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粉彩 乾隆年製

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粉彩 乾隆年製

金成旭映清雍正琺瑯彩磁特展_展示概要 - 國立故宮博物院

琺瑯彩磁器とは、いわゆるエナメル顔料で素地の上に文様を絵付した磁器のことです。清の雍正朝をテーマとする本展覧会では、技術と装飾文様の二つの面から、琺瑯彩磁器の雍正朝における転換と発展を探ります。

伝世の琺瑯彩磁器の多くは清の宮廷の旧蔵であり、表面の模様が極めて精緻で美しいため、紫禁城が故宮博物院として開放されて以来、収集家たちが観賞の対象として追い求めてきました。そのため、この類の磁器は俗に「古月軒磁」とよばれたり、または名を金成、字を旭印という画家が描いた磁器であるとか、あるいは胡という姓名の画工が描いたものとするなどという説も生まれました。しかし、今日に至り、関連文献や档案とよばれる公式文書の記載を調べたところ、ほとんどすべての伝世品の琺瑯彩磁器が清の最盛期より乾清宮の倉庫に所蔵されており、由緒のあるものであっただけでなく、その中の多くが乾隆朝の時代に器に合わせて作った楠木の箱とともに収蔵されており、「古月軒」の収蔵品ではないという史実が判明しました。したがって、そこで生まれた胡姓名の画工説も当然存在しないことがわかります。

「金成」、「旭印」とは、実は雍正朝の琺瑯彩磁器によく現れる二枚の印章のことです。特に紅彩花卉を描く作品には、必ずこの二枚の印文が見られます。実際、琺瑯彩磁器製作の背景と脈絡から見て、西洋の画琺瑯磁器と技術が康煕朝の時に清の宮廷に輸入されたのです。琺瑯彩磁器を焼製し始めた際に、もとに金属の素地に施す琺瑯顔料が磁器に施さなければならないことになり、康煕朝の造弁処では当時顔料の製作ができなかったことから、こうした多くの顔料が輸入に頼るしかなく、異なる顔料を混じることを通して、多くの色が作られることになったと考えられます。西洋の技術をもとにして金で発色した「金紅彩」という顔料はこれまでに見られなかったため、清の宮廷に大きな衝撃をもたらしました。康煕帝と雍正帝ふたりの皇帝がこの顔料の製作に次々と取り組み、清の時代に属する赤い顔料の開発を望みました。

雍正六年(1728)、怡親王・允祥が造弁処の顔料製作計画を指揮し、ついに十八色もの顔料を練り上げました。このことは雍正朝琺瑯彩磁器の焼製技術において突破口となる成功を収めました。ところが、その中には赤色が含まれておらず、雍正皇帝と怡親王は引き続き顔料の開発を監督せざるを得ませんでした。とはいえ、現在顕微鏡で観察すると、実は雍正朝にはすでに金で発色させる技術を把握していたことがわかります。康煕朝から受け継ぎ、広東から清の宮廷へ、そして景徳鎮まで広げた「金紅彩」。その達成は古今東西で輝きあい、本展が「金成」、「旭映」に与えた新たな解釈といえるでしょう。

同様に、雍正皇帝は装飾文様についても「内廷恭造式様」を提唱し、自ら「秀雅」、「細緻」という要請を出し、唐岱、戴恆、賀金昆、湯振基、郎世寧といった画家を指定して琺瑯彩磁器の下絵を製作させました。こうして作られた琺瑯彩磁器は、文様で埋め尽くしたものといい、詩書画印など四つのモチーフで飾ったものといい、すべて美を極めたものといえるでしょう。

世界中に目を向け、国立故宮博物院が所蔵する雍正朝の琺瑯彩磁器は、質も量も世界一といっても過言ではありません。本展を通して、見る者がキュレーターとともに実物の検証や文献の記載により、雍正朝の琺瑯彩磁器をさらに認識していただくことを期待します。

名詞解釈:琺瑯彩、洋彩、粉彩

琺瑯彩磁器は、エナメル顔料を用いて中国と西洋の描き方を融合して飾った磁器のことで、生産地は宮廷の造弁処です。洋彩磁器は、江西省の景徳鎮の御用窯で生産し、部分的にエナメル顔料で飾った磁器のことです。そして粉彩とは、清朝末期から民国初期までの間に、洋彩磁器に対する新しい呼び方です。(以上は本展がそれらの名詞に対する定義ですが、ほかの研究の脈絡から生じた異なる分類法も尊重いたします。)

資料添付以上。

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澄泥東坡鵝硯:「ちょうでいとうばがけん】


長12.7cm 幅8.8cm 厚2.7cm
 この硯は蘇東坡の遺物といわれ、澄泥を焼いてつくったものである。澄泥はきめこまかな絹袋で河泥を濾過し、 よくねり、型にはめ、彫刻をほどこし焼くという、繁雑な工程を経た製品といわれる。 この硯の色は茶色を帯びた紫で、鵝鳥が後ろを向いた凝った造形である。鵝鳥の側面に後ろから前方にかけ深い傾斜ができており、 浅い部分が墨堂で、 深い部分が墨池である。硯の裏側には隷書体で「鵝戯」の硯名が刻まれ、「東坡居士軾」の隷書体の銘も入っている。質もなめらかで、性能も瑞深渓石、歙州石にすこしも劣らない。この硯はまわりまわって清宮に納められたが、乾降帝はことのほか興味を示し、特に七言絶句をしたためて硯を詠い、 その詩を硯の側面に膨らせている。詩のあとには「太璞」の御印が捺印してある。硯盒も鵝鳥の形をした紫檀でつくられ、そのつくりも精巧をきわめている。出所:『北京博物院・清朝宮廷文化展』

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