、その日のために僕も一生懸命応援したいと思います」。

 「平良さんの講演もよかったんだ」と修ちゃん。「星野さんがなぜ渋谷の闘いに立ち上がったかは、沖縄の歴史を見ればわかる。日米安保を許す限り、第2、第3の辺野古が生まれる。星野さんの闘いは、それを自覚した闘いだった。この方向にしか私たちの未来はない。星野さんを取り戻す闘いは、沖縄を救う闘い、日本を救う闘い、人間として胸をはれる闘い、人間万歳」そういう講演だったと私が話した。

「青年企画で、私の詩を群読したけど、それもとてもよかった。励まされたよ」と話した。

 パレードも、歌を歌い、風船を持ったり、20枚の文昭の絵を持ったりしながら歩いたことを報告した。デモコールはやらないで、呼びかけ文で訴え、「星野さんを釈放しよう」とかいくつかの文を唱和した。歌も文昭がうたってほしいと言っていた「WE SHALL OVER COME」、「ソリダリティ」「とり戻そう星野」「花」「ふるさと」などみんなが知っている歌を歌ったことを伝えた。パレード全体に地元と青年が責任をとったことが大きかった。

 6日。宅下げした絵を見ながらの面会になった。デイズジャパンの表紙になった写真を見て描いた絵だ。「ロヒンギャ難民を生きる少女」というタイトルの、涙があふれ出る少女を見つめた作品だ。「涙を描くのが難しかったけど、なんとか形になったんだ。この写真を見て、描いておかなければならないと思ったんだ」と文昭。絵のバックは時間をかけられなかったと言っていたが、戦火を生きる少女の悲しみが伝わってくる。「いい絵だね」と言うと、文昭は「暁子に喜んでもらえると思って描いたんだ」と言った。

 「獄壁を越えて」届いているかどうか確認した。「ありがとう。今回のは特別にいい。自分の人生を書いて、その上で僕のことを書いている。まるで、直接会って話しているようだったよ。じっくり返事を書くよ」

 刑務所で受刑者が作った製品を販売する矯正展が6月に東京で開かれた。文昭がつくったバック4個ともすぐ売れたらしい。担当の技官も喜んでいたそうだ。文昭が心血を注いで作ったバックだから、出展されることがわかっていれば、私もほしかった。これらのカバン作りのために疲労困ばいしたあげく、懲罰をかけられたわけで、犠牲をともなった出展となった。

 文昭からは、5回分全部を使い切った手紙が届いている。

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