ZOOLOG@pipu

獣医学科の大学生ぴぷによる、ZOO(動物園)を主題としたBLOGです。日々のことや動物園に関することを思いつくまま書き連ねます。

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いろいろ怠けてました。

かなり間が開いてしまったけれど、組上げ制作日記第3弾です。
制作は、地味に続けています。写真も溜まってるので、アップしていかなきゃなあ〜

1回目がエントランス部分、2回目が外周のフェンスと円形鳥舎(コウノトリ舎)でした。

今回は、早くも大物!ゾウ舎の制作です。
金網の網目を掘りぬく作業に疲れたので、切り出しの楽な大きめのものをつくることにしたのです。

パーツを切り出したのがこちら。
イメージ 1
中には半立体(上半身が飛び出すかたち)の2頭のゾウがいて、床は木版の床です。
屋根は瓦かな?庇が、屋根と、展示の窓の上と、2箇所に付きます。

室内をつくる、奥と右側の壁および床のパーツをよく見ると・・・
イメージ 2
あれあれ?奥の壁と床の接着部分、両方に糊しろがある!
床がちょっと浮くのかな、とか、向こう側に折り返すのかな、とか、いろいろ考えたけれど、どう考えても床の部分の奥側の糊しろは必要ない。
作者はどういうつもりでこの重なる位置に両側に糊しろをつくったのだろうか・・・
今となっては聞く術もない。

「綺麗に仕上がればいいや」ということで、ちょっともやもやしたものを感じながらも、床の糊しろは思い切ってカット。

で、出来上がったゾウ舎がこちら。
イメージ 3
2頭のゾウが暮らす室内を、外から眺める、屋内展示だったのですね。
床には丁寧に(?)ゾウの餌草まで用意してあります。


さて、このゾウ舎ですが、当時「象室」と呼ばれ、上野動物園で最初のゾウ舎に当たります。
今で言うと、インドライオンとかドールとかのあの辺りにあったようです。

この「象室」を、歴史的にひも解いてみることにしましょう。(参考資料は『上野動物園百年史』です)

上野動物園初(そして日本の動物園で飼育されたものとしても初)のゾウとなる15歳のアジアゾウのペアがタイ(当時シャムまたは暹羅国と呼ばれていた)の皇帝から我が国の皇室に贈られたのが、明治21年(1888年)のこと。
この組上げは明治24年頃の園内の様子を再現したものなので、まさに、この「象室」の中にいる2頭のゾウは、由緒正しいその2頭ということになります。
「象室」の向かいの屋外に「象繋場」と呼ばれる広場があったようで、天気のいい日はそこに繋がれたりそこで芸をしたりしてたのではないかと推察しますが、今のような寝室と隣接した常設の「野外放飼場」などはなく、基本的に屋内で係留して飼育展示していたようです。

この2頭のゾウ、残念なことに雌は来園から5年後(この組上げの様子の翌年くらい)の明治26年には死んでしまいます。
1頭となった雄は、その後、オトナの雄ゾウとしては至極当然のことですが、だんだん凶暴になっていき、タイから雇い入れたゾウ使いも手を焼いていたようです。
次第に、係留する時間も長くなり、四肢とも鎖でつないだまま屋内で飼育し続けたとのこと。

この、最初の「象室」ですが、雄が成長し手狭になったことなどから、2代目の「象室」が、明治36年・38年に移転の決裁が下り明治40年頃までに建設され、世代交代しています。
新しい「象室」はレンガ造りで頑丈になり、面積も広くなっていますが、相変わらず、屋内で係留するための部屋のみだったようです。

そういう飼育環境で、来園者や海外の諸団体などからの苦情の声も挙がっていたそうですが、大正8年の『上野動物園案内』(東京帝室博物館)には、以下のような(現代語訳)、弁解文とも取れる案内文が記載されていたそうです。

・・・第七号 象室 (前略)もともとインドゾウはよく人に馴れるもので、使役したり、芸を仕込んで見世物にしたりできるものなのに、このゾウは性格が「最モ悪イノデ」、この性格を直そうと思って、明治26年にタイからよく馴れた「象扱人」を雇い入れたこともあったが、その扱人はこのゾウを半年ほど馴らすよう取り組んでみたけど「猛悪ナル象ダカラ」、「ドーシテモ」馴らすことができなかった。この扱人によれば、タイでたまたまこういう悪いゾウがいると銃殺するのだと言って、このゾウを馴れさすのを非常に怖がっていた。また畜養人(飼育係)に危害を加えることも何度かあって、それゆえ足輪をかけてつないでいるのです。・・・
(「」内は原文ママ)

上野動物園は、このゾウを放飼するスペースの建設を予定していたそうですが、ちょうどそのとき関東大震災が起こり計画はおじゃん。
すっかり持て余してしまった上野動物園は、震災の混乱に乗じてこのゾウを撃ち殺す計画まで立てますが、徳川義親侯爵の労により、ちょうど関東大震災でゾウを失ったという(この部分については少し検討の余地あり)浅草花やしき(昔は動物園も設置されていた)に譲り渡し、体のいい“厄介払い”をしたのでした。
これが大正12年(1923年)のことなので、上記のような劣悪な環境にもかかわらず、この雄ゾウは上野で35年暮らしたことになります。
(来園時の年齢の15歳がほんとうならこの時点で50歳ということになります。ちょっと怪しい気もするけど・・・)

結局、花やしきでもそれほどいい飼育環境は与えられなかったようで、9年後の昭和7年(1932年)、死亡しています。

とはいえ、59歳という、現在でもほとんど稀な長寿を迎えたのは、奇跡的としか言えないかもしれません。


今回のこのゾウ舎と2頭のゾウたちには、いろいろとエピソードが詰まっているんですね。
今度インドライオンの辺りを通るときには、この不遇の長生き雄ゾウに、思いを馳せてみませんか?

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