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アラブ世界から観て暮らす世の中のいろいろ ...蘇生はなるか

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拙記事【ベドウィン 文明の舞台裏】対し
【アンダルシアのネコ便り】のMaximilianoさんから戴きましたコメントへのお返事を書いているうちに長くなってしまいましたので、ご許可を戴き記事としました。 
 
以下、戴いたコメントの一部です。 
スペインではご存じのように8世紀から15世紀までムーア人によりイスラム支配が続きましたが、コルドバではイスラム文化が花開き、欧州各地から書物を写しに来る学者が多かったと聞いております。

しかしこの素晴らしい書物も、レコンキスタ完了後、焚書に会っているようです。

また米、綿花、サフラン、など多くの植物のみならず、天文学や灌漑技術もムーア人によってイベリア半島にもたらされたわけですね。

そうしたすぐれた文化をもったアラブの部族・民族が近世からまるで忘れ去られたように歴史から姿を消していったことはわたしも不思議でたまりません。
 
一つのヒントとして、ヨーロッパ帝国主義の台頭です。18世紀から19世紀にかけて世界各地をくまなく移動していたのは欧州人たちでした。
ー 中略 ー
しかしそれがアラブ文明の衰退とどのように関連するか、まだそのところは私の中ではmissing linkです。
 
PINKな回答:
数千年もの長い歴史を、誤解を招く可能性がある事を十分に承知した上で、敢えて超短縮、極端に単純化して流れを描いてみますと..
 
アラビア砂漠地域に大昔から住んでいたセム語族民達は、かなり古く(紀元前3500年前後)から長期間活発に移動し、メソポタミア、東地中海地域、エジプト、北アフリカ地域へ何波にもかけて流出、定着、回帰、流出を繰り返していた、と言う説は定着した説になっていますが、色々な部族が必要に応じて色々な職や仕事に就いていたであろう、ことは人間社会の極自然な現象だったのだと思います。
 
例えば『ラクダ放牧をしていた』と言う時、それはラクダだけを放牧していた訳ではなくて、ヤギも放牧していた訳でしょうし、羊放牧が可能だった地域では羊も放牧していたでしょう。海岸部に近い地域や山間部、オアシスではヤギ、内陸砂漠部では主ににラクダであったのでしょう。 
 
『ベドウィン』と言うと、500年余前の旧イスラム文明圏没落後の姿、現在のベドウィンだけをイメージしてしまい、想像力が限られてしまいがちですが、記事中表した当時の『セム語族民=ベドウィン』は、飽くまでも『セム語族民達』と言う広いカテゴリーの様々な人々が相互に交じり合い、交換し合って、人・物が大変にダイナミックに流動的に活動していたであろう地域と社会が想像されます。
 
アフリカに始まった人類が世界へ広がっていく上で、この地域に人類初期の様々な活動跡が多く見つかるのも不思議な事ではないんですね。 だから当然ずっと後の時代、人類最初の古代文明エジプト・メソポタミア・インド文明の間にも相互に物と人の流れがあったであろうことも推測に難くないと思います。
 
 
また現在でもダウ船での貿易は健在で、GCC諸国、パキスタン、イラン、イラク、果てはアフリカ東海岸を繋いで貿易しているのです。 
 
多くの欧米歴史家や日本人中東史研究家が従来顕してきた以上に、初期古代文明圏間の相互関係の歴史は古く、様々な民族部族が現代人が想像する以上に活発な通商交易活動を行っていたのだと思います。
 
セム語族民達=後のアラブ人達にとってラクダは大変に重要な役割果たし、貴重な商材であると同時に、大切な生命線でもありました。陸路大陸を渡る輸送にも、広大な砂漠に暮らす民には、砂嵐や外敵から逸早く逃れ砂漠地帯を集団で移動する事を可能にしたのはラクダのお陰でした。
 
馬は富裕氏族が尊重し誇るべき動物で、戦いには欠かせない機動力でしたが、運搬可能貨物量と速度、遠距離、砂漠地での耐久移動にはやはりラクダには勝らなかったのでした。ロバは速度が遅く迅速性に欠ける点と砂漠地を含む長距離輸送には向いていなかったんですね。
 
違った文明圏間、様々な都市間の通商交易運搬に関わる産業は大変に広く多種な産業を含んでいた訳で、それが大航海時代以降の目覚しい西洋の台頭と帝国植民地政策により、徐々に時間を掛けて、しかし確実にそして完全に破壊されて行った事が『アラブ文明の消滅』の原因でありました。
 
アラブ・イスラム圏が長く掌握していた東方貿易産業網とノウハウ、地中海を通らない東方インド貿易ルートの獲得が、ポルトガル、スペインを始め欧州列強の長年の願望でした。 それが新航路、新大陸発見、大航海時代を招いた主因、モーティベーションであった事は既によく知られています。
 
古くは十字軍の動機と主目的も実際には『聖地奪還』と言う大義名分よりも、アラブ通商交易運搬産業のノウハウ獲得、交易ルート秘密情報の獲得が目的であったからこそ200年以上も諦めず執拗に『地中海東岸港地域』を攻め続けたのでした。
 
