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此者那盤 於比勢須 名左部天津比止
幾久毛 宇禮之具 多天末都留加奈
                   さと子
                  
このはなは、おひせす、名さへ天津ひと
きくもうれしくたてまつるかな
                  
この花は、色あせずそのうえ名まで「天の人」
という、聞くだけでうれしうごさいます

昔の短歌には (たちばな) 常緑樹として「たちばな」がよく詠まれている    

 訳・・・虎隆、幸子

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加釶之 佐久花止 色可安良曽不 己登能者仁
千代乃露 楚婦 無羅菊濃枝

かなし(かわいらしく)さく花と、色かあらそふ、ことのはに
千代の露そふ、むら菊の枝

叢菊の枝に咲く花と、色香を競う
色どりの葉に、いつまでも露が寄り添っている

「釶」この文字はわからないので釶としたが辞書では、歌意から
(な)と判断した。 

訳・・・虎隆、幸子

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伊予西條第9代藩主 松平頼学公 御軸 御題 玉淵


以下、ウィキペディア フリー百科事典抜粋

松平 頼学(まつだいら よりさと)、伊予西条藩の第9代藩主。

[生涯]

文化5年(1808年)12月3日、伊予西条藩第8代藩主・松平頼啓の長男として生まれる。

天保3年(1832年)閏11月25日、父の隠居により家督を継いだ。藩政においては『西条誌』20巻の編纂など、文武の奨励に尽力している。弘化3年(1846年)、本家に当たる紀州藩主徳川斉順の死去に際し、隠居していた先代藩主の徳川治宝は西条藩から頼学を紀州藩主に迎えようとした。しかし、附家老水野忠央による治宝への中傷を交えた妨害と幕府の強い意向により、清水徳川家から斉彊を藩主に迎えることになった。

文久2年(1862年)11月21日、家督を五男の頼英に譲って隠居し、慶応元年(1865年)8月14日に死去した。享年57(満56歳没)。


[系譜]
父:松平頼啓
母:大熊氏
正室:一条通子(一条忠良の娘) 長女:靖姫(松平頼永室)
長男:久松丸
次男:銐丸
三男:充千代

側室:近藤氏(与志の方) 次女:粒姫
四男:徳之丞
六男:徳川茂承(松平頼久)

側室:山野井氏 三女:悌姫
五男:松平頼英

養子:松平頼永


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