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蒼の祈り
最近聴いた曲deeper deeperでワンオクにハマってしまった。one ok rock最高だわ!

書庫アートポエム

(ポエム)音楽や、絵画を素材に、自由に表現しました。ピノ独自の感性で描いております。
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ずっと止まらず流れてきた

私の命もあなたの命も

ずうっとずうっと一度だって

切れてなんか無いの

今生きてる人が総てそうって

知ってるはずだけど

苦しさに負けそうになると

延々と続いた証しを粗末に思う

何でそう思っちゃうんだろ

この苦しみって

何億年も続いた命より大変なのかな

苦しいとき何で・・・

思い浮かばなくなるのかな

スゴク大事な事なのに

ホントに肝心な時に浮かばない








ピーテル・パウル・ルーベンス ≪バロック期≫

1577年 ベルギー生まれ。
1640年 没。
彼はバロック絵画最大の巨匠である。
作品においては、キリスト教や神話を主題にすることが多い。
その代表として、ノートルダム大聖堂にあるマリア様を描いた「キリスト
の昇架」と「キリストの降架」という作品。
これは、名作「フランダースの犬」ネロが見たがっていた絵画として有名
な作品。


【ルーベンス作 楽園のアダムとエヴァ】1600年以前作成

ルーベンスがイタリアへ留学する以前に描かれたとされる初期の代表作。
旧約聖書における神によって創造された最初の男女、エデンの園で暮らす
アダムとエヴァを描いたものである。
この頃の作品にはルーベンスらしい鮮やかな色彩と躍動に溢れる様式は見
られないが、明瞭で合理性に満ちた表現が随所に感じられる。
この作品は画家の様式形成を研究する上で、欠かせない作品として、現在
も重要視されている。


詩『 人類創世 』作・蒼の祈り


今、生きてる

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明日が煌めいたり翳んだり



夢が近付いたり遠退いたり



日々と云う時間を喰って生きている








( メアリー・カサット作 真珠の首飾りをつけた桟敷席のリディア )

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貴方に貰った羽根は思いのほか重く

私の力では飛べないのかと思っていた

とうとう私の番が廻ってきた

深く深呼吸をし両肩の羽根に力を込めた

なんと私自身が驚くほどブォーンと

大きな羽音鳴らし私の頑丈な身体は

まるで雲の様に空へと浮き上がっていった

私は有頂天になり貴方の戒めも忘れ

どんな物でも私に架かれば太陽にさえも

挑む事が出来るんだ

何故かその時の私はそう奢り高ぶってしまったのです

気が付けば羽根は水蒸気のように溶け

私の身体は激しい熱に焦げ

真っ逆さまに小さく見える町へと堕ちて行ったのです

惨めに身体は螺旋を描き

ぐるぐると廻るに連れ街が大きくなり

最後に見た景色は私を嘲笑う人々の笑い顔でした










マルク・シャガール


1887年7月7日 20世紀のロシア(現ベラルーシ)にユダヤ人として生まれる。
       
1907年 当時の首都サンクトペテルブルクの美術学校に入る。
    その後、ロシア・バレエ団の衣装デザインを担当していた人物で
    レオン・バクストの美術学校で学ぶ。

1910年 パリに赴き、5年間の滞在の後、故郷へ戻る。
    この時代の作品にはキュビスムの影響が色濃い。

1915年 ベラと結婚。生涯、妻ベラを一途に愛していたことから
    「愛の画家」と呼ばれる。


1922年 故郷からベルリンに移動。

1923年 パリへ戻る。

1941年 第二次世界大戦の勃発を受け、ナチスの迫害を避けてアメリカへ
    亡命したが、妻ベラ・ローゼンフェルトはアメリカで病死した。

1947年 パリへ戻る。

1950年 フランス国籍を取得し南フランスに永住する。

1952年 60歳代で、ユダヤ人女性ヴァランティーヌ・ブロツキーと再婚する。

1960年 エラスムス賞受賞。

1964年 オペラ座の天井画完成。

1966年 17点から連作『聖書のメッセージ』をフランス国家に寄贈。

1973年 86歳の誕生日にニース市のシャガール美術館が開館した。

1985年3月28日 没、墓はニースに近いサン・ポールのユダヤ人墓地にある。

       毒舌家としても知られ、同時代の画家や芸術運動には
       シニカルな態度を示していた。
       特にピカソとは、けんかをしないほど仲がよかったが、
       ピカソの作品には極めて辛辣な評価を下している。



『イカロスの墜落』

伝説的な大工・職人ダイダロスとクレータ島の王ミーノースの女奴隷
である母ナウクラテーの間に産まれたイカロスの伝説。
ダイダロスとイーカロスの親子はミーノース王の不興を買い、迷宮の
塔に幽閉されてしまう。
彼らは蝋(ろう)で鳥の羽根を固めて翼をつくり、空を飛んで脱出した
が、調子に乗ったイーカロスは父の警告を忘れ高く飛びすぎて、太陽の
熱で蝋を溶かされ墜落死した。

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最愛の魂を失い孤独に苛まれた「愛の奴隷」

支配に安住し心の髄までも抜き取られた画家

貴方のイビツに歪み垂れた時間が

ギリギリと縛り行く支配の中で

官靡な滴りに蠢く魂のうねりにも似て

愛であり無垢に剥がされし魂であり

それは貴方そのものかも知れない









サルバドール・ダリ   1931年作『記憶の固執・The Persistence of Memory』 

1904年5月11日 スペインのカタルーニャ地方フィゲラスで生まれた。
       ダリには兄がいたが、幼くしてなくなっている。この経験が少年
       ダリに大きな心理的影響を与えた。

1921年 マドリードのサンフェルナンド美術学校に入学した。

1928年 シュルレアリスムの代表的映画『アンダルシアの犬』を
    ルイス・ブニュエル(映画監督)と共同制作した。

1925年 マドリードのダルマウ画廊で最初の個展を開く。

1927年 パリに赴き、パブロ・ピカソ、トリスタン・ツァラ、
    ポール・エリュアール、ルイ・アラゴン、アンドレ・ブルトンら
    の面識を得る。

1932年 友人だった詩人ポール・エリュアールの元妻ガラと恋に堕ち、
    結婚する。ガラはダリのミューズであり、支配者であり、また
    マネージャーでもあった。

1929年 印象派やキュビスムの影響を受けていたダリは正式に
    シュルレアリスト・グループに参加した。

1938年 グループから「ファシスト的思想」が原因で除名される。
    しかし彼の人気は非常に高かったため、そのあとも
    国際シュールレアリスム展などには必ず招待された。

    制作方法を「偏執狂的批判的方法」と称し、写実的描法を用いな
    がら、多重イメージなどを駆使して夢のような超現実的世界を描いた。

1948年 アメリカからスペインに帰国。ポルト・リガトに居を定めて
    制作活動を行った。

1982年 ガラの死去で「自分の人生の舵を失った」とジローナのプボル城に
    引きこもり最後の絵を1983年5月描いた。

1989年 フィゲラスのガラテアの塔で、心不全により85歳の生涯を閉じた。


 



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この眼差しで観ている美は本物など無い

総てが幻・・・・




それさえも美しい美に感じられる・・・





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