おじさんの白馬日誌

大自然とのふれあいを楽しんでいます

団塊

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26歳

 きょうは26歳になる彼女の誕生日。
 といっても、私の「彼女」ではありません。
 若い彼が彼女の為のハッピーバースデー、です。
 嬉しく、幸せな気分になって、ケーキのご相伴をさせていただきました。

 一緒に祝いながら、自分の26歳にタイムスリップしていました。
 新聞記者になり立てで、無我夢中の毎日。
 朝早くから夜遅くまで、前橋警察署に詰めては事件を追っていたころです。
 きついけど、楽しい日々でした。

 野坂昭如の「みんな悩んで大きくなった」というCMがはやりました。
 数行の原稿を書くにも苦労していた時代です。 
 でも、「この悩みもいつかは…」と信じていました。
 この気持ち、「わかるかなあ、わかんねえだろうな」(これもCM)。

 あのころは夢があった、と思いました。
 前しか向いていなかったのは、若さの勲章だったのかも知れません。
 人が言ったことをメモしなくても、記憶力が正常に作動してくