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英語版で11分と長い動画ですが、チョッと面白いです。 アラブ イスラム文明黄金時代の発明についての過去記事は... の記事でも触れましたが、アメリカでは急激に反イスラム、イスラムフォービア(=イスラム脅威感情)が、ある種意識的に、また選挙戦略の一環としても、あらゆるメディアを通じて煽り立てられています。主に白人ネオコン/プロテスタント(キリスト教新教)の人々ですが、更に中でもコアな人々は、白人極右翼と呼ばれるアメリカ国家社会労働党(アメリカ ナチ党)員や、その周辺共鳴者達です。 現在こうしたアメリカ極右アクティブ中心メンバーは2万人ほどとされていますが、支援後援支持者は数十倍の数と読まれ、アメリカ政府の反国内テロ対策の要注意対象となっています。 こうしたの人々は、反イスラムを遥かに超えて、白人キリスト教徒以外の全てを嫌いますから、カトリックのラテンアメリカ人達は勿論のこと、ユダヤ教徒、全アジア人、その他諸々の異民族を嫌い、区別と分離を訴えます。 ヨーロッパでも『ナショナリズム』と言うようりは『選民主義』的な排他感情に裏付けられた民族主義の動きが顕著になっています。 こうしたヨーロッパの右翼と称される人々の動きは、当初のアフリカや東欧からの『不法移民反対』から更に、『合法移民反対』へと発展し、それが更に『反イスラム教』へと転化して形で市民の間に急進化しつつ拡がっている様なのです。 アメリカ建国精神でもあり、ヨーロッパ世界の根幹基本価値である「全ての人間の自由、平等、博愛」の考え方に基づく『思想新教表現の自由』の保障と、こうした『反移民』『反イスラム』の『白人キリスト教徒優越主義』は、根本的に矛盾する筈なのですが、彼らが揚げる反イスラム・反移民の理由とは... * イスラム教はアメリカ建国精神と社会文化価値に反する。 * イスラムは一宗教にとどまらず、西洋文化価値に対峙するイデオロギーである。 * ヨーロッパ文化習慣にそぐわない。イスラム教は別世界の文化習慣である * 外国有色人種文化による、ヨーロッパ文化の侵食に反対する * 有色人種との結合による白人人種の融解を防ぐ ...などなどです。 スウェーデンではこの9月の総選挙でスウェーデン近代史初めて、移民政策反対を主張する極右政党『スウェーデン民主党』が5%を得票、国会20議席を獲得し、実質的な政治発言力を得ました。 またオランダでは極右政党議員の反イスラム、イスラムヘイト(毛嫌い)発言に対する起訴、法廷闘争進行中ですが、これも思想表現の自由の保障に抵触する事件として、法廷闘争が難航しています。 既に日本でも報道されている様に、フランスでは、フランス市民の間で移民出身者達への差別は古くなく、極最近の話題ではルーマニアからの移入民であるロマ達の追い出し政策で、フランス国内に留まらずヨーロッパ連合レベルの問題として大きな反響、賛否両論を巻き起こしています。 問題なのは、こうした完成された自由世界のチャンピオンである筈の、アメリカやヨーロッパの白人キリスト教徒社会内で、理屈の上からも、考え方や論理の上からも正攻法に正面から、こうした人種民族宗教への差別主張に反論したり、反対しきれていない、と言う点だと思うのです。 スウェーデンでは、長年の主力与党政党であった社会民主党や、その他多くの人権擁護団体、労働組合や移民団体などが、この新しく登場した移民反対右翼政党『スウェーデン民主党』(何故こう云う名前かも不思議ですが...)とその主張や方針に反対するキャンペーンやデモ集会を行い、スウェーデン社会の危機を訴えています。 でも、それは彼らの言うとおり、極右とか白人優越人種差別主張や有色人種蔑視分離政策主義であっても、『西洋世界の価値』=思想信条表現の自由に保障された権利である訳です。 彼らの主張内容そのもの即ち、異人種民族宗教分離と差別は、万民の自由平等博愛の西洋世界観=ヨーロッパ文化価値観と全く矛盾するものです...が そうした考え方、主張も同じく表現の自由の権利によって保障され筈 なんですね。こう云う考え方からすれば、西洋世界は、それがよって立つ根本の考え方と社会の在り方が矛盾に陥っている...