あらぶだからぶら Dubai the Wonderland

アラブ世界から観て暮らす世の中のいろいろ ...蘇生はなるか

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アラブ コンクゥエスト

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ここしばらく「かたい」記事が続いていますが、スミマセン... 
まだ少し続きますです...^^
 
 
北アフリカ中東地域のアラブ・イスラム圏では、西洋近代が到着し、分割植民地化する前までは、歴史書に綴られる様な、或いはワタシ達が考える様な【民族国家】や【大帝国】と言う形態や意識が実際に存在していた訳ではなく、後の西洋・日本史家達が勝手に後から定義付けて表現した歴史記述であるだけだと言えます。
 
日本の世界史教科書やその他、一般歴史書の記述様式を見てみると、統一、支配、分裂、滅亡、大国家、王国、包囲圧力、等と言う表現でしばしば描写記述されていることが多いですが、それ自体、西洋系歴史学者達が如何にイスラムとイスラム世界出現の意味やリアリティーを理解していなかったかを示すものだと思います。
 
中東北アフリカ、東地中海地方は、その地理上の事情ゆえに古代文明時代からずっと様々な人種、民族、信仰、文化が交流・移動・定住を繰り返していた地域であった事で知られていますから、多民族共存/融合する地域の様々な都市や周辺集落地域に住む一般民衆にとっては、時代によって替る【支配】統治者達は、有能有力者一族/民族が時々に交替すると言うだけで、それは欧州人やワタシ達が想像イメージする【異民族支配】の下に従属させられた...と言う事からは程遠かったと云う事です。
 
なぜかと言うと、【異民族支配】と言う発想/表現が成り立つのは【一民族一国土】と言う【民族国民国家国土】形態(思想)が大前提になった時にだけ在り得る表現/論理だからです。
 
様々な多民族、多信仰、多人種、それも夫々が皆部族民である人たちが入り混じって定住または移動している地域の社会環境では、ある都市とその周辺集落や地域を治める(税収集管理する)統治者一族/民族が時々違った一族に替わる、と言う形である訳ですが、それはどの一族/民族が統治者に成っても、統治組織の様々な部署で働く役人達や軍人達は同じく様々な民族・部族の者達が働いていたのであって、統治者から統治組織員の全てが一つの他民族だけに入れ替わる訳では全く無かったからです。
 
例えば【オスマン トルコ朝支配になった】と表現されますが、
オスマントルコの支配と言っても、実際その1300年の大半の長い時期は、支配下地域の北アフリカ中東地中海地方がトルコ人で埋まってトルコ化された訳では全く無く、それ以前の時代と同じく様々な部族・民族、信仰、文化が混在、共存し、今まで通り人々は暮らし働いていた訳です。 それはこの地域ではトルコ語を話さないこと、トルコ人がすんでいる訳でもないことが、その実態を示しています。
 
同じくアラブ支配下でも、トルコ支配下でも、イラン支配下でも、マムルーク支配下でも同様の【イスラム統治】で、一般民衆の日常生活が大きく変わったと云う事はなかったのです。 ユダヤ教徒も、キリスト教徒も、コプトも、アルメニア教会も、クルド族も、その他様々な民族も共存していました。 そこには【異民族支配】とか【統一帝国】言う発想さえも存在し得なかったのでした。
 
ところが西洋の到着による分割委任統治、植民地支配は全く別の質のもでした。排他的、異民族蔑視差別的で、野蛮暴力と破壊と征圧が始まった訳です。 この西洋の支配が登場したことで初めて【異世界支配】となったのです。
 
そう言う風に多民族、多部族があちこちの城壁で囲まれた都市部や、その周辺集落に住んでいると言う社会環境が何千年も続いてきた地域の人々には【異民族支配】と言う発想表現さえ成り立ち得ないのですよね、論理的に考えても。
 
彼らには【一つの国】と言う発想さえも無かったのです。 
この地域はみな、そこここにある【城壁に囲まれた街=コミュニティー】として存在し、人々はその城壁内に住み、農業や放牧民達はその周辺集落に住んだり、隊商移動民達はいつも何処かの旅路にあることが多かったりしたのでしょう・・・。 
 
西暦600年代、既に通商交易によって繁栄していた紅海側アラビア半島地域(現在のサウジアラビア地域)に、イスラムが発祥し、預言者の死後イスラム教として確立していくと同時に、イスラム教徒達はその新しい教えの生活方式を広めると同時に、新しい地域を目指して新しい商材や事業、新しい市場を求めるべく、広く東西南北へ遠征して行きましたが、それは【領地拡大収奪】や【征服支配】【帝国拡大】と言う目的でも、形態でもなかったことは既に従来の歴史家も認めているところです。 
 
当初は到着地で自分達のイスラム信仰とライフスタイルを紹介はしても、土地略奪や侵略は勿論のこと、土地所有さえもせず、都市外地域ではテント住まいを続け布教と商活動、遠征を続けていったと言われます。
 
640年代から700年代前半までには、北アフリカはモロッコ、更にはスペインにまで到達しましたが、これらの地域に遠征して行ったのは主に南部アラビア、イエメン地方からの部族が多く、およそ25万人規模の様々な部族が北アフリカ地方へ流出、移動、定着していったとされています。  
 
かれらイスラム教徒達は、アラビア半島地域全土の都市、部族集落へのイスラムを広め更に、中東北アフリカ、アジア大陸方面へも遠征して行き、夫々の地域の集落や都市地域に到達すると、先ずはその統治者や住民達に
【我らが信じる唯一の神への信仰へ招待する。改宗する者はこれを歓迎し、また自分達の旧来の信仰を堅持したい者達は、それも良し。ただしその場合は、異教徒としての保護料納入により信仰の自由、就労・生活と身体の安全保護と保障を我らが提供しよう。しかしイスラムに敵対し冒涜する者は、我らの剣にみまわれるだろう。】
 
と宣言して移住宣教していったと言われます。
そして驚くべき速さで、その新しい信仰は拡がっていきました。
 
なぜ、イスラムがそれほど速く広く迅速に北アフリカ中東地方、オリエント地方に拡がり、定着していったかの一説には、当時その地域の二大勢力であったビザンチンローマ帝国とササン朝ペルシャ支配下では、住民は同じく課税されていましたが、ムスリム達が提供した異教徒保護料としての所謂【人頭税】はビザンチンローマ、ササン朝ペルシアの課税率よりも低かったのではないか、と言う点と、イスラム法の富の公平分割方他、数々の社会福祉的供与の教え、規則正しく身体の清潔を教える生活習慣規律などに説得力があったのではないか、と言うものです。
 
抵抗したビザンチンローマやササン朝ペルシャの都市との戦闘勝利で得た戦利品や、通商交易で得た収入は、全てムスリム達の間で分割されたため、それもイスラム改宗への強い魅力となったと言われています。
 
また、タイミングとして丁度この時期、既に疲弊し始めていた両帝国の統治スタイル、ユダヤ教、キリスト教、ゾロアスター教他の諸宗教も、富裕な豪商と一般民の貧富の差や、支配層の堕落を止められなかったことへの社会的な不満が背景にあったであろうこと、同時に重装軍備の帝国軍は、裸馬に衣服二組分、デーツ一日七粒分の食料と言う、軽装備で迅速に動いたアラブ軍にあっけなく倒されてしまった事、等が複合的に要因したのであろうと考えられています。
 
また、イスラム統治コミュニティー内に住む異教徒達は、人頭税を払うことで信仰の自由と職業・身体生活保護を受けますが、イスラム教徒間で分配される利益には与らず、従軍の義務もありませでした。この部分がウィキペディア指摘するところの【様々な差別】にあたるのでしょうが、逆にイスラム教徒ではない異教徒達は、ムスリムとしての献金喜捨義務を含む【五大義務】を免除される訳ですから、ムスリムと異教徒間の権利と義務の違いは、相対的には相殺されていたとも言えるのかも知れません。
 
また宗教的実践の制限については同じ【啓典の民】の信仰であるユダヤ教、キリスト教への制限は全く無かったのは、イスラムが、この両先達宗教延長上にある教えであり、両宗教の教えを認めそれらを包括した上での教えであるので当然でもありす。
 
禁止されていた異宗教実践は、ブードゥーの動物/児童生贄や呪い、黒魔術、悪魔信仰など明らかに反社会的、犯罪にかかわる行為、宗教実践であったことは記録されています。 また、鳥葬/風葬の習慣のあったゾロアスター教は初期には容認されていた様ですが、人頭税などの処遇に反対する様になり、やがては排外弾圧される様になりました。
 
また、引用にある様な、≪現代の完全なる信教の自由と平等という原則≫と近代以前のイスラムコミュニティを比較すること自体が意味の無い、見当違いな試みだと云えるでしょう。 
 
イスラムでは、人間が支配する強大な【王国】や【帝国】を造り上げることを禁じていることから、遠征して行ったムスリム達は、様々な地域へイスラム布教と生活スタイルを広めて、多くの都市、地域の統治、経営に携わっていきましたが、いずれも夫々の都市や周辺地域の統治管理機能組織をイスラムスタイルに従って【担当する】と言う発想でした。
 
アラビア半島から移動し、シリア地方の大都市ダマスカスとその周辺地域を、指導管理する最高責任者カリフの居地にしたことを【遷都】とされていますが、その最高指導者である【カリフ】の意味も本来は、預言者に代わる管理代理人と言う意味に過ぎないのでした。
 
そこには、世界を制し治めるのは、唯一の神のみであって、その下の様々な地域の夫々のイスラム共同体を代理指導する責任を負うのがカリフや、エミールなどのリーダー達であると考え、そうしたイスラム共同体が広く世界に作り続けられていくと考えていたのでした。それは統一した一大イスラム帝国の建国をめざす、と言うは発想とは全く違った考え方でした。
 
飽くまでも、様々な地方に点々とある城壁都市と周辺地域を【担当】する指導者、管理担当者としてのエミールやシェイク達は、税収徴収権をもった管理統治代理人として統治していたのでした。
 
発祥と拡張当時(6〜8世紀)のイスラム世界には、【国】と言う概念そのものが無かった訳で、従って日本人歴史家達が好んで用いる【統一】【征服】【支配】【分裂】と言う表現は本来のイスラム文明圏の歴史性質には適していなかった、と考えるべきなのだと思います。
 
初期のイスラム教徒達の動機は、唯一の神の下に人間は全て平等であると言う教えに従い、反対しない者達をも交えて、イスラムの教えに従った共同体生活をする、と言う理想的共同体実現を実行していこうとしたに過ぎないのでした。
 
そしてその初期には、通商交易、生産流通産業を営むことで栄えた、富の公平な分割配当を実現していた理想に近い共同体が実現していたのだとされています。
 

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いやはや「国」という概念は厄介なもんだと、受けている恩恵(探せばあるんだろうな)はさておき、感じてしまいます。
支配者には便利なこの概念も、被支配者には厄介なくびきのような。

2010/9/21(火) 午前 0:23 [ 高橋美香 ]

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すばらしい記事ですね!!

おそらくこう言う斬新な視点の記事は世界唯一と言っていいのではないでしょうか?

今の世界や歴史学が当然としている前提そのものに問題があるのですね!!

統一する事が善か悪か、支配とは何なのか、分裂は善ではないのか? 民族自決、法治国家、経済発展、科学文明なのか自然破壊なのか...

このあたりの再検討がなされて歴史が正当に再評価される事が急務と思います。

何しろ極東の何処かの国ではオリンピックの標語に「世界は一つの民族、一つの国家」等という恐ろしい自国の思想を掲げ、世界は中華思想によって近代文明化されることが当然であるかのような思想を持っている国があるのですからね!!

この中華思想と言う侵略思想は過去の人類の歴史の中で一番恐ろしい思想ではないでしょうかね!!

傑作ポチ!!

2010/9/21(火) 午前 10:05 [ 油食林間 ]

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ひょうたん島 さん、コンニチハ。
そうですね、いつかもっとご意見聴かせてくださいませね!
...マズやはり『学識』なるものが無いワタシ達が『学識者』先生達へご質問申し上げないていかないとモノゴトが見えてこないのではないか...
などと考えておりまするです...^^

2010/9/21(火) 午前 11:57 PINK

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森羅さん、そう言うことは大いに在り得る事でしょうね... 古代ギリシャ人だって、突然『民主主義』を思いついて導入した訳じゃなくて、そう言う考え方やモデルがそこここにあった環境があって、影響を受けたのでしょうから...
これも西洋人史学のコンプレックスで、悉く『西洋が優位』であることを証拠付けたい心理が働いた結果なのか...と思いますです。

2010/9/21(火) 午後 0:01 PINK

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山田さん、誤解を恐れず、ものすごぉ〜〜く大雑把に云って、要するにそう言うことだと思いますです。 『アラブ的な歴史の捉え方』ではなくて、アラブ世界では、そう言うシステムが続いてきた...と言うことです。 そう言う傾向は今でも彼らの社会心理に反映されている...と言えるとおもいます。

2010/9/21(火) 午後 0:06 PINK

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モランさん、おそらくは、多くの地域でもそう言うパターンであったのか? と思われますが、全く鋭いご指摘のとおり、アラブ世界の特殊な自然環境=砂漠地帯の故に、こう云う社会システムが生まれたのかも知れないです。 食べ物を産み出してくれない大地・自然のなかで生き延びるには、遠い他の土地から苦労して運んで来ないといけなかった訳ですから... それにはそのコストが掛かる事、そしてそのコスト+利益を払ってもらわないと恒常的に成り立って行かないことが自然に産業として生まれた...と言うことなんだと思いますです ^^

2010/9/21(火) 午後 0:13 PINK

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Maximilianoさん、有難うございます。 そうです。全くその通りに西洋世界は生まれ育ち、発展し、世界を征服していきまして『未開だった』ワタシ達も『文明化の方法』教えられてき、学んできたと思います。その過程で同じくそう言う西洋世界観を基に世界を観る事も学んだのだと思います。
西洋世界観に基づいて近代化してきた日本の『学識土台』が西洋型ですから、そこで教育され、学んだ者達の歴史の学び方、見方も自然に西洋近代型なんだと思います。少なくともワタシ自身は全くそうでしたから。 それでは見えない世界、読めない歴史があったに違いない...と思い始めたのは実際に訪れ、観て、感じて、食べて、話して、出会って...と言う3D体験をしてからでした。

2010/9/21(火) 午後 0:23 PINK

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つづき...
西洋が近代へ移行していく中で通った重要な過程の一つは、世俗化でしたね。西洋世界の心身共の教会支配からの決別。勿論それでもずっとキリスト教価値観の世界なのですが、これに対してアラブ世界、特にイスラム世界は世俗化する必要が無かった。と言うのはイスラムは科学(この世の話)と矛盾しないからです。キリスト教は完全に観念化し、一切を形而上学に昇華してしまったことによって、体は『この世』で世俗生活、魂は『あの世』での救われ=福利厚生至福、としてしまいました。 PINK流に云うと『ハードとソフトの分離』...^^
それに対して、イスラムは云ってみれば、そう言うキリスト教の失敗を見た上での『宗教改革』であった訳なので、ユダヤ教的要素へまた戻って、この世での人間の実生活を問題にすることこそが『あの世での救い』となると言うスタンスをとったと云えます。 だから、キリスト教の様に小難しい、ややこしい魂のあの世での救いを説く専門家を必要としなかったし、またそう言う発想はなかったので専門『伝道師・宣教師』は存在しません。

2010/9/21(火) 午後 0:58 PINK

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イスラムの教えは『この世での生き方』そのもの、日常の生活マニュアルとも云える大変に具体的な『この世』での福利厚生健康安全生活なので、全てのムスリムが皆伝道師..と言う発想になっていくわけです。社会の最底辺にいる、全くの無学無知な者達=最弱者達を救うこと、それは即ち今この瞬間を生きる人間の実際の日常幸福である筈...それには細々と細に入った生活上のルール指導、決まり事を具体的に実行させることが現実的だったのでしょう。毎日5回は手足顔を洗わせる、一日5回は血流を促す運動をする...朝は早く起き、涼しいうちに仕事をする(砂漠地ですから)...集団食中毒のリスクは避ける...女性は生涯責任をもって生活保護し相続権利を与え守る...
こう云う一つ生活の教えを『神様からの教え』としてコミュニティーに義務付けることで安全な社会を形成していく、と言う信仰な訳です。

『路上の足なえ』に三位一体論を説いてもしょうがないでしょう〜?...
と少年モハメットは父親について商売で訪れたエルサレムで思ったのかも知れないです...^^

2010/9/21(火) 午後 1:09 PINK

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山田さん、そうですね...
古代には、何処もみな【城壁で囲まれた都市国家=ポリス】でしたから、オリエントアラブ世界もそういうあちこちの都市を中心にその周辺地域をテリトリーとしていました。 ところがギリシャの地理的条件と住人構成は、東地中海地域の住人構成とは違っていた...、通商交易交通の交差地として多民族交流が少なかった事から【国家】構成員のイメージが変わっていったのだと思います。
日本だけではないですが、歴史と地理を切り離して教える方法に問題があるのかも知れないです。 歴史をイメージする上で、地理上の条件の重要性、影響をしばしば忘れがちになる傾向があるんじゃないかと思います。 アメリカの教育はこの両方を殆ど教えないのですけれどね...^^
近代以前の歴史の話をするにはアメリカは若過ぎるんですよね。 アラブ・イスラム文明が完全に没落したずっと後にアメリカは登場しましたから。

2010/9/21(火) 午後 1:59 PINK

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kyomutekisonzairon さん、
こちらこそ有難うございます。当初、Kyomuさんのシリーズ記事の繋がりで...と言う前置きがあったんですが、字数制限で削らざるをえなくなったのでした。 考えてみればコメント欄に載せれば良かったのですよね... 失礼いたしました。

