センチュリオンMK.3
タミヤ、1/35キット。筆者製作。
仮組をして、やすりがけ、パテでの隙間埋め、アンテナは、伸ばしランナー。キャタピラは昔ながらのゴム。塗装しにくいので、こちらもサフ。
塗装はサフを吹いたあと、ダークグリーンをスプレー。キャタピラはブラックにシルバーを調合して、ダークイエローで汚し塗装。
乾燥後、アクリル塗料にてウェザリングをした。ブラウン系の塗料を調合して朝鮮戦争に参加したと想定して泥汚れを再現。汚れかたは、様々な現用戦車の泥汚れを莫大な写真からリストアップ。また、エナメル塗料でウォッシング。角の面に泥や砂がたまったようにした。
最後にトップコート艶消しで仕上げた。
第一世代に代表される戦車のセンチュリオンはローマ軍団の「centuriō(百人隊長(ケントゥリオ)」に由来。
第二次大戦のイギリス戦車は、巡航戦車と歩兵戦車の二種があった。ドイツとの戦闘で巡航戦車は装甲に劣り、歩兵戦車は重火力故に機動力が劣ることが露呈した。また、有効打を有する17ポンド砲を搭載するには砲塔が狭いため、メリットを統合した戦車の開発が必要となった。
1943年10月よりA41重巡航戦車開発がスタート。鉄道輸送など最大限の車幅を確保しつつ大直径の砲塔リングに17ポンド砲を搭載したことで、火力と装甲を備えた。
1945年4月に試作車6輌が完成、「重巡航戦車A41センチュリオン」と命名、5月に英陸軍に引き渡された。ベルギーへの輸送中にドイツが降伏したため、本格的な戦闘は経験していない。
これとは別に一体鋳造構造の砲塔、車体前面の装甲強化、エンジンをミーティアAに換装した[A41AセンチュリオンMk.2]が。ヴィッカース・アームストロング社とロイヤル・オードナンスのリーズ工場で製造される。
また、主砲を20ポンド砲に換装し射撃を安定させるスタビライザーを搭載したMK.3が登場し、朝鮮戦争で高い能力を証明し国連軍最高の戦車として名を馳せた。
無駄ない設計は、センチュリオンのさらなる改良を可能にして、105mmライフル砲に進化した。なお、チーフテンが配備される20年間、Mk.13まで改修された。
その高い性能は海外でも注目され、輸出された。印パ戦争でインドは同戦車で、パキスタン軍のM48パットンを待ち伏せ攻撃でボコボコにした。
オーストラリアはベトナム戦争でMk5/1の砲塔前面に大型のサーチライトを装備し、工具箱や砲塔後部のバケット、車体前面に付けた予備転輪などをスペースドアーマーに代用することで、RPGの攻撃に耐えた。戦車戦は発生しなかった。
南アフリカにいたるは、ナミビア経由アンゴラ侵攻の際にアンゴラ軍のT-54/55やT-62と交戦した。アパルトヘイト政策の禁輸対策で、1978年にオリファント Mk.1戦車、1985年からアンゴラでの戦闘にオリファント Mk1A、1991年以降に開発されたオリファントMk1Bを次々に配備したことで南アフリカ陸軍の主力戦車のスペックは向上した。また、オリファントは原型のセンチュリオンとは、まったくの別物と言っていい。
各国の中でもイスラエルは、オランダ、イギリスで余剰のセンチュリオンMk.3を大量に購入した。チーフテン改良の共同開発の締結があったからだ。
期待されていたセンチュリオンだったが、熱波と細かな砂塵でトラブル続出した。しかし、主砲やエンジン、トランスミッションなどの換装で第三次中東戦争(六日間戦争)や第四次中東戦争(ヨム・キプール戦争)でM60パットン(マガフ)と共にアラブ連合のT-55やT-62と激戦を繰り広げ、涙の谷では戦車の墓場と化した。
メルカバの登場後もリアクティブアーマー装置した車輌がレバノン内戦などにも投入された。
メルカバの開発に大きく寄与して、交換が簡単で車内容積を広くできるホルストマン・サスペンションなど、走行装置の構成はセンチュリオンに酷似している。
スペック
全長 9.83m
車体長 7.55m
全幅 3.39m
全高 3.01m
重量 52t
懸架方式 ホルストマン方式
速度 34 km/h
行動距離 450km
主砲
58.3口径17ポンド砲(70発)Mk.1-2
66.7口径20ポンド砲(65発)Mk.3-8
51口径L7 105mm砲(64発) Mk.9
副武装
7.92mm ベサ機関銃(3,600発)Mk.1-4
7.62mm M1919重機関銃(4,200発) Mk.5
装甲
砲塔前面 152mm 側面 65mm
後面 50mm 上面 25mm
車体前面 76mm(Mk.5/1以降50.8mm増加)
側面前部 51mm
側面後部上 36mm
側面後部下 20mm
車体上面 25mm
底面 17mm
装甲スカート 5mm
エンジン ロールス・ロイス ミーティア・ガソリンエンジン650HP
乗員 4名
製作経過