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私のお馬好きは、これまで何度か記事にしてきました。
その時代時代に素晴らしいサラブレッドがいますが、
これまでの人生で一番を選ぶとしたら・・・
「栗毛の流星の貴公子・テンポイント」です。
テンポイントの出生には凄いドラマがあります。
そのあたりは、過去記事に以前書いたので省略します。
4歳時は実力はありながら、クラシックと呼ばれるレースには
期待されながらも結局は無冠に終わります。
5歳時には、春の「天皇賞」・・・暮れの「有馬記念」という
二つのG1を制し、史上初の満票で年度代表馬に選ばれます。
ところが、翌年の1978年1月22日・・・
小雪の舞い散る京都競馬場で行われた「日経新春杯」を
最後に「テンポイント」は再びターフに戻る事はなくなりました。
海外遠征を目前としたこのレースで「テンポイント」は
4コーナー手前で突然スピードを落とし・・・後退していきました。
場内にいた人々はゴールではなく、一頭ポツンと取り残された
「テンポイント」に視線は集中していた。
普通なら、即「安楽死処置」となる重症でしたが・・・
「生かせるものなら・・・生かしてやりたい」という
多くの声もあり、大手術が行われました。
手術そのもは成功してここから闘病生活が始まりました。
厩務員の山田さんは「テンポイント」の為に連日看護に明け暮れます。
しかし3月5日の朝、容態が急変し十数人の関係者が見守る中で
「テンポイント」は静かに永遠の眠りにつきました。
サラブレッドとしては異例のお葬式が栗東トレセンで行われ
その後生まれ故郷の北海道の吉田牧場に戻り埋葬されました。
「テンポイント」馬生は数奇な運命を抱えていたように思いますが、
彼には、素晴らしいライバルがいました。
「トウショウボーイ」「グリーングラス」この2頭のライバルが
いたからこそ、きっと充実した競争生活が送れたのかもしれません。
写真は「テンポイント」のテレフォンカード
これは彼の最後のレース小雪舞い散る「日経新春杯」での
パドックのものです。
私には「テンポイント」の顔がとても不安げに見えて・・・
悲しい顔のテンポイントです。
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