さて、ご指摘の点、全くもってすべて然り、同感です。 仰るとおりだと思います。

日本の中東研究でも【アラブ世界】研究は殆ど無きに等しいようで、中東研究=イスラム文、アラビア、イラン研究が殆どで【アラブ史 アラブ世界】研究と言う視点は稀である様にみえます。
また、いろいろ日本の研究傾向、状況も教えてくださいませね。 これに懲りずに末永くお付き合いの程宜しくお願いいたします。 ^^

2010/9/21(火) 午後 2:07 PINK

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MESTさん、中東アラブ、イスラム世界がずっとダメな諸国であり続けるのは、ある意味、ワタシ達への【警鐘】なのかも知れないですよね...
だからと云って『エ〜イ壊しちゃえ』とは即成らないのだけれど、狭く小さい範囲での部族社会範囲でそこそこ、まあまあ暮らしてる... 程度が自然なのかも知れないですよね... ^^

2010/9/21(火) 午後 2:12 PINK

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油食林間 さん、お優しいお褒めのお言葉、ポチ 有難うございます。
ご指摘、仰せのとおりだと思います。

超強大国の周辺諸国は、自分達のサイズを先ずは正確に知り理解した上で、どうしたら踏み潰されないように賢く立ち回れるか考えないと生き延びられないですよね。

『巨人の肩の上に座る小人』になれるのかどうか...??
日本もいよいよアブナクなってきた様ですね...
真剣に良いアタマをフル回転してほしいものです
^^

2010/9/21(火) 午後 2:17 PINK

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理解し易い解説ありがとうございました。

個人的には、上の方で、古代リキヤのことを書いてられる方がいらっしゃられて、ほほぅ・・・と思っていました。

アンタルヤ地方、謎の文明古代リキヤの遺跡の残るカシュという町で少し暮らしていて、英文のリキヤについての本を買ったものの、読んでませんでしたので。。。

お墓の遺跡がいっぱいありました・・・脱線すみません・・・

2010/9/21(火) 午後 11:34 KOKO

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KOKOさん、有難うございます。
珍しい、興味深いご経験お持ちなんですね!
またいろいろなご経験教えてくださいませね...

ちっとも脱線ではないですよぉ〜...^^

2010/9/22(水) 午前 5:33 PINK

回る回るよ♪時代は回る〜♪
と思ってしまいました!
今まさに国と言う概念を超えた生き方を模索してる時代ではないのか?と・・・上手に言葉にできません(._.)

2010/9/23(木) 午後 8:33 mora

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moramoraさん、そう、そんな感じですよねぇ〜
^^ なんか解りますですよ、仰ろうとしている意味が... ワタシもそう言う方向へ発展せざるを得ないのではないか...とも思うのですが...
実際、市場経済、多国籍企業はすですものね^^

2010/9/24(金) 午後 5:13 PINK

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...ご指摘の通りだと思います。
また彼らが『異教徒』と言う場合、無信仰者も含んでのことですね。
<宗教そのものが根付かない日本人...>と言うのはホントは違うと思うのです。実際にはちゃんと長い間宗教は持っていましたし、今だって殆どの人々は仏教か神道信奉でしょうけれど、どうしても『宗教を持っている』と堂々とハッキリ云えない、云いづらい心理が強く働いている...と言うことなんだと思います。或いは日本人は宗教的と言うよりは迷信深い...スーパーナチュラル、オカルト好み...とでも云いましょうかぁ?? ^^

2010/10/19(火) 午前 5:05 PINK

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...それ当たってますよね。そのとおりだと思います。 イスラムもアラブ文化や歴史も実際、英国や米国の方が優れた研究書が多いのも皮肉な話なんですが...まあ、征服者達ですから当然かも...^^

2010/10/19(火) 午前 5:08 PINK

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...ん? その歴史認識にはチョッと? ですけれど、まあ置いておいて...
<宗教は神の宣伝を担当する下世話なエージェント程度の認識なのかな…。> は当たっているかも知れないですね。 逆に言うと「宗教に無節操・信仰に無神経」...とか。アメリカ人は一般に物凄く宗教的で【神を信じない】【宗教は持ってない】と言う表現は非情に警戒され、信頼されなくなる表現だ...と言うアメリカの現実に気付かない日本は、もっと注意深く世界を観察する必要があると思います。

2010/10/25(月) 午後 11:35 PINK


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