乳がんと二人旅

乳がんの手術を終え寛解、現在はホルモン治療中。仕事にも復帰しました。

本当の昭和30年代

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下町のこと

うちの実家は、上野浅草、駅でいうとJR山手線 鶯谷駅の近くにあります。
最近では谷根千などと持ち上げられていますが、この辺りは、昔ながらの古色蒼然とした東京下町、近代的なスカイツリーさえ不釣り合いなところ。

こういった下町には、江戸時代からつづく奇妙な風習がありますが、
死んだ人の名を掲示板に貼り出すなんてのも、その一つ。

何月何日 何丁目の誰々さんが、お亡くなりになりました。
ご冥福をお祈り申し上げます。

と云ったふうに、慶弔をいちいち掲示板に貼り出すんだから驚きです。
昔は、町内全部が家族みたいなつきあいだったから、こういうのも必要だったんでしょうが‥‥
今となっては、ただの個人情報暴露板(笑)

「あれまあ、◯◯さん、亡くなってたんだねえ」
「亡くなる二、三日前に家の前で手招きしてたの私ゃ見たよ」
「え、だって◯◯さん、ずっと入院してたんだろう?」
「よせやい、そりゃあ、幽的(幽霊のこと)だよ」

掲示板をネタに、下町のおかみさんたちは、あっけらかんと笑い合い、人が亡くなったばかりというのに、しっかり幽霊話で盛り上がってます。

いいのか悪いのか、私はこんな下町で育ちました。

齢(よわい)80になる実家の母は、去年、大腸のポリープを切る内視鏡手術と白内障の手術をしました。
関東の山はあらかた登り尽くしたという健脚で、その血はしっかり三男が受け継いでおりまして、ま、そんなこたあどうでもいいんですが‥

最近めっきり気が弱くなったせいか、この母が、最近亡くなった方の話ばかりします。

何となく元気もなくなってきたみたいで、弟と二人気にかけています。


( ̄▽ ̄ 

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北海道の石北本線といえば、建設工事中に亡くなった人の人柱が埋まっていることで有名な「常紋トンネル」のあるところです。

人家の全くないこの区間は同線の難所の一つであり、標高約300 m、全長507 mのトンネルを掘るのに3年を要し1914年(大正3年)に開通しました。

本トンネルは凄惨過酷なタコ部屋労働で建設されたことでも有名です。
施工当時、重労働と栄養不足から労働者は次々と倒れ、倒れた労働者は治療されることもなく現場近くに生き埋めにされたという噂が、鉄道員の間に伝わっていました。

1968年の十勝沖地震で壁面が損傷し、1970年にその改修工事の際
壁から立ったままの人骨が発見されました。

また入口付近でも大量の人骨が発見されました。
人骨の一部には、外力による損傷が見られたといいますから、病気で働けなくなったのを理由に、殺された人もいたんでしょうね。

「常紋トンネルには人柱が埋まっており、彼等の亡霊がトンネルや信号場に出る」
という鉄道員間の噂話のうち、
「常紋トンネルには人柱が埋まっている」
というくだりが事実であることが、こうして確認されました。


病気になれば殺される。
2050年には、超超老人国家となる日本。
医療、介護福祉をしっかりしなければ、将来の日本にもどんな悲劇が起こるかわかりません。


( ̄▽ ̄ 

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本当の昭和30年代

言問橋には、東京大空襲の時の焼け跡が今も黒く残っている。

当時は、東京にも蔵造りの商家の土蔵が多かった。
中に逃げ込んだ人は、生きたまま蒸し焼きになった。
土壁には、人の爪痕が無数に残っていたらしいが、記憶にはない。

記憶にあるのは、小さい頃遊び場にしていた煤だらけの土蔵の中から、ときおり風に乗って聞こえてきたお経の声である。
一人息子を戦地でなくし、気の触れた老婆が閉じこもっているという噂だったが、今となってはそれも定かではない。

当時の子供たちは、暗い、恐い、ひもじい、ということが麻痺するほどの悪環境で一生懸命遊んでいた。
お腹がすいていることや、欲しがらないことに慣れていた。

だから、こういう日本になった。


( ̄▽ ̄ 

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本当の昭和30年代

先見の明ある曽祖母が、関東大震災で二束三文になった東京の土地を目一杯買い占めておいてくれたので、父の代には、私の一族は、両国、深川に、けっこうな広さの土地を持つ大地主になっていた。

両国駅から父の家まで、一度もよその土地を通らず、自分の所有地だけを通って帰れたというから、どんなに広大な土地だったかということは、容易に想像がつく。川越の小さな町半分くらいの土地であろうか。

不思議なことに、先祖の持っていた広大な所有地は、東京大空襲のあと綺麗さっぱり戸籍の記録から消えてしまった。
後になって役所に所有権を主張したのであるが、記録が消失してわからない、の一点張りだった。

私自身、父の法螺話だろうと信じていなかったが、両国駅再開発のとき、区役所から来た書類を見て驚いた。土地の輪郭に当たる周辺道路だけが、うちの所有地として記録が残っていたのである。
それは、両国駅を中心とした本当に広大な所有地だった。
道路だけを所有して、中は人の土地なはずがなく、役所が認めなかったのも馬鹿げた話であるが、戦後の大混乱を考えれば、諦めるしかなかったのだろう。
なにしろ、今のような情報社会とは比べ物にならない貧弱な社会であった。

話は東京大空襲の前に戻るが、父のような大地主、大商家の跡取りは、親族としても大事な身であり、戦争で死なすわけにいかなかった。
そういう跡取り連中は、戦役を免れるために、当時はよくあることだったが、大金を使って自ら軽度障害者となった。
父の場合は肛門の括約筋を取り去り、垂れ流し状態となったのである。
こうして父は戦地への派遣を免れ、内地勤務となった。

そこまでして守ろうとした家だったが、東京大空襲ですべて失い、あとには不自由な体だけが残った。
友人は、外地でみんな死んでしまい、自分だけが生き残ったという自責の念から、父は晩年まで、精神を病んでいたように思う。

父は、裏の池でヒルを捕まえてきては、小さな子供の私の前で、ピンセットでつまんで焼いた。
ヒルは、もがき苦しみ、風船のように膨れあがっては
ぱあん
と。音を立てて破裂する。
「人間もこうなのだよ。」
父はそういいながら、いくつもいくつもヒルを焼いた。

恐ろしいことだが、これが、真実の戦争体験者の証言である。



( ̄▽ ̄ 

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本当の昭和30年代 ケータイ投稿記事

上野に「六龍鉱泉」という天然温泉がある。 

今でこそ観光スポットとしてもてはやされる都内の銭湯だが、戦争直後は度重なる空襲で顔や体に傷を負った人達の溜まり場だった。
深夜になれば、顔の半分に火傷を負った人、指を何本も失った人なども、ひっそりと入浴にくる。
昭和30年代に赤痢が流行った年があって、井戸水や天然温泉は子供から遠ざけられようになり、いつの間にか忘れられてしまった。

最近の下町銭湯ブームで雑誌などに紹介されているが、その歴史を知る者は少ない。

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