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ずっと見れなかったドラマの中盤〜終盤を、ようやく昨日の夜、見ました。
前のクールのドラマだし、遅すぎる感想ですけれども。
とっても良かったです。
私、原作は読んだと思うんですけど、あまり記憶が定かじゃない、しかもあまり読後感が良くなかったような気がしていて、脚本監修が野島伸司ということで、それも不安だったんですが(彼の作品は時としてかなりひとりよがりで感傷的で失敗したものもあるので)。
私は良かったです、とても良かったです。
原作との違いで批判もあるようですが、原作を忘れている私にとっては、シンプルにこのドラマだけの感想を書きます。
ドラマのあらすじは、知的障害を持つ主人公が、特別に研究されていた薬を脳に注入されたことで、飛躍的に知能が上がり、いっときは天才の域まで達して、学会からも驚異の薬と絶賛されるが、その後知能は徐々に退化して、元の知的障害レベルまで下がってしまった。アルジャーノンというのは、彼の前に実験で使われたラットの名前で、彼がたどった運命を先にたどる道しるべとして登場します。
これがおおすじ。だいたいそれで分かると思いますが、最初の頃は知能が低いという状態での周りとの関係性(これは良好なものでした)、そして彼がどんどん知能がアップするにつれて、まずは人を見くだし、以前の自分を哀れみ、知能の成長に精神の成長が追い付かないアンバランスさで周囲と軋轢を起こしていく。それも徐々に精神が成長していき、本当の叡智を得たかと思ったとき、アルジャーノンに異変が起きて、それを先鞭として彼もまた同じ運命をたどって、元の知的障害レベルまで退行する自分の運命を知り、苦悩する。
このあらすじを横断する肉付けとして、彼の父親は無私というくらいの善人であり、彼は父親からあふれるばかりの愛情を注がれて成長した、そして彼が知的障碍者であった時から、知り合った科学者の女性は彼の純粋無垢で繊細な優しさに惹かれていて、やがて知能が向上した彼と愛し合うようになるのです。そして知能の退行を阻止しようとしてさらに強力な薬を注入して、知の巨人とまでなった彼は、叡智を手に入れる。それは、知能の高さが人間の価値を高めるのではなく、そこに不可欠なものは、愛情、まごころだということ。以前の知的に低かったころの自分は哀れな存在だったのではなく、父親に愛され、周囲の人間に愛されていて、そして彼自身の純粋で無垢な笑顔が周囲の人間にとって、どれほど貴重だったのか、ということも分かるようになる。
このブログでも、だいぶ昔にアップしたと思いますが、私が感動した障害者の親の心情というものを思い出しました。新聞か雑誌に載っていたのですが、障害者の子を持つ親は、自分が生きている間は、子どもを守り愛することが出来るが、やがて親が先に死んでしまったら、この子は周囲の悪意に対しては無力であるがために、心配でならない。しかし、親が先に死に、親の庇護が無くなる日は必ず来るだろう。その時に、この子を守るのは、いま自分が必死に愛して慈しんだということを、きっとこの子は覚えていて、その私の愛情が、バリアのようにこの子を守ってくれるに違いない。本気で人に愛された人は、そのことが生きていける糧になるに違いない、という祈りに似た思いでいる、という内容の記事でした。
このドラマの主人公も、知能が退行していくときに見える幻覚で、何度も出てくる父親は、いつも慈愛に満ちた微笑みを浮かべている、というシーンが何度も出てきて、私が以前に読んだこの記事を思い出させられました。
そもそもこの知能をあげる薬の研究テーマは、知的レベルが向上すれば、人は無意味ないじめや劣等感から解放されて、真の平和が訪れる、というものでした。しかし、主人公の青年が知的レベルがピークに達した時に、平和に必要なものは、知能ではなく愛情だというセリフを言い、自らもその知能を自分の退行阻止のためではなく、難病の女性の治療のために使いました。無私のこころです。
原作とあまりに違うエピソードに批判があるようですが、原作を土台にした、まったく別のドラマとして見て欲しいです。障害者と健常者の対等な友情、というくだりは、多少非現実的でもあるのですが、ラストで一緒に働く友人二人は、それぞれに自分自身もつらい現実を受け入れて、愛する者のために身を引いたという細かいエピソードも加えていて、丁寧に伏線がつくられているがために、良質のドラマになったと思います。
見終わって、久しぶりに、感想が書きたいと思わされるほど、心を動かされたことは事実です。
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