と言う事だと思います。 コロンブスの『アメリカ発見』後、一番最初に新世界アメリカに定住のために到着したピルグリムファーザーズは、英国旧世界で受けた信仰への圧力と迫害を逃れて、自分達の「信仰宗教、思想表現の自由」を実現するために、『新しく発見した』アメリカ大陸を原住民から奪い盗ってまで住み着き実現した筈なのでした。 そして現在まで続々と世界中から、同じ思想信教表現の自由への希望を持って人々はアメリカへ移住し続け、誓いを立ててアメリカ市民になり、アメリカ社会を作ってきた訳です。その『自由な世界』を信じ、またその『自由な国』を守るために武器を持って闘うことを誓ってこそ初めてアメリカ市民になることを許されてきたのでした。 ところが、その全てのアメリカ市民に保障されている筈の『思想信教表現の自由』は、イスラム教は脅威である、白人キリスト教徒以外の移民流入は歓迎できない、同性愛者は受け入れられない...と言い出し、それうした者達は『アメリカ社会文化価値』や『アメリカ世界観』を守るためには相容れない...と言う主張が持ち上がっている訳です。 同じく『人間の自由、平等、博愛』の精神に基づいて思想信教表現の自由を保障する自由民主主義のヨーロッパ社会では『ヨーロッパの社会文化価値』を守るために、白人キリスト教徒以外のあらゆる異民族移民、移民流入に反対し、白人キリスト教徒社会の考え方、ライフスタイルに反するイスラム教の浸透、イスラム教徒の移民に反対すると言うのです。 オランダの右翼党議員は、イスラム教徒だけに反対であるとしていますが、他の右翼政党や団体は、ユダヤ教徒、ロマを含む、全ての非白人キリスト教徒以外の移民に反対する、ことにもなるのです。 そうなると、例え白人キリスト教徒と結婚/同棲することで移民し、アメリカ・ヨーロッパに在住する日本人やその他多くの非白人欧米人以外の全ての人々も『反移民』の対象になる訳です。 ワタシ達日本人が苦労して翻訳してまで学び続け、読み続け、信じ続けてきた小難しい一切の西洋思想、ギリシャ哲学からデカルト・カント・ショウペンハウエルはおろか、マルクス、レーニン、エトセトラ... 普遍的な人権や平等、自由や理性、博愛 などなどなど... ありとあらゆる一切の西洋思想含む『西洋近現代文明世界』の『価値観』そのものを実現すること自体が矛盾を引き起こし、現実に起こっている問題を解決できない矛盾に陥ってしまい、行き止まりに突き当たってしまった... と言うのが今アメリカとヨーロッパで起こっていることなんでしょう。 人類、万民は自由で平等で、理性と博愛で人権は尊重され、全ての者は自由に開放されるべき...また開放された筈のアメリカとヨーロッパでは... 【いや実はそれは、白人キリスト教徒達だけに限って有効だ、 と言う意味だったんですよ... だって世界は西洋が支配して、未開な有色人種達は教育を施すことで西洋人の様に文明化される筈...だったんですから】 ...と思想哲学者達は思ったのかも知れませんが。 メキシコ人やアフリカ人、フィリピン人や日本人、キリスト教に改宗したとしても、どんなに産業経済化に成功したとしても、そう言う非西洋人達が欧米社会に一緒に住むのはやっぱり歓迎できない... と思っている人々が、こうしたアメリカ、ヨーロッパに少数でるとは言われていても、なお実際には広がりつつあり、確実に議会で政治勢力を得つつある動きなのだ...と言うことです。 フランス政府のロマ追い立てや、欧米に広がるイスラモフォービアも、『あの人達』の人事ではなくて、やがてワタシにも迫ってくる現実的な問題であることを今から知っておく必要があるのだと、ワタシ自信ジブンに言聞かせています。 同じ問題と種は、日本の社会にもピッタリそのまま当てはまっていることは云うまでもありません。 長年税金を払い続けて暮らしてきた外国人達に地方選挙権があるかないかを論議しなければならない社会も、そんな事はとっくの昔に解決した欧米さえもが、今直面している同じ質の矛盾に立たされている訳です。 どうして、この問題とイスラム文明の発明シリーズ記事が関係あるのか...?? 皆さまと共に考えていきたいと思います。
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10月末に発売するワタシの本のご担当編集者Mさんが、素敵なチラシをつくってくださいました。 なんと、ご本人の許可済みで、チラシにはこの本の帯文を書いてくださった、尊敬する長倉洋海さんの帯文が掲載されています。 いい本に仕上げるために、最後の最後まで、全力を尽くしています。 いまは初校とにらめっこ。 早速ブログ仲間の皆様からは「予約するよ!」というあたたかい励ましのお言葉をいただき、本当にありがたいです。 いまも撃たれた傷の痛みと闘っているアシュラフ、ビリンで苦しめられている多くの友達、パレスチナ中で懸命に生きているみんな、そしてガザで過酷な日常と闘っている人たちの顔を思い浮かべながら、彼らから預けられた言葉を、ひとりでも多くの人に伝えられるといいなと思います。 みんな、本当にありがとう。 ※皆様のお近くに、このチラシを置いて下さるところがあれば、データをお送りしますので、宜しくお願いいたします。
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昨日、ご担当編集者のMさんから初校を受け取ってきた。 それは大判でずっしりと重く、この重みこそが本を出すということなのだと、ひとり妙に肩に力が入る。 仮ゲラですべてを整えたつもりでも、まだ文中気になるところが出てくる。 どれだけ直しても、どれだけ見直しても、きっと「これで満足!」ということはないのだろう。 未熟でも、つたなくても、それでもこの一歩を踏み出さなければ。 その本には「パレスチナ・そこにある日常」と名付けた。 十代のころから憧れ、目標とし続けている「ボス」こと長倉洋海さんが、本の帯文を書いてくださった。 お忙しいなかゲラを読んでくださり「内容のある本だから評判を呼んで売れるといいね」と。 この本は現在、書店にて予約受付中。 「パレスチナ・そこにある日常」未来社を予約したい…とお申し込みいただけば、どんな地域のどんな本屋さんでも基本的にはお買い求めいただける。 ワタシは、町の小さな本屋さんを個人的には心から応援しているので、身近な行きつけの町の本屋さんで予約してお求めいただければ、幸いである。 サイン(ワタシがサインかよ!と笑える)とか、おまけのカ―ド付きがいい方は、ワタシに直接お申し込みください。ワタシから記念カードをつけてお送りします。 また近くに本屋がない…という方は、ネットのアマゾンでも予約、購入可能。 ※現在はまだご予約を受ける準備がアマゾンでは整っておりません 未来社ホームページhttp://www.miraisha.co.jp/ からも予約、購入可能。 財政難で買えないって方は、図書館へのリクエストで是非お手にとってください。 ひとりでも多くの方々に、出会った人々の笑顔を、声を、届けられるといいな。 応援、宜しくお願いします。
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持つ者が持たない者を
力有る者が力無い者を
強い者が弱い者を
面倒を看る
裕福な者はその富裕を見せびらかしてはならず
貧しい者は富裕な者に嫉妬してはならない
能力に応じて富を築く事は悪でもなく
富を築けず貧困な者はそれを恥としない
人の能力には差が生じ
その差の故に人の世には様々に違った状況がある
世に差があることは自然で当然のことなのだ
ただ神の前に万人は平等で公平に裁かれる
と言うのが現在までもアラブ社会やイスラム社会の基本的な性質だ。
例えば
UAE全人口の20%にしか過ぎない百万人弱のUAE国籍人の社会では、
小学校のあるクラスの生徒が病気で入院、欠席する事になったので、担任教師がクラスに呼びかけて『皆で、ひとり300円ずつ持ち寄って、病気のお友達にお見舞いを贈りましょう』と提案したとする。
生徒の中には貧しい家庭の子もおり、例え300円でも負担になるので子供に持たせてやれない親もいる。
一方、余裕のある家庭の親達は、貧しい家庭の子供がいることも承知しているから、その子達の分も払う様、教師に言われた300円以上何倍かを自分の子供に持たせる。
貧乏な家庭の親達も子供達も、裕福な家庭の親達が自分達の分も余分に出してくれる事を知っているので、子供には何も持っていかせない。その事を子供達も解っているから、当たり前だと思っている。しかしそれが恥ずかしい事とは思わないと同時、いつか自分達が大きくなって持てる者になった時は、同じく貧しい者達のために余分に出す様にしよう、と思っているし、また実際そうするのだ。
余裕のある家庭の子供達は、親が余分に持たせてくれる理由を解っているから、教師に余分に提出する時も黙って何も言わずに提出する。そこで貧しい子達に恥かしい思いをさせてはならないこと知っているので、教師も何も言わずに受け取る。
そうやってクラス全体として『1人300円』相当の合計が集まるが、誰がいくら出したかは、出した生徒達も出さなかった生徒達も、教師も誰も言わないし、また誰も問わない。
子供達は小さい頃から、こうして社会のマナーを学び、誰にも恥をかかせたりすることが無い様、また自分達の親の富や身分を自慢したり見せびらかしたりする様な、はしたない事はしないことを日々の生活の中で学んでいく。
だから学校で貧しい家庭の子供達が恥かしい思いや、イジメに遭うことはないし、惨めな思いをする事も無い。 貧しい者も豊かな者も社会には存在する事を学び、それは自然な事だが、余裕のある者が無い者を面倒みる必要があることを学ぶ。それがこの社会の信仰に基づくマナーと合意だからだ。
これは本当の事なのだが、UAE人専用の国公立の学校ではイジメはない。
弱い者を強い者が守らない、持つ者が持たない者を庇わない、と言う事はこの社会文化では最も恥じるべき、イスラム信仰に反する事だから、代々ずっと彼らの社会では、子供達はその様に教えられ、またそう言う環境で育ってきているから、極当たり前の世の中のマナーだからだ。
例えばまた
小さな首長国の学校には予算の少ない学校もあり、教師達のお給料は安い。
ある教師が
『新しいホワイトボードがあれば良いのだが、来年度までは学校の費用では新しくできないので残念だ...』と云ったとしよう
それを聞いた生徒達はその意味を理解して親に報告する。親も何を要求されているかを理解するから、早速裕福な親達は学校に新しいホワイトボードを寄付する。
そこでも貧しい親達は、それは自分達の役目ではない事を承知しているし、余裕のある家庭は、それは自分達の社会に対する役目と責任であると理解するので、学校に寄付するのは当然と考える。
貧しい者達と余裕の有る者達との間には、いがみ合いも妬みもなければ、出さない者達へ不平を訴える者もいない。
貧しい者達への慈悲と哀れみはあっても、攻める事などはとんでもない。また貧しい者達は妬みもしないかわりに、僻みも負い目を持つ事もない。
何故なら、いつか自分達に余裕ができれば、今度は自分達もそう言う責任を負えば良いと考えているからだ。
更に、
小学校の1クラスでの何かの行事で、教師生徒の特別ランチをケータリングしたとする。お給料の低い担任教師は自分のランチ代は払わないし、貧しい家庭の子達も払えない。その代わり裕福な家庭の生徒が『今日のランチは、私の家がご馳走する事にします』と言って、両親にクラス全員分の請求書を送るように手配する。 その子の親は子供からその旨知らされても、怒ったり叱ったりなど勿論せずに、それが当然で、責任ある良い事をしたとして支払う。
教師も、生徒も、負い目も感じなければ、恩着せがましい気持ちになる事もない。
それは、その時々にできる者達が、できない者達の面倒をみるのが当たり前である、と言う文化と習慣がしっかり根付いているからだ。
これらの例話は、全て今日の実話で、実際UAE人達から偶然直接世間話として聞いた話なのだ。
『働かざる者食うべからず』などと言う表現を持っているワタシ達日本人には、到底信じ難い、夢の様な話なで
『そんな事は絶対に有り得ない、ウソでしょそんなこと...』
...と思ってしまいがちかも知れない。
そんな人たちを疑い、その習慣を批判する前に、そう云う事をすんなり信じられないワタシ達の『精神の貧困』さをこそ先ずは省みることから始めるべきなのだと思う。
働きたくても働けない者だっている...
働けない者、能力の無い者達はどうするのだ...
と疑問を起こし、そしてその問題を解決しようとする者達もいる
こう云う驚くべき、信じ難く素晴らしい現実のアラブイスラム社会が現代に も現存すると言う事自体信じがたいと思いがちだが
それが『ワタシ達の貧困な精神』と余りにも対照的であるが故に、『ワタシ達の世界』よりも優れたものが現存することへの妬みを引き起こしているのではないのか、と思ったりしている。
アラブ イスラム社会では、千年以上も様々な支配統治層の攻防が続き、統治領域についての抗争は絶えなかったが、住民達は苦労しながらも実直に信仰共同体に基づいたコミュニティーのなかで暮らしてきたのだろう。
その昔、コミュニティーの土台は、統治者=守護者から住民に家族/部族単位に課せられる土地税、人頭税(異教徒税)と、都市内に持ち込まれてそこで売られた商材に課せられる、謂わば『輸入関税』によって賄われていた。
現在UAEでは、輸入関税5%、ホテル代やホテル内レストランでの飲食に課せられる観光業税以外に住民に課せられる税金は無い。公共サービスは受益者負担の原則なので、必要使用とする夫々のサービスには、使用する者がその都度料金を払う、と言うシステムなのだ。
企業税、雇用税、所得税、地方税、固定資産税、相続税他、どんな税金もない。
逆にUAE国籍市民は教育費、医療費、水道代などは無料で供給を受ける。
それは最も有力で統治能力のある者達が創り出した利益はイスラムコミュニティー内の成員に分配される、と言う伝統社会文化の考えが独立国家となった後、現在でもその発想が基本にあるからなのだろう。
アラブ イスラム社会では、古くからの習慣で誰が何処で、どの様にいくら儲けたか、と言う事を問わない。そして誰が何処に、どれ程寄付するかも問わないし発表もしない。税金がないから税務署もない。所得を届ける必要もないからそれも可能な訳だ。この社会習慣が現代の近代西洋型国家を築かざるを得ず、無理に築いた後に、トランスペアランシー=組織透明性の不足と言う弊害となって、市場経済システム全体に足枷を着せる事にもなっているのだが。
アラブ諸国に統計やデータが圧倒的に少ないのも、統治者達が隠したい事実を公表したくないと言う事情の他にも、こうした伝統社会文化の影響もあるのだろう。
現在、東京周辺にはUAEからの留学生が40人ほど滞在しているのだが、
彼らは小さい時から毎年ずっとそうしてきた様に、ラマダン中の『喜捨』の習慣を守ろうと、この夏UAE学生中で寄附金を集めて何処かへ喜捨しようと言うことになった。20歳前後の40人のアラブ学生で集めた総額は90万円に上ったが、さて何処へ寄付したら良いのかが判らなかった。 日本には、UAEの様に手軽に誰でも寄付できるシステムや環境がビジュアルに整っている訳ではないからだが。結局多少の躊躇はあったものの日本赤十字社に寄付する事にした。
ムスリムの義務の一つである『ザカート=喜捨』の対象は、先ず自分達の日常の最も身近な者達から始めると云う。 だから先ずは家族、一族、部族の中で困っている者達を助け、そしてまたその周辺、身近な身の回りにいる者達、コミュニティー内の者達..と徐々に外へ拡がっていくのだと云う。
こう云う話を取り上げるとまた、
『そりゃオイルリッチなUAEの金持ちアラブの坊ちゃん達が良心の洗濯したかったんでしょう..』
などと咄嗟に思う人はどのくらいいるものだろうか...
この学生達は全員、その優秀な成績から国や企業の奨学金得て日本へ留学しに来ている。大学の成績が落ちれば、単位を落とせば直ぐに打ち切られる厳しい条件の奨学金を得て、遥々日本を選び、日本語で勉強している真面目な学生達で、彼らの両親達は必ずしも裕福とは限らないのだ。
それでもしばしば、こうしたイスラム青年達の、彼ら自身にとっては極自然な行いが、異教徒外国人達から皮肉くられて受け取られることが多いのかも知れない。
彼らの中でもまた同じく、奨学金の高い者は、低い者達を助ける、と言う機能がはたらく。高い奨学金を得ている者は多く寄付し、少ない者もできる分を寄付する。
彼らが日本へ来て最も驚いた日本の習慣は『割り勘』文化だったと言う。
アラブ世界では有り得ないのが『割り勘』だ。
彼らの中では友人達との飲食は原則として収入の多い者が払うからだ。
収入が低い者も、いつも世話になってばかりだと申し訳ないから、少し小遣いが貯まって余裕ができたら『今日は僕に払わせて、余裕があるから』と申し出る。いつも払っている者達も、その時は恥をかかせず喜んでご馳走になる。
払えない内は払える者が払い、払える様になった時に払えば良い訳だ。
この原則が、しっかりと根深くアラブイスラム社会の年齢性別に関係無くあらゆる社会、場面で見事に機能しいている。
社会福祉・福利厚生の理念の根源がイスラムコミュニティー(ウンマ)の土台だったが、驚くべきことは現在でもそれが十分に機能し続けていることだ。
西洋が19世紀にマルクスが登場するまで待たなければならなかった理想のコミュニティー像は、アラブ イスラム世界では既に7世紀に実現されていた、と言うことなのだ。 それがアラブ イスラム世界にマルクスが登場する必要がなかった所以なのだが..
ワタシが興味を持ち続け、深く観察、考え問いかけ続けている
『なぜアラブ諸国は産業経済化テイクオフに成功しないか』...
と言う問いへの答えを探し続ける中で、ヒントとなるのだろうと思うアラブ社会の性質、特性とか要素となること、西洋社会や日本社会と違った点を取り上げていくと、不思議で面白い『アラブ社会の顔』が見えてくるのだけれど、それは同時に全く反対の極に驚くほど鮮やかにホントの『日本の姿』を映し出してくれ、今まで見向きも、気付きもしなかった多くの『日本の、日本人の特筆すべき凄さ』を理解させてくれたのだ。
日本と言うところと、そこに何千年も住み続けてきた人々は、全くホントの意味でユニークで、世界で唯一、初めての驚くべきダイナミックな全方面、多角的な意味での『到達度』を人類の歴史にしめした者達なのだ。 それでも本人達は、余りにも優秀なのにもかかわらず、全くそのことに気付いていない点で、これもまたアラブ人達と似通っている不思議な点なのだと思う。
繰り返しになるが、探れば探るほど、見つければ見つけれるほど、学べ学ぶほどに更に確証は強くなるのだが、なぜ西洋が『アラブ』を恐れるのかと、なぜ西洋が『日本』を警戒するのかの間には、似ている点、共通点があるのだと思うのだ。
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ここしばらく「かたい」記事が続いていますが、スミマセン...
まだ少し続きますです...^^
北アフリカ中東地域のアラブ・イスラム圏では、西洋近代が到着し、分割植民地化する前までは、歴史書に綴られる様な、或いはワタシ達が考える様な【民族国家】や【大帝国】と言う形態や意識が実際に存在していた訳ではなく、後の西洋・日本史家達が勝手に後から定義付けて表現した歴史記述であるだけだと言えます。
日本の世界史教科書やその他、一般歴史書の記述様式を見てみると、統一、支配、分裂、滅亡、大国家、王国、包囲圧力、等と言う表現でしばしば描写記述されていることが多いですが、それ自体、西洋系歴史学者達が如何にイスラムとイスラム世界出現の意味やリアリティーを理解していなかったかを示すものだと思います。
中東北アフリカ、東地中海地方は、その地理上の事情ゆえに古代文明時代からずっと様々な人種、民族、信仰、文化が交流・移動・定住を繰り返していた地域であった事で知られていますから、多民族共存/融合する地域の様々な都市や周辺集落地域に住む一般民衆にとっては、時代によって替る【支配】統治者達は、有能有力者一族/民族が時々に交替すると言うだけで、それは欧州人やワタシ達が想像イメージする【異民族支配】の下に従属させられた...と言う事からは程遠かったと云う事です。
なぜかと言うと、【異民族支配】と言う発想/表現が成り立つのは【一民族一国土】と言う【民族国民国家国土】形態(思想)が大前提になった時にだけ在り得る表現/論理だからです。
様々な多民族、多信仰、多人種、それも夫々が皆部族民である人たちが入り混じって定住または移動している地域の社会環境では、ある都市とその周辺集落や地域を治める(税収集管理する)統治者一族/民族が時々違った一族に替わる、と言う形である訳ですが、それはどの一族/民族が統治者に成っても、統治組織の様々な部署で働く役人達や軍人達は同じく様々な民族・部族の者達が働いていたのであって、統治者から統治組織員の全てが一つの他民族だけに入れ替わる訳では全く無かったからです。
例えば【オスマン トルコ朝支配になった】と表現されますが、
オスマントルコの支配と言っても、実際その1300年の大半の長い時期は、支配下地域の北アフリカ中東地中海地方がトルコ人で埋まってトルコ化された訳では全く無く、それ以前の時代と同じく様々な部族・民族、信仰、文化が混在、共存し、今まで通り人々は暮らし働いていた訳です。 それはこの地域ではトルコ語を話さないこと、トルコ人がすんでいる訳でもないことが、その実態を示しています。
同じくアラブ支配下でも、トルコ支配下でも、イラン支配下でも、マムルーク支配下でも同様の【イスラム統治】で、一般民衆の日常生活が大きく変わったと云う事はなかったのです。 ユダヤ教徒も、キリスト教徒も、コプトも、アルメニア教会も、クルド族も、その他様々な民族も共存していました。 そこには【異民族支配】とか【統一帝国】言う発想さえも存在し得なかったのでした。
ところが西洋の到着による分割委任統治、植民地支配は全く別の質のもでした。排他的、異民族蔑視差別的で、野蛮暴力と破壊と征圧が始まった訳です。 この西洋の支配が登場したことで初めて【異世界支配】となったのです。
そう言う風に多民族、多部族があちこちの城壁で囲まれた都市部や、その周辺集落に住んでいると言う社会環境が何千年も続いてきた地域の人々には【異民族支配】と言う発想表現さえ成り立ち得ないのですよね、論理的に考えても。
彼らには【一つの国】と言う発想さえも無かったのです。
この地域はみな、そこここにある【城壁に囲まれた街=コミュニティー】として存在し、人々はその城壁内に住み、農業や放牧民達はその周辺集落に住んだり、隊商移動民達はいつも何処かの旅路にあることが多かったりしたのでしょう・・・。
西暦600年代、既に通商交易によって繁栄していた紅海側アラビア半島地域(現在のサウジアラビア地域)に、イスラムが発祥し、預言者の死後イスラム教として確立していくと同時に、イスラム教徒達はその新しい教えの生活方式を広めると同時に、新しい地域を目指して新しい商材や事業、新しい市場を求めるべく、広く東西南北へ遠征して行きましたが、それは【領地拡大収奪】や【征服支配】【帝国拡大】と言う目的でも、形態でもなかったことは既に従来の歴史家も認めているところです。
当初は到着地で自分達のイスラム信仰とライフスタイルを紹介はしても、土地略奪や侵略は勿論のこと、土地所有さえもせず、都市外地域ではテント住まいを続け布教と商活動、遠征を続けていったと言われます。
640年代から700年代前半までには、北アフリカはモロッコ、更にはスペインにまで到達しましたが、これらの地域に遠征して行ったのは主に南部アラビア、イエメン地方からの部族が多く、およそ25万人規模の様々な部族が北アフリカ地方へ流出、移動、定着していったとされています。
かれらイスラム教徒達は、アラビア半島地域全土の都市、部族集落へのイスラムを広め更に、中東北アフリカ、アジア大陸方面へも遠征して行き、夫々の地域の集落や都市地域に到達すると、先ずはその統治者や住民達に
【我らが信じる唯一の神への信仰へ招待する。改宗する者はこれを歓迎し、また自分達の旧来の信仰を堅持したい者達は、それも良し。ただしその場合は、異教徒としての保護料納入により信仰の自由、就労・生活と身体の安全保護と保障を我らが提供しよう。しかしイスラムに敵対し冒涜する者は、我らの剣にみまわれるだろう。】
と宣言して移住宣教していったと言われます。
そして驚くべき速さで、その新しい信仰は拡がっていきました。
なぜ、イスラムがそれほど速く広く迅速に北アフリカ中東地方、オリエント地方に拡がり、定着していったかの一説には、当時その地域の二大勢力であったビザンチンローマ帝国とササン朝ペルシャ支配下では、住民は同じく課税されていましたが、ムスリム達が提供した異教徒保護料としての所謂【人頭税】はビザンチンローマ、ササン朝ペルシアの課税率よりも低かったのではないか、と言う点と、イスラム法の富の公平分割方他、数々の社会福祉的供与の教え、規則正しく身体の清潔を教える生活習慣規律などに説得力があったのではないか、と言うものです。
抵抗したビザンチンローマやササン朝ペルシャの都市との戦闘勝利で得た戦利品や、通商交易で得た収入は、全てムスリム達の間で分割されたため、それもイスラム改宗への強い魅力となったと言われています。
また、タイミングとして丁度この時期、既に疲弊し始めていた両帝国の統治スタイル、ユダヤ教、キリスト教、ゾロアスター教他の諸宗教も、富裕な豪商と一般民の貧富の差や、支配層の堕落を止められなかったことへの社会的な不満が背景にあったであろうこと、同時に重装軍備の帝国軍は、裸馬に衣服二組分、デーツ一日七粒分の食料と言う、軽装備で迅速に動いたアラブ軍にあっけなく倒されてしまった事、等が複合的に要因したのであろうと考えられています。
また、イスラム統治コミュニティー内に住む異教徒達は、人頭税を払うことで信仰の自由と職業・身体生活保護を受けますが、イスラム教徒間で分配される利益には与らず、従軍の義務もありませでした。この部分がウィキペディア指摘するところの【様々な差別】にあたるのでしょうが、逆にイスラム教徒ではない異教徒達は、ムスリムとしての献金喜捨義務を含む【五大義務】を免除される訳ですから、ムスリムと異教徒間の権利と義務の違いは、相対的には相殺されていたとも言えるのかも知れません。
また宗教的実践の制限については同じ【啓典の民】の信仰であるユダヤ教、キリスト教への制限は全く無かったのは、イスラムが、この両先達宗教延長上にある教えであり、両宗教の教えを認めそれらを包括した上での教えであるので当然でもありす。
禁止されていた異宗教実践は、ブードゥーの動物/児童生贄や呪い、黒魔術、悪魔信仰など明らかに反社会的、犯罪にかかわる行為、宗教実践であったことは記録されています。 また、鳥葬/風葬の習慣のあったゾロアスター教は初期には容認されていた様ですが、人頭税などの処遇に反対する様になり、やがては排外弾圧される様になりました。
また、引用にある様な、≪現代の完全なる信教の自由と平等という原則≫と近代以前のイスラムコミュニティを比較すること自体が意味の無い、見当違いな試みだと云えるでしょう。
イスラムでは、人間が支配する強大な【王国】や【帝国】を造り上げることを禁じていることから、遠征して行ったムスリム達は、様々な地域へイスラム布教と生活スタイルを広めて、多くの都市、地域の統治、経営に携わっていきましたが、いずれも夫々の都市や周辺地域の統治管理機能組織をイスラムスタイルに従って【担当する】と言う発想でした。
アラビア半島から移動し、シリア地方の大都市ダマスカスとその周辺地域を、指導管理する最高責任者カリフの居地にしたことを【遷都】とされていますが、その最高指導者である【カリフ】の意味も本来は、預言者に代わる管理代理人と言う意味に過ぎないのでした。
そこには、世界を制し治めるのは、唯一の神のみであって、その下の様々な地域の夫々のイスラム共同体を代理指導する責任を負うのがカリフや、エミールなどのリーダー達であると考え、そうしたイスラム共同体が広く世界に作り続けられていくと考えていたのでした。それは統一した一大イスラム帝国の建国をめざす、と言うは発想とは全く違った考え方でした。
飽くまでも、様々な地方に点々とある城壁都市と周辺地域を【担当】する指導者、管理担当者としてのエミールやシェイク達は、税収徴収権をもった管理統治代理人として統治していたのでした。
発祥と拡張当時(6〜8世紀)のイスラム世界には、【国】と言う概念そのものが無かった訳で、従って日本人歴史家達が好んで用いる【統一】【征服】【支配】【分裂】と言う表現は本来のイスラム文明圏の歴史性質には適していなかった、と考えるべきなのだと思います。
初期のイスラム教徒達の動機は、唯一の神の下に人間は全て平等であると言う教えに従い、反対しない者達をも交えて、イスラムの教えに従った共同体生活をする、と言う理想的共同体実現を実行していこうとしたに過ぎないのでした。
そしてその初期には、通商交易、生産流通産業を営むことで栄えた、富の公平な分割配当を実現していた理想に近い共同体が実現していたのだとされています。
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