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アラビア語で書かれた『主の祈り』
8世紀のレバノン地域のキリスト教司祭
先週の日曜日はパームサンデー、棕櫚の日曜日だった。
で、昨晩は『洗足の木曜日』だ。
キリストがその夜逮捕され翌日さっさと死刑になった前の晩の木曜日、翌日死ぬことがわかっていて弟子と共に別れの『最後の晩餐』をとり、一人ずつ弟子達の足を洗って回った伝え話に由来する。
同じビルに住む散歩友達の老夫妻はパレスチナ人なのだが、洗足の木曜の昨晩、できれば教会巡りをしたいので、一緒に行ってカトリック教会まで案内してくれないか、と誘われた。
なんでもパレスチナのエルサレムではキリスト教徒達は昔からの習慣で、洗足の木曜日の夜には、7つの教会を訪れて祈るのだそうだ。宗派に違いは関係無く、何所の宗派教派の教会でも7箇所訪れるか、聖体のある教会敷地内に7度足を踏み入れる事に意味があるのだそうだ。
それで一番近いドバイの2箇所の教会を訪れた。
既に夜11時を過ぎていたが、二番目に訪れたセント・メリー カトリック教会には結構な数の信徒達が訪れ、夫々祈っていた。
祭壇中央の大きな十字架のキリスト像に梯子をかけて、丁度信徒達が紫の長い布を掛け様としているところだった。
最後の晩餐、弟子の洗足の後、ゲッセマネの園で夜通し祈った末に逮捕されたキリストを象徴して、その真夜中から教会内のキリスト像や聖徒像の全てが布で覆われ隠されるのが伝統なのだと、パレスチナ老人は説明してくれた。
その十字架に布が掛けられる様子を見ながら、そんな話をしてくれている途中、声を震わせ込み上げながら『ああ、なんとエルサレムが恋しい事か...』と一瞬嗚咽してしまっていた。
老人に泣かれるのは弱い...
ドバイには7つも教会はないので、同じ教会に数回入ってはお祈りをしていたようだった。そのうち神父が聖体を聖壇から取り出し運び去った。
戻ってきた印度人風の神父に、老人は声を掛け、他に教会はないのかどうか尋ねた様だった。
老人はその神父に何所から来たのかと訪ねられそうで、
「パレスチナからだ」と答えると、
何時ものように「ああ、パキスタンからですね」と言われたそうだ。
「いや、パキスタンじゃなくて、イエス・キリストの生まれた地ですよ」と言い換えたそうだ。
帰る道すがら老人は淡々と感情無く続けた
『どうして西洋人達は、世界中の人達は、私達パレスチナ人がユダヤ人達を赦すことを期待するんだ。あの美しい私達の文化、素朴な信仰の習慣を私達から永遠に奪い去り、もう子供達にも孫達にも伝えられない。』
『私達はキリストが生まれた地の者達だ。あの神父は、その私達パレスチナ人の事さえも知らない。キリストが生まれ、殺された地でずっと信仰続けて来たのは私達だ。』
エルサレムに生活した老人は、モスクの直ぐ隣にあるドバイのカトリック教会の光景を見て、同じく教会とモスクが隣り合わせに立ち並ぶ美しいエルサレムを思い出したのだろう、そのドバイの教会とモスクの並ぶ光景を美しい姿だと云った。
今日金曜はキリストが殺された受難のGood Fridayだ。
先祖代々数千年にわたって暮らし続けて来た人々が、その生まれ育ったパレスチナから追い出されて以来、二度と再び戻る事を許されない望郷の聖地を焦がれる姿は、くしくも十字架のキリストの受難に象徴されているかの様だ。
キリストは復活したと信じるパレスチナ人キリスト教徒達は、必ずパレスチナも蘇ると言う信仰を持っている。 受難の金曜日は未だ十字架の上にあるパレスチナ人達の受難に思いを馳せる日だ。
老人の涙には弱い...
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2011年04月22日
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