またしばらくオマーンやレバノンへ出張だった。
中東地域を行き来し、アラブ人達に会う毎に、この地域の人々の長く複雑な歴史の事情と世界との繋がりの背景への想像と理解が深まってくる。
未だ異論や様々な説はあるものの、世界の学者達の間では大体粗一致した理解と認識となって収まりつつあるのは、現人類の発祥起源はアフリカ大陸で、そこから何万年も掛けて徐々に広範な世界中へ移動定着を繰り返すうちに、様々な人種に分かれ安定化し発展していった、と言う説だ。
そのアフリカから移動し、ユーラシア大陸へ散らばって行く上で、二大陸の繋ぎ目、経路になっていたのがアラビア半島を含む地中海西アラビア地域だ。
北アフリカ、中東地域は地球上で一番太陽に近い距離地域にあることから、最も早くから氷河期の終わりが始まり、他の地域よりも早く氷が解け始めた地域でもあるだろうから、動植物の成長発達も早くから始まっていただろうし、即ち人間達も早くから食物を獲得し始め、また発展も早く始めた、と言うことなのだろう。
だから最も早く起こった人類文明地域は豊かなナイル河の畔のエジプト地域や、チグリス、ユーフラテス河畔メソポタミアや、インダス河畔インド地域であったのも自然の理にかなう。
ナイル河は余に長く、豊かであったために、海へ流れ出すデルタ平地に肥沃な泥土をもたらし、そこに定着した人々は、そこから先更に移動する必要がなくなったことが豊かな文明を作り上げる条件になったとも云えるのだろう。だからエジプト地域に住んだ人々は古代から現代まで、その居住地域境界を殆ど変えていない。
もう一地域、アフリカ大陸とユーラシア大陸が繋がるのに最も接近していた地域は、アフリカの角、ソマリア地域とアラビア半島南端イエメン地域であった。ある時期、現在の紅海にあたる海は、現在よりもずっと浅かった時代があったらしく、動物も人間も渡ることができたらしい事が考古学発見で裏付けられている。
やがて紅海は深くなり、大陸との行き来は難しくなり、アラビア半島南東地域に移動定住して発展しいった人々はその地域独自の人種的分枝発展、安定化を遂げていったのだろうと推測される。
現在のイエメンに当たる地域に移動していた者達は、地理地形、水源、自然風土気候に従い、そこでやがて定住発展、人口増加していったが、エジプト程の豊な自然条件には恵まれなかったから、人口増加し過ぎると水や食料源を求めて移動せざるを得なかった。
地域人口が300万人くらいに達すると移動を開始すると言う波が何千年もの間、幾度も幾度も繰り返された。
アラビア半島南部に定住安定発展し、やがて人口増加する毎により豊かな土地を求めてあちこちへ移動していった人々がセム語族民と呼ばれる人々だ。
水源や食料源がより豊かな土地を求めて、家族親族一同引き連れて部族単位で移動する。厳しい自然気候の砂漠地帯を移動中には強い者が親族部族を率いて護り、部族民は知恵あり強い指揮者に従わなければ、広大な砂漠に彷徨い出て全滅する恐れもある。だから率いる者を中心にした一族部族間の結束は強くならざるを得ない。
水や食料調達もできそうな場所を見つけた部族は、そこに定住し、やがて家族親族は共同体へとを広がっていく。共同体は大きくなれば都市へと発展していく。アラビア半島中何処へ行っても豊かな農業地がある訳ではないので、自然に食料や必要品供給は、それらを持っている者達の地域へ行って得るしかない。
必要な物を得るには、相手の必要を満たし交換合意する物を見つけてこなければならない。
だからこの地域の人々、セム語族民は既に紀元前2500年程の頃から野性駱駝の飼育家畜化を始め、重い荷物を積んで長い距離砂漠地を移動することを可能にした。
そんな風にアラビア半島南部で人口増加する毎に移動を繰り返していったセム語族民達が、アラビア半島の沿岸部あちこちに古代都市を築いていき、更にはユーラシア大陸部へも移動、定住し大都市文明を築くまでにいたった。
こうして栄えた都市は、更に続いて後から移動して到着した者達に侵入されたり、占領されたり、支配交替したりの栄華盛衰を繰り返しながら発達していった。
そう言う土地柄自然環境、社会環境の必然性からアラビア半島地域やアフリカ・アジア両大陸の人々の間には『移動』する事と定住する事の両方の必要を満たす『物を運ぶ事』と『物を交換する事』の必要性が産まれ、その必用を満たす術を発明、発見し、発達させていったのがセム語族民達であったのは社会と自然の理にかなう事だったのだ。
即ち砂漠を渡る駱駝を発見し飼育したり、海を渡る船造りを発展させたり、物々交換方法や貨幣、帳簿会計術や、経理のための文字や数字、法律の概念や商法を発展させたりしながら、都市を築き、文明を築いていったのがセム語族民のバビロニアだったり、ぺトラやパルミラなど、様々な古代都市と文明だった。
そのセム語族民達は、家族親族中心の部族単位で移動や定着を繰り返していったので、言語も様々に発展しても共通性があり、同じ地域の昔からの言い伝えや、信仰、生活文化習慣や社会心理にも共通性がある訳なのだ。
そんな同じ南アラビア地域地方の言い伝えや、共同体内でのルールや戒めが、移動するルートによって違ってきたり、定着先が分かれて行ったりする過程で、夫々に徐々に変化していった言語になり、また信仰習慣の分化が起こったりした。
そうした分化によってできた言語や信仰の違うグループを、言語別ベースや地域毎に名づけた部族グループの名前が、フェニキア人やナバチヤ人、ヘブライ人やバビロン人、アラブ人なのだ。 これらの人々はみな同じ南アラブ地域から移動して広範に拡がり、あちこちに定着していったセム語族民なのだ。
だから現在でもアラブ人達は、昔からこの中東北アフリカ地域に住んでいたユダヤ人達を別人種、別民族とは思っていない。同じセム語族民内の派生同類言語を話す、少し古い時代の信仰を持つ従兄弟部族の者達と考え続けてきた。
ところが100年前程から西洋から移住し始めた、全く違った人種で全く違った言語を話す社会主義的新興宗教系の様な「ゆだやじん」と称する西洋系移民達に、土地を奪われ始め、やがて古代信仰も文化も歴史の記憶もハイジャックされ始めて困惑、うろたえ、動揺した。
力の論理の近代の嵐の前に何一つなすすべもなかった者達が、古代文明の十字路で人類史の発展を可能ならしめた様々な活躍を担ってきた人々だったのだ。