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荒れていた四十数年前に行って以来はじめて訪れましたが、建物が増えて変わりようにびっくりしました。 「中山神社」は昔海水浴で賑わった下関市の綾羅木海岸の近くにあります。 境内には「奥津城(御墓所)」、「愛新覚羅社」、「宝物殿」「武道館」などがあります。 主たる御祭神は「中山忠光朝臣命」です。 忠光は父大納言中山忠能の第五子で弘化二年(1845)生まれです。 忠光の姉慶子(一位局)は孝明天皇に嫁いでおり、忠光は明治天皇の叔父にあたります。 忠光は幕末の時代、急進的な青年公卿として、尊皇討幕に生涯をかけました。 当時朝廷は、尊攘派と公武合体派に分かれていました。はじめは尊攘派が勢を得たことで、 忠光は天忠組を結成しましたが、すぐに公武合体派のクーデターに遭い、「七卿落ち」、「天忠組の義挙」等、政変となりました。 忠光は長州藩に難をのがれましたが、長府藩の内部も俗論党の勢が強くなり、逃げ隠れていたものの、ついに豊北町田耕で暗殺されました。元治元年(1864)11月8日、19歳でした。 高杉晋作が長府功山寺で挙兵したのはその37日後のことでした。 隠すためか墓碑銘は「藤原忠光御神霊」なっています。中山家をさかのぼると藤原家にたどりつくそうです。 愛新覚羅社です。愛新覚羅溥傑命(旧満州国皇帝の弟)、愛新覚羅浩命(嵯峨公爵家長女、満州国と日本国の親善結婚で嫁ぐ)、愛新覚羅慧生命(溥傑と浩の長女、天城山で心中)三人が遺言によりこの地に祭られています。 |
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中山神社...行ったこと無かったですね。
バス停で降りた事はありましたが(車内放送の“中山神社前”が妙に思い出に残ってます。)(笑)
脈々とした歴史が背景にあったのですね〜
19歳のほんの若き一生ですか...なぜか心に響くものがあります(*^_^*)
2009/9/6(日) 午後 6:01
けいさん 中山神社前にバス停があるのは、この度行ってはじめてしりました。昔は国道から中にバスは入ってきませんでしたよ。中山神社がなぜここにあるのか歴史を知らないと不思議に思いますよね。映画「ラストエンペラー」で愛新覚羅社の方が知っている人が多いかもしれません。
2009/9/6(日) 午後 8:33
パインさん。 じっくり、写真、拝見致しました。
私も、40数年前ですね! 中山さんは、初めてでした。
山の田から、神社経由綾羅木海水浴場、走っていました。
まだ、砂地の畠がたくさんあり、松並木がいっぱいありました。
隠されている史実の中、ゆっくり休まれていらしゃるのかな?
何か変えられる・・・・と、動かざるを得なかった、時代の中。
豊北町田耕、白滝山の麓の、中山忠光卿遭難の地(中山神社)を、訪れると、何か、不思議に伝わってくるものがあります。
嵯峨家(正親町三条家)の御衣装が見られる機会が近いうちにございます。 お願いを致していますので、拝見可能と思っています。
じっくり、昔を、味わってみたいと思います。
2009/9/9(水) 午前 10:49 [ ミューポン ]
こんばんは〜
子供の頃から、良く遊びには行っていたのですが、今年、三社参りをし、こちらにもお参りに行きました。
歴史に疎い私は、???なのですが、他の方々のブログよりも、
とってもわかりやすかったです。
ありがとうございました。
2014/1/4(土) 午後 10:44 [ mamadakku ]
mamadakkuさんご覧いただきありがとうございます。外出が難しくなり新しい記事アップしていません。
2014/1/5(日) 午前 11:18
パインさん
おはようございます。
お身体 大丈夫?ですか?
焦らずに、ゆっくり治されて下さいね!
2014/1/6(月) 午前 6:40 [ mamadakku ]