写真は、
栃木県、某所。。。
今日(7月29日㈮) 一日
わが 栃木県も 雨が
降りつづきました。
さきほどの ニュースでは
新潟・福島などが
集中豪雨で 大変な被害も出ている とのこと でしたが
だいじょうぶ でしょうか。心配ですね。
今日、ボクが したことは
東北の ある県の ある教育関係の部署に
履歴書などの 書類を送付し
(臨時教員として ポスト空き次第、採用してください、という意図で)
(とくに 被災地域での勤務を 強く希望します、との添書も付けました。)
午後は
某 図書館で 本を読みました。
合田正人 『レヴィナスを読む』 (NHKブックス 1999年)
という 本です。
ちょっと 難しそうな 哲学の本ですが 半分くらい 読み終わりました。
で、
感動 しました。
E. レヴィナス、 という 哲学者 (1906-1995) が
さいきん、注目されてるらしい、ということは なんとなく
聞いてました。が、
著書を 読んだことは ありませんでした。
が、
この 合田氏の本を 読みはじめて
レヴィナス が
注目されてる 理由が すこし わかったような 気がしました。
ユダヤ系 リトアニア人 として
戦争と革命の20世紀を 生き (強制収容所にも入り)
「存在すること」 「他者」 「顔」 「汝殺すなかれ という命令」
「暴力」 「正しい暴力としての戦争?」 「隣人愛」
などについて
考えつづけた人。
( ↑間違ってたら ごめんなさい。)
合田氏の ことばを 引用すると
「私たちは 各々の仕方で 「異常な日常」の 切子面(きりこめん)を
生きている 」
「本書では・・・「疲労の時代」 「総体的移動の時代」
「アレルギーの時代」 「他者のウイルスの時代」 など
種々の 呼び名を 与えられた この「時代」のなかに
そしてまた 私たちの「異常な日常」の 諸相の なかに
レヴィナスの言葉を 巻き込みながら
考察を 進めていく・・・・」
「「哲学しないことも 哲学することである」 という レヴィナスの言葉は
・・・哲学とは ふだん 縁の薄い方々にも 向けられているはずだ。
彼の言葉をとおして この日々と この世紀のなかで
自分たちの あり方を 共に 考えてみたい。」
などなど。。。
「異常な日常」って
たとえば、地震や 津波が 一瞬にして すべてを 奪い去り
また、家族や財産のすべてを 失った人 と
道路いっぽんを 隔てて 家族も財産も 家も 無事だった人 が
また 明日から
おなじ 町内で いっしょに 生きていかなければ ならない 状況などが
実際に いま 起きているわけで
放射能の ことなど 考えても
なにが 正しいのか
誰を 憎めば いいのか
なにがなんだか わからない 状況を とにかく 生きていく
まさに そんな 日々のこと じゃないか?
と
思います。
ボクは
レヴィナス にも、それから、一思想家としての 著者 合田正人 氏 にも
共感と 興味を おぼえました。
根源を 問いながら
どこかで 明日を生きる 支えになってくれる
ほんとうの 哲学とは
そんなものじゃ ないかな、と。。。
一句
哲学の ことば 身に添う 夏の雨
以上、 ながながと 失礼しました
ピンパパ でした。