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滋賀
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2013年3月西日本一周旅行 第2日目 彦根城博物館 滋賀県彦根市金亀町にあり、明治時代に取り壊された彦根城の表御殿を復元したものです。 主な収蔵品は
赤備え 武田氏滅亡後、甲斐は徳川家康によって平定されますが、その折に武田遺臣を配属されたのが徳川四天王にも数えられる井伊直政です。武田の赤備えを支えた山県隊の旧臣達も直政に付けられ、これにあやかって直政も自分の部隊を赤備えとして編成しています。
井伊の赤備えは小牧・長久手の戦いで先鋒を務めて奮戦し、井伊の赤鬼と呼ばれ恐れられました。
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西日本一周旅行 第2日目 彦根城 江戸時代に建てられた城で、滋賀県彦根市金亀(こんき)町にあることから、別称 金亀城といいます。
徳川四天王の一人井伊直政(なおまさ)は、関ヶ原の戦いの功により、石田三成の居城であった佐和山城を与えられます。そして、佐和山の西磯山(いそやま)に城を移そうとしますが、関ヶ原の戦いの傷が癒えず亡くなります。
後を継いだ直継(なおつぐ)(のちの直勝(なおかつ))は、城を磯山ではなく彦根山に移すことにし、1603年(慶長8)に着工、伊賀、伊勢など7か国12大名に手伝普請(てつだいふしん)を命じ、3年かかって完成させました。これを第1期工事とよび、主として大津、安土、佐和山などの旧城址から石材や瓦などを運んで突貫工事で進めたものです。
15年(元和1)直継にかわって直孝(なおたか)が城主となると、翌16年から22年まで第2期工事が行われました。
この時の彦根城は、琵琶(びわ)湖を西に控える平山城(ひらやまじろ)で、彦根山の頂上を本丸とし、西に西の丸、東に鐘の丸などを配し、東の麓には表御殿がありました。さらに内堀を隔てて東および南西に二の丸があり、家老など重臣の家屋敷が置かれ、東に佐和口、南に京橋口、西に船町口、北に山崎口が開いて三の丸に通じていました。
井伊氏は直孝のとき、大坂の陣の功で5万石加増され、さらに1633年(寛永10)10万石加増され30万石となり、譜代(ふだい)大名としては破格の扱いを受けています。
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