セム語族が大変長い間、また驚くべき広範囲に至り、複合統合的に担い持っていた『通商交易運搬産業ノウハウ』の獲得こそが、古代オリエント、中近東地域の長い歴史の中で何世紀にも及んで繰り返され続けてきた、数え切れない程の攻防戦、盛衰劇は全ては、この同じ動機とモーチベーションであったのであろうと現在では考えられています。 例えば典型的にはアレキサンダー大王の東征とヘレニズム文化は、やはりこれが目的でしたし、パルミラやぺトラなど、数々の商業都市の攻防盛衰も同じ動機による様々な部族の野心が基になっていると言われています。
 
遡って1498年のバスコダガマによるアラビア湾征圧を機に、その後1600年代にオランダ、フランス、英国が夫々東インド会社設立、東方貿易ルートを海路で完全奪取、東西貿易独占確立したことが直接原因して、旧アラブ通商交易運搬産業網が失職破壊された事こそが『アラブ文明・イスラム帝国』の滅亡と消滅を招いたのでした。
 
ヨーロッパの大航海時代、新大陸発見、東方貿易海路獲得に至る間の西洋列強諸国の造船航海技術の発展、軍事技術開発と東方貿易独占、軍事征服型植民地政策により、陸路シルクロード貿易は完全に消滅し、同時にその沿路周辺地域全ては同じく失職、低迷、後進化の路を辿った訳です。
 
シンプルに想像してみると、陸路シルクロード貿易の落ち込みで、それまでラクダを育て売っていた者達は、ラクダ需要の消滅で失業経済破綻、ダウ船造船修理業についていた者達も、巨大な倉庫業を営んでいた者達、ガイド通訳業についていた者達、貿易商達、その他諸々全ての産業は数百年かけて徐々に衰退に向かいました。 当事者達は一体何が起こっているのか、何故商売が振るわなくなったのか、恐らくは皆目見当もつかなった..と言うのが現実だったのではないかと推測できます。
 
同時にヨーロッパ帝国列強は、ソマリア、エチオピア地方の一大産業であったコーヒー栽培輸出業、エジプトの主産業であった綿花栽培紡績輸出業を、コーヒーは中央南アメリカへ、綿花はインドへ移植移動することで、アフリカ中東の主要産業を決定的に破壊したのでした。
 
同じく中国のお茶はインドへ、更にはスリランカへ移されたのは、すべて欧州東インド会社の独占、植民地統治政策と旧東方貿易産業基盤の破壊が目的でした。
 
こうした西洋帝国植民地時代の急激で大規模な『富の創出と蓄積』が『近代の登場』を『強大な軍事力』によって可能にした訳ですが、同時にその内側には、科学と技術の加速度的な発見、発明、持続的な開発があり、旧アラブ・イスラム世界との『世界競争力』に断然有利に差を付け続けたのでした。
 
西洋の誕生、西洋近代の登場の数百年前から、既に高い知識、技術、通商運搬産業技術ノウハウの集積のあったアラブ世界が、なぜ西洋台頭時の世界市場競争に勝てなかったのか。
 
その原因を、あるアラブ人研究者達は、アラブ・イスラム帝国が初期イスラム時代のアラブ共同体理念から離れ、外人傭兵・外人労働力利用と依存の『マムルーク化』を蔓延させた事によるアラブ社会の腐敗にあったとしています。 
 
西洋帝国植民地政策は、当時既にアラブ社会文化そのものに堕落没落原因を自らの内に温存していた弱点を突き、単に有効に利用した結果に過ぎない、と彼らは自虐的な反省と批判的な分析をしています。
 
中国で発明された「火薬」を武器として利用、大砲を発明したのはイスラム文明でしたが、1498年、バスコダガマ率いるポルトガル艦隊は一隻10門の大砲を積載していました。 一方対するアラビア湾のアラブ艦隊は一隻1門の大砲搭載での戦いでした。 アッサリと撃沈されてしまったアラブ艦隊の敗北にもかかわらず、この機に当時の統治者達はポルトガルの優勢な軍事力の意味を理解することなく、従ってその後の技術開発への努力もなく、成すすべを全く知らないかの如くに、ただ落ち込み没落し続けただけでした。
 
この1498年時点から欧州列強が夫々の東インド会社を設立し、海路による東方貿易独占を確立するまでの間、また更にその後ナポレオンのエジプト征服による中東北アフリカの完全な植民地化までの間、アラブ・イスラム圏は、恰もただただ指を咥えて眺めていただけとも思えるほど、何の対抗策も講じ得ないまま没落の一途を辿ったのでした。
 
なぜアラブ・イスラム文明の活躍が姿を消したか?
 
イスラム初期の頃のアラブ共同体に広く定着していた知識、発明と技術の探求、無数の小規模家族事業主達に担われていた創造的で冒険的、自由なアントレプレナーシップによる活発な産業共同体郡の硬直化と崩壊が根源的な原因なのではないか...
 
