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我がブログ開設当時からお付き合いして頂いている
「ろこどんさん」のブログに『17歳バトン』なる物が
ありました。
17歳・・・その頃自分は何をしていたかなぁ・・・と振り返って
みました。
今から何年前かな・・・考えると恐ろしいのでそれは横に置いといて・・・
高校2年〜3年ってことですが、この頃私は「宝塚一直線」の生活を
しておりました。
宝塚にはまったのは、高校一年生であの「ベルサイユのばら」でした。
高校が兵庫県にあり、先輩で宝塚に入った方が多く・・・クラスにも
当然宝塚ファンが多くて・・・そういう土壌だったので簡単に染まりました。
その頃は結構チケットは簡単に取ることができ、日曜日ごとに通いました。
こうなるとほとんど病気です。
そしていつしか「宝塚」に入りたいと思うようになり、バイトに明け暮れる
ようになりました。
その頃私には、一応お付き合いしている彼がおりました。
宝塚にのめり込んでいった私は、当然会う機会も徐々に減り
半年後には「涙・・・涙・・・」でお別れという事になりました。
でも宝塚に入りたいと言う私の夢の応援をしてくれたりもして・・・
めげそうになった時はよく長電話で励ましてくました。
20歳頃に何回か会いましたが、もう元の二人に戻れるはずもなく・・・
その後会う事もなく、音信不通となりましたが、独身だった頃は
「今どうしてるかなぁ」などと思う事もありましたが・・・
そしていよいよ憧れの「宝塚音楽学校」の別科生となるのですが・・・
今は別科ってないのでしょうか?
約1年半バイトで貯めたお金で勝手に入学金を払って・・・と言うのも
親は反対していたのです。でも入学金を払ってしまえば、こっちのものと言う
考えで全部自分で済ませて事後報告で無理やりOKを取りました。
昼間は高校生・夜は別科・日曜日は相変わらずバイト・・・
そんな生活が始まりました。
でもね。入学式(別科でも一応ありました)で本科生の方の「君が代」を
聞いて「こんな綺麗な素晴らしい君が代・・・初めて聞いた」と感激しました。
絶対何が何でも「宝塚」に入らないと・・・と思いました。
別科生と言えどもやはり「宝塚」の看板を背負う?ことになるのか・・・
色々な決まりごとがありました。
まず、「楽屋待ち」は一切だめ・・・
花の道や劇場側の道は歩いちゃだめ・・・反対側を歩く事
阪急電車は一番後ろの車両&座っちゃだめ・・・
歌劇観劇は立ち見のみ・・・確か制服を着ていたら「顔パス」だったような
記憶が・・・だから立ち見しか出来ない・・・
本科生の方から注意を受けることなどもありました。
そんな訳で高校生活最後の3年生は別科中心で修学旅行にも
参加しませんでした。別科のテストと重なったので・・・
最初反対していた親も応援してくれるようになり、私としては
夢に向って・・・必死でした。
別科が終わって「宝塚南口」から阪急電車に乗り「西宮北口」で
神戸線に乗り換えます。その時同期と自販機で飲む暖かいココアの
美味しかった事・・・夜遅いのでよく「声楽」の練習もしました。
仕事帰りの方がよく驚いた顔で・・・ココアを飲むとあの頃を
思い出します。一緒に夢を追ったみんな・・・今、どうしてるかなぁ・・・
でも年が明けて父が倒れて入院する事になり・・・
進路を変更し、一度も宝塚を受験することなく就職しました。
まぁ受験していても合格出来たかどうか・・・ですが・・・
17歳という多感な時期にあの厳しい宝塚でもまれたのは私にとって
その後の人生に大きなプラスになりました。
もし17歳に戻れたら・・・また同じ17歳を送りたいです。
今度は絶対諦めずに「宝塚」を目指します。
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