自由な小規模事業者たちの共同集合体の硬直が始まったのは、膨大な富の蓄積による統治者達と統治範囲の巨大強大化、それに伴う傭兵化=マムルーク化が直接的原因であろうとする意見があります。
 
もっと端的にはアラブ人識者達自身がニヒルに
『早い話が俺達はバカだった訳で、今もってその事に気付かない更なるバカであり続けている訳だ』と笑うんですけれどもね
 
興味深いのは、こうした歴史観察、分析はキリスト教徒アラブ人学者の中に多いと言う点です。 初期アラブ・イスラム共同体の教えの精神を実現した社会を失った点にアラブ文明没落の発端を見、当時のアラブ共同体精神とシステムの再生を訴えるのはキリスト教徒や無神論アラブ科学者達である事自体が、アラブ文化の本質を表しているのだろうと思います。
 
そしてこの流れの中に『将来の日本の姿』が重なって見える気がすること、またなぜ欧米西洋世界が、既に『木っ端微塵に破壊し尽くされたアラブ世界』を出ないお化けを怖がるかの如く忌み嫌うのか...がワタシ自身の興味の的なのです。 
 
現在、欧米西洋世界が表面的には恰も『反イスラム』であるかの如くに振舞っている様に演出され続ける理由は、実は彼らが密かに本当に脅威し続けているのはイスラム世界ではなくて、西洋が何百年もかけて破壊続けた筈の『アラブ世界』の亡霊が、ホントに「蘇りの奇跡」を実現して西洋世界の只中に登場するリアルな可能性を感じ取っているからなのだと思うのです。
 
ワタシは、西洋がどうしても赦せないのが『アラブ世界』と『日本』が持つ潜在的再生能力と、その『潜在的能力の可能性』なのだと思っています。 
なぜなら、世界史上唯一『西洋世界』が現実的に、物理的能力で手こずった非西洋民族達だからです。その頭脳の創造性、科学と技術をマスターし得る、独自の文明を作り出す能力を持ち、かつ死を賭して立ち向かう戦闘精神と潜在能力を持つ者達だからです。
西洋世界を超える能力と可能性を持つ者達と、実際に身をもって彼らが感じ体験したのは、この二つの世界、アラブ世界と日本だけだったからです。
  
このことがワタシがアラブ世界に興味を持つ理由なのです。
 
 
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世界中のムスリムの皆さま、
イード ムバラク 
 
 
もう随分前の事になるが、ドバイへ移るずっと前、ラマダンや二つのイード祝祭時にムスリム達にお祝いの挨拶をすることを勧めてくれたのはキリスト教徒パレスチナアラブ人だった。
 
クリスマスにはムスリム達はキリスト教徒達にお祝いの挨拶を送り、イスラム祝祭時にはキリスト教徒達はムスリム達にお祝いの挨拶を送る。
 
ユダヤ教徒もキリスト教徒もイスラム教徒も共に暮らしてきた歴史の長いアラブ世界では、夫々の宗教の祝祭時にお互いに挨拶を交わし、食事やお祝いに招待し合ってきたのだった。
 
 
911ニューヨーク事件の9周年を迎える明日9月11日を、その出来事を世界中で忘れないために『国際コラーン焚書日』に定めようと提唱したアメリカ、フロリダのキリスト教新教牧師のコラーン焚書計画がアメリカ政府を始め、世界中の問題になっている。
 
また、しばらく前から、アメリカ共和党が、間近い議会選挙前の選挙戦略としての政治的な意図によっ仕掛けた論議『グランド ゼロ モスク』事件と並んで、アメリカ国内のイスラムフォービア=イスラム恐怖症が、アメリカ人達をホントの恐怖に落としこんでいる。
 
思想信教表現の自由を保障するアメリカ憲法の下では、コラーン焚書(星条旗侮辱は違法だが)は何の違法性もないので、どんな個人、団体の考えや主張を公共の場で表現する自由を誰も止める権利はない。
 
だからこのテリー・ジョーンズ牧師の主張する『回教は悪魔の教えだ』と言う考えを世界中に発する事も自由だし、これを権力をもって止められてはならないのだ。  
 
2005年にデンマークの新聞がイスラム預言者の冒涜風刺画を掲載し、それを憲法で保障された表現の自由として禁止しない、できないのも自由民主主義を基盤にする欧州法の当然の結論だ。
 
あらゆる思考、どんな思想、どんな宗教・信条を持ち、どの様に表現しようと完全に絶対的に一人一人の個人、集団の自由なのだ。 自由民主主義を基に憲法を定める国では絶対に譲れない『完全絶対自由』である筈なのだ。
 
だから当然同じく、テリー・ジョーンズ牧師の主張は間違っていて、キリスト教の教えから遠く離れるどころか、むしろ正反対の考えで、キリスト教と称する似非牧師の迷い事だとして、11日に予定されているコラーン焚書に抗議し、反対運動することもまた保障された表現の自由だ。
 
ジョーンズ牧師のコラーン焚書決行決意を厳しく批判し、いち早く中止を求めたのは、アフガニスタン駐留アメリカ軍総司令官だった。次いでクリントン国務長官、オバマ大統領、国連総長、バチカン法王他、多くの識者、キリスト教会、イスラム教リーダー達だ。  
 
2005年のデンマーク地方紙が預言者の風刺画を掲載した時に起こったイスラム諸国での反デンマーク運動、デンマーク製品不買運動は、デンマーク企業の膨大な損害となり、倒産寸前まで追い込まれた企業も少なくなかった。
 
アフガニスタン駐留米軍総司令官は、ジョーンズ牧師の教会によるコラーン焚書に対して引き起こされるであろう反米攻撃が米軍兵士の生命を不必要な危険にさらす恐れがる事を警告した。
 
実際には、アフガニスタン駐留米軍兵士よりも、イスラム圏諸国に住み、働く全ての無防備なアメリカ人、更には欧米白人キリスト教徒達の方が、今どれほど不安に振るえ、テリー・ジョーンズ牧師の『表現の自由』の下に、どれほどの身の危険に曝されるかも知れない恐怖に怯えていることか。戦闘的イスラムセクト グループ攻撃の心配の無いイスラム諸国でさえも、コラーン焚書と言うイスラム教徒にとって最も攻撃的な、最悪の手段での冒涜が及ぼすかも知れない一般イスラム教徒の反応は予想できないからだらろう。
 
事実UAEの英字紙には毎日の様のにUAE在住アメリカ人らの投稿が寄せられ、
* グランドゼロモスク反対問題はアメリカの恥であり、全アメリカ人の考えを代表するものではない事。信条・信仰・宗教の自由を求めて新大陸へ渡ったピルグリムファーザーズの理念の基に築かれたアメリカ建国精神に反するものでること
* テリー・ジョーンズ牧師の行動は、自分で勝手にキリスト教と称するだけで、本来のキリスト教とは何の関係もなく、キリスト教会はコラーン焚書に反対する...
と訴えつづけている。
 
またイード祝日初日のUAE英字新聞には、アブダビの英国国教会聖アンドリュー教会司祭と全ての教会員は、テリー・ジョーンズ牧師のコラーン焚書に激しく抗議、反対すと共に、イスラムとムスリム同胞に対する共感と連帯、イードの祝日への心よりのお祝いを述べる挨拶と声明を発表している。
 
こうした投稿の背景には、イスラム教国在留のアメリカ人、欧米キリスト教徒達の恐れと心配によるムスリム社会への必死の訴えが読み取れる。 それは2005年のデンマーク事件の経験はもちろん、イラク、アフガニスタン、イエメン、ソマリアなどで止む事の無い欧米人誘拐、殺害の現実を身をもって感じているからだろう。
 
こうした在外欧米人家族達の恐怖感や、実際に彼らの生命に危機を及ぼす可能性がどれ程高いかと言う事実と、ジョーンズ牧師の『保障された表現の自由』との関係を、『ワタシ達の表現自由』はどう理解し、実現していくのか。
 
2005年のデンマーク紙風刺画事件が大きく広がり、莫大な規模の損害を及ぼした原因は、デンマーク首相、外相を始め、スウェーデン政府、ドイツ政府なども揃って『表現の自由の保障』を主張し、風刺画掲載について謝罪する義務も必要もない事を明言した事だ。
 
被害を受けたデンマーク、スウェーデン企業にも当然、勿論『表現の自由』は保障されている訳だから、
『自社のイスラム圏市場の利益保護のために、不必要に他宗教を侮辱する風刺画掲載に反対し、そうした新聞社への広告宣伝を取り止める形で抗議する』
と言う主張を表明する事もできた筈だが、一社もそうする事はなかった。
その結果が広範なボイコットによる莫大な損失をまねいた訳だ。
 
絶対完全な表現の自由...とは
 
敬意を表する事も自由であり、不敬侮辱を表す事も自由なのだ
 
そしてまた、保障された各々の表現の自由には、同時にそれに相応する対価と影響結果が伴い、その結果を甘受することを前提にした上で『自由に表現』するか、または『表現しない自由』を行使するのかは、各々の判断の自由な訳だ。
 
世界中のムスリム達はこの一月間、ムスリムであるか否かを問わず、貧する者達、飢餓する者達、幸い薄き者達を思いやる事に専念し、慈悲慈愛、喜捨と分かち合いに思い巡らし、商活動を制限し、その分チャリティーと家族や友人と時を過ごす事を実行してきた。 そしてそう言う事こそが最も価値ある事であると学んだ喜びを祝うイードの3日間を迎えている。
 
そのイードの中日にジョーンズ牧師はイスラムの聖典コラーンの山の焚書をもって911攻撃を犯したムスリムの悪魔性を訴える表現の自由を行使する。 
 
アフガニスタンでは既にこの件に抗議する爆破事件が始まっている。
アメリカ人は元より、イスラム諸国に住む欧米キリスト教達の恐怖は止まず、どんな憎しみの連鎖と反米、反欧米キリスト運動を産み出すか解らないことを世界中が懸念する。
 
丁度、無知蒙昧に基づくファナティックカルトムスリムグループの911ニューヨーク攻撃の結果が、いまでも多くの一般ムスリム達が欧米圏で蒙り続ける攻撃と反イスラム運動による憎しみ、蔑みに苦悩する論理と同じパターンをアメリカ人、欧米キリスト教徒達に引き起こす。
 
違いは、ムスリム達は決してユダヤ教聖典もキリスト教聖典も侮辱しない、と云う点だ。 なぜならイスラムは、この二つの先達の教えの同線上にある継承の教えとするからだ。
 
人間に保障された完全絶対の自由
 
その自由の対価を完全絶対に支払い切れると確信できる者だけが獲得できるものなのだ
 
ムスリム達に祝福の挨拶をする事を教えてくれたキリスト教徒パレスチナ アラブ人は、『ムスリム達は非ムスリムから敬意を表されることを至福の喜びとする、それは私達キリスト教徒も同様だ。私達アラブは、そう言う世界に生きてきたからなのだ』
 
ワタシはそれを美しいと感じた自分が嬉しかった
               

デーツ 文明への貢献

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当たり前だけれど、世の中では毎日いろいろな事が起こっていて、一瞬一瞬と時が過ぎる毎に起こった物事は過去の歴史になってしまう。 生きている全ての当事者達にしてみれば、一つ一つの出来事は大きな事件で、心身ともに緊張もし、疲労困憊もし、感動感涙に浸りもしている訳だけれど、いざ歴史になってしまうと平面的に記録された文章にしか過ぎなくなってしまうのがナンだか気の毒な気がする。
 
世界の多くの歴史学者達は、過去から残された多くの文書記録を読み解く事や、その当時使われていたであろう言語を読み解こうとする事が歴史を紐解く事であるとしてきたのだと思う。
立体的な人間の生活が平面的な記録になってしまうと、その平面的な記録から想像して、また立体的な人間ドラマをイメージ再生するには、きっと随分と豊富で創造的な想像力を要求されるのだろうと思う。
 
 
今年のラマダンもあと残すところ数日となりましたけれど、日没と共に終わる毎日の断食後、最初に口にする伝統的な食べ物はナツメヤシの実と水とされている。
 
一年に一度、丸一回転の月の満ち欠け期間を、日の出から日没まで断食し、恵まれない貧しい者達の飢餓の苦悩に思いをめぐらし、幸い薄い者達への救済を奨励する一月こそが一年中で最も聖なる期間として位置付けたイスラムの高い社会倫理システムだ。労働や商活動よりも人の福利と、家族親族はもとより、利害抜きの他人との人間関係を第一優先することの価値を社会全体に思いいたらせる賢いシステムだ。口先や気持ちの上だけで慈善慈悲を語るのではなく、物理的に身体経験を伴って思い至らせる方法で積極的な姿勢での断食の義務付けを教えたのであろう。
 
その断食の後に最初に口にする食物がナツメヤシの実であると言う事に、この地の人々が住み続けてきた厳しい砂漠の生活への謙虚な誇りと感謝、畏敬と尊重の意が込められているのだろうと思いめぐらす。
 
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砂漠地の所々に現れるオアシスに育つこのナツメヤシの実と、砂漠で飼育されるラクダが人類の文明の発展と歴史とにどれ程大きな貢献を果たしてきたことだろうか。ラクダとナツメヤシの文明と歴史に対する貢献への評価は未だに低過ぎると云う思いを、ムスリム友人に招待されたイフタール(断食後の食事)のナツメヤシを味わいながら考えていた。
 
一日7つぶだけで人間に必要な一日のカロリーを供給できるナツメヤシのオアシス栽培、砂漠の貨物車=ラクダの酪農飼育が恒常的かつ広範に可能であったのは広大なアラビア砂漠であったことと、アフリカ大陸、地中海、ユーラシア大陸、アジアを東西南北に結ぶ文明航路の十字路地点に繋がる地理位置のアラビア砂漠に住む人々が、物量運搬と文明地域間の人間の止まない移動の流れを支えていたであろう事は理屈の上からも想像に難くない。
 
未知の世界への好奇心、より美味しい食べ物への欲望、より便利で、より美しいものへの願望を実現したい人間の欲望が、人類が創り出し続けてきたあらゆる科学技術と発明、産業のモーティベーションだ。
 
現代のムスリム達が過激暴力化していくイスラムセクトを止められない理由は何なのか。 それは本来原始イスラム社会の中で機能していた【持てるものが持てない者を、できる者ができない者を、強い者が弱い者の面倒を見る】社会福祉の原理を「現代国家組織」の枠組みの中では機能させることに失敗し続けるムスリム社会。そのイスラム世界が貧困を解消できない事に深く関係しているのだろう。
 
イスラム原理主義と呼ばれるカルト イスラムセクトグループは、そのイスラム社会の福祉原理を用いて貧困故に無教育な最下層を【救済】する方法で、速いスピードで増加し続ける若年人口層を見事にかつ確実にリクルートすることに成功し続けるからだ。
 
【貧困と無知】を解決すべく登場し、実際驚くべきスケールで人類を【この世で救済】し続けることに成功したイスラムが、1200年の長きを掛けて落ち込み続け、元来の原始イスラム原理時代から遥かに非イスラム化し続けて現代のセクト化現象を招いた悲劇と不名誉から立ち上がる路を見出してくれることを願ってやまない。 
 
世界のイスラム教徒人口は16億人に近い。 
そのムスリム人口のうちアラブ人は20%に過ぎない。
 
ナツヤメヤシの実とラクダによって砂漠の民が支えた古代文明間の交流によって可能となった更なる文明発展は、厳しい砂漠の自然に生きた民が導き出した【教え】が他民族、多文化、他宗教を征服支配することなく交流することを可能にしていた。
 
恐らくは、そのことが15世紀以降の西洋によるアジア植民地征服を可能にしたのかも知れない。インド航路を略奪した新しい勢力の西洋貿易商達がアラブ商人にとって替わってインドや中国との通商を始めた時、インドも中国も、まさかあれほどの膨大な軍事力をもって西洋商人達が貿易強要するとは思わなかったから、植民化征服戦争に対する軍事防衛発想も、技術的準備も無かったのだろう。それ故にあっさりと、圧倒的な武力と有色人種非キリスト教徒蔑視思想の前に見事に植民地化されていったのだろう。
 
インドにも中国にも数千年に及ぶ東西貿易によって蓄積された富は膨大なものだったと云われるが、その富と知識と知恵をもってしても、近代科学に基づく軍事防衛力を構築するにはいたらなかった。 それは恐らくは、古いアラブイスラム商人達との長い間の通商交易にそんな軍事防衛の必要がなかったからだろう。 
彼らは侵略征服ではなく、商売にだけ興味があったからだ。
 
そんな事どもも、何の科学保存料の必要も無く、自然のままで高温でも湿度の変化するの環境でも長期に保存できるナツメヤシの実、デーツを味わいながら、ラクダのミルクの効用を話し合い、それを常用していると言うドイツ人達とパキスタン友人と、パキスタン式イフタールを味わった。 
 
アラビア砂漠に登場したドバイと言う街は、こう云うことを可能にする街なのだ。
 
 
 
 
 
 
 
過去の【アラブ・イスラム文化、諸宗教】についての記事は同名書庫をご参照くださいませね
 
 
 

エジプトとネコ

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古代エジプト文明は紀元前4000年頃から発祥し始めたと言われていますが、それはご存知のとおり、世界最長のナイル河両岸の細長い谷間の地域と河口の三角洲デルタ地域の気候風土、自然環境が人間の集落が発達するために『必要十分な食料を供給』する自然条件を提供していたからでした。
 
中東北アフリカ地域は、地球上最も乾燥している地帯に属し、その乾燥砂漠地帯の中の所々に流れる大河沿いのオアシスに地帯に自然に人間が集まり住む様になったことから始まった...と言う訳なんでしょうね。
 
周囲を砂漠に囲まれて高温な上、地中海に面するが故に湿度が高く、毎年定期的に氾濫するナイル河が運んでくる肥沃な泥土とナイルの豊かな水が人口増加に欠かせない『農業=食料の生産発展』を可能にしていた訳です。 
 
周辺を砂漠で囲まれていたことから、直接的な外敵侵入が少なかった事も早くから定着、定住発展が始まったものと考えられています。
 
ナイルの定期的氾濫を利用した農業から、氾濫期を知るために数学や暦が発達し、氾濫期外の農業を可能にするために治水灌漑技術、土木建設技術が発達しました。
 
氾濫期の自然灌漑を利用した農業から食料を得る事から始まり、氾濫期外の食料確保、供給を可能にするため貯蔵=倉庫の知恵と技術が発展しました。
 
穀物を貯蔵し始めるとネズミの発生と危害が始まり、食物貯蔵保全とネズミが運ぶ疫病からの保護の必要が発生しました。 
 
ある時ある神殿の神官は、ネコがネズミを追ってじゃれ遊んだ果てに退治することを発見し、ネコを多く飼い集める事で穀物倉庫をネズミ害から守る事を思いついたのでした。
 
ところがネコを集めて飼い馴らし訓練しようとすると、ネコは人に飼い馴らされることはなく、逆にネコが人を飼い馴らすと言うことに気が付いた...のでした。
 
ネコは犬と違って飼い馴らされず、自分達の気の向く時に気の向いた様に訪れ、去って行き、気の向いた時にだけ人間をして食を提供せしめ、遊び楽しみ、媚びて従順に従う事などない...
 
と言うことを古代エジプト人達も知っていたのでした。
 
 
人間が自分達でけでは解決できなかった穀物貯蔵の確保をネコ達が可能にしてくれた事から、食物貯蔵の守護神として古代エジプト人達はネコを崇め大切にしたのでした。
 
人間が人類として文明を起こし始める事を可能ならしめたのが古代のネコ達であった訳です。
 
6000年以上もの昔、古代エジプト人達はネコとの出会いの不思議を神の恵み、神の遣いと理解したのでした。
 
王家の墓を守るスフィンクスは人頭ライオン(もネコですが)というより『人頭ネコ』なんでしょうね...
 
 
かくてネコ達に救われて人類は文明を起こすに至った訳です。
 
 
 
 

 
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前回の記事に引き続き、kyomutekisonzaironさんとの大変に興味深いベドウィンについての問答が続いておりますので、お楽しみください。
 
kyomutekisonzaironさんご指摘の点とご質問にたいするお答えが長くなってしまいましたので、また記事としてまとめてお答えしてみました。
 
 
kyomutekisonzaironさん:
 
こんにちわ。
記事、有難うございました。
> 【アラブ史】は、ある意味西洋史学が敢えて意識的にネグレクトしてきた向きがあり、西洋型教育、史学の学び方を取り入れる日本の教育、歴史研究の姿勢にもその影響が強くある
――― と仰ることに、私も異存はありません。
また この度、アラブ人の交易活動の重要性を指摘されたピンクさんの見解にも
異存はないのです。

西欧人が、その航海術や造船の技術など、彼らが発展させた科学技術を使って、
アラブ人の伝統的なテリトリーを侵害し、その国境線までかってに引いて、
その自立性を奪ってきたわけですが、しかしアラブの奥深い内部から 湧き上がる力によって、やがて 欧米に掣肘された 今の世界を崩壊させるのも 時間の問題でしょう。

ただ、私が、気になることは、そのアラブ内部の現状打破の精神的エネルギーは、果して 彼らの交易のノウハウ・知恵なのかどうか? ということなのです。
 
ベドウィンの歴史について、これをキッカケに私も少し調べてみようとおもいます。
 
 
こんにちわ。
一つ、追加コメントをさせていただきます。

記事では、交易に重点をおいて語られていますので、アラブでの牧畜が
ラクダだけだという印象を受けますが、事実は違いますね。
ラクダは 重要な交通運搬の手段でしたから、町の権力者はこれを重視し所有し
ましたが、一般の大半のベドウィンはラクダよりも、羊やヤギを放牧して 生活
していたはずです。

因みに、14世紀のイブン=ハルドゥーンは、
「 田舎や砂漠の生活形態は都会に先行し、文明の根源である 」
と言っています。
 
 
PINK 
kyomutekisonzaironさん、この度はご協力まことに有難うございました。
 
先ず...:
<西欧人が、その航海術や造船の技術など、彼らが発展させた科学技術を使って、アラブ人の伝統的なテリトリーを侵害し、その国境線までかってに引いて、その自立性を奪ってきたわけですが、しかし アラブの奥深い内部から 湧き上がる力によって、やがて 欧米に掣肘された 今の世界を崩壊させるのも 時間の問題でしょう。>

問題は、アラブ世界は西洋よりも1000年近く前に既に科学技術を持っており(十字軍時代は明らかにアラブ技術の方が優れていました)、更に発展させるに足る財も築いていたにも拘らず、15世紀に西洋が自分達で発展させた科学技術をもって更に攻め寄せてきた時、アラブ人達は、その科学技術の差に気付かず、追いつこうとしなかった点です。
 
1498年初めてアラブ世界が西洋に破れた時点では、まだまだ追い付き、追い抜く可能性は持っていましたが、それをしなかったアラブ世界は、その後欧州が3つの東インド会社を設立し帝国植民地政策経済を確立、圧倒的な財力と科学技術で世界を征服するに至る発展までの間、その初めての敗北と、決定的な科学技術の差、重大な歴史転換に気付かず、何の策も無く、敵から学ぶ事も無いまま数百年にわたる没落過程をたどったのでした。
 
それは何故か..?
単に西洋世界が帝国植民地政策をもって圧勝した、と言うだけの事ではないのではないか... と言アラブ人達は自ら問い続けてはいるのですが...
 
恐らくはアラブ世界は今後も落ち込み続け、再生の機は当分来ないでしょう。

次に:
<そのアラブ内部の 現状打破の精神的エネルギーは、果して彼らの交易のノウハウ・知恵なのかどうか? ということなのです。>

かつて栄えた貿易運搬業ノウハウは500年前から破壊され尽くしてしまいましたし、その深刻重要性にさえ気付いていないアラブ世界ですから、<現状打破の精神的エネルギーは>当然それらのノウハウなんかではないですね。 当分は現状打破は無理だとワタシは思っているのですが。
 
セブ語族民/ベドウィン/アラブ人達は、過去何千年もの間、ずっと生まれた育った場所を離れ、未知の地へ向かって新たな科学技術、新たな商材、新たな商機を探索し続け出かけていく事を止めませんでした。
 
現代に入ってからもアラブ人達は中東地域から流出し続け、アラブ世界では激しい頭脳流出、流出移民がとまりません。世界に散り続けるにもかかわらずアラブ人達は大家族文化を好み、自国との関わりを持ち続けています。欧州、南北アメリカ、オーストラリア、果ては中国へまでも移民し続けるアラブ人達ですが、それでも人口増加率は世界一高く、アラブ諸国内の人口増加のスピード、欧米諸国内のアラブ人人口増加のスピードを見るとやがて中東圏外の、欧米(南北)諸国内に事実上第二の【アラブ世界】が成立することにさえなりかねません。 実際、アラブ人人口は中東圏外の方が多いのです。
 
【アラブ人達の精神的エネルギー】とは恐らくは【アラブ社会性】【アラブ家族文化】【アラブ世界ネットワーク】かも知れないと思い始めています。
 
 
PINK:
kyomutekisonzairon さん、ご指定有難うございます。 仰る様にアラビア半島のベドウィン達はヤギ・羊の放牧も勿論していましたが、何しろ広大な砂漠であると言う事と、内陸部でのラクダ育成業が担った経済的、社会文化的役割の重要性の評価が、今までの西洋主導の歴史研究からは十分ではなかったのだと思います。沿岸部地域の定住型ベドウィン達は、集落、都市を築くと漁業、真珠漁、造船/修理、倉庫業、市場業他、様々な産業を発展させ、やがて権力を伸ばしていきましたが、移動型内陸部のベドウィン達はラクダ飼育業、運搬業、貿易業、道案内業などについていました。財を築き、都市に発展し勢力をのばしていくと、やがて別の勢力に征服破壊され...が繰り返されていった事は既によく知られています。 イスラム帝国を築き、富が集中し始める前のベドウィン経済は、小規模家族企業の如く、無数の個人企業が商法、商習慣に従って、自由かつ効率的に驚くべき貿易運搬産業を築いて発展していた、と言う事が最近の歴史研究では明かにされています。
 
砂漠のベドウィン達は内陸部でラクダを飼育し、それをオアシスや沿岸都市部に卸売っていました。 ベドウィンの少年達は、初めて一人で片道10日ほどもかかって砂漠を渡り、無事にラクダを街へ納品に行き、また一人で部落まで徒歩で砂漠を渡って戻ってくる事が【成人の印】であったのでした。
 
ヤギ・羊の放牧は比較的沿岸部に近い地域や、オマーン、イエメン、シリア、ヨルダンなどアラビア半島の端の地域の緑の多い地域、また北アフリカ地域のベドウィン達によって行われていたでしょう。アラビア砂漠の内陸部ではヤギ・羊よりもラクダが主であった事は自然地理事情から推測できます。なぜかと言うとヤギ・羊用の牧草、真水は内陸部砂漠には無く、砂嵐の場合にヤギや羊は生存保護が難しく、別部族の外敵から襲われた時の機動性、移動保護が難しかったからです。
 
アラブ世界の地理的広がりが大変に広い事から、地域によってベドウィン達の扱う家畜も違っていて、そうした夫々の地域でとれる様々な商材、食料を縦横に交換し、運び、繋いでいた事で【アラビア文明圏】を築いていったとされています。
アラビア半島のベドウィン達は何百年もの間、何波にも及んで半島を出てアフリカ他、東西南北に進出して行きましたから、彼らの広がりは広範でした。 
 
<アラビア砂漠のベドウィン達は通商・運搬業と縁が無い、ヤギ羊の放牧民であった> ...
と言うのは1498年以降の西洋支配による圧倒的継続的な没落以降に、主に西洋によって意識的に築き上げられた【貧しく未開なアラブ ベドウィン イメージ】で、それ以前の最盛期のアラブ世界/ベドウィン達が活躍していた経済活動の様子ではなかったことは近年明らかにされつつあります。
 
西洋世界が近代へ移行する決定的なきっかけとなったのは、彼らが命名するところの【大航海時代】【新航路・新世界発見】とされますが、それは即ちアラブ商業運搬網の破壊と制覇が動機であったことは良く知られています。
 
近代西洋誕生の15世紀前までの時代を【暗黒時代】と呼ぶのは、飽くまでも【西洋にとっての暗黒】であってオリエント=アラブ・イスラム圏では、知識。科学技術、社会経済、あらゆる面で最盛期時代であった訳です。
 
15世紀以前の時代のアラブ ベドウィン達の経済活動や社会文化活動、歴史経済的価値が正当に評価されにくい理由は【西洋白人優生】意識に基づく西洋主導の世界歴史観から、近代西洋誕生以前の【非西洋の栄華】を否定しがちな傾向でもあるでしょうけれど、更に大きな原因は、その当時までの大量の文書、文献、記録などを収集保管していたであろうバクダッド図書館のジンギスカンによる完全破壊であったのであろうと思います。
 
ぺトラの繁栄、オマーンの栄華、エチオピアの栄華、ホルムズの栄華 ...
バグダッドやダマスカスに残る東西貿易最盛期時代の倉庫【カーン】
アラビア半島のオマーンでとれる乳香、エチオピアで発見・発明されたコーヒー、エジプトの綿、アフリカの染料...
アラビア湾の真珠とシリアやパレスチナの螺鈿技術にいたっては終に日本にまでたどり着いた訳でした。 
 
そうした【商材】を大海、大陸をわたって運んだのは、ラクダの扱い方を知り、夜空の星を読んで砂漠を渡れる移動型ベドウィン達の貿易運搬業者であったのであって、定住して都市住民になっていったベドウィン達ではなかった、と言うことです。
 
 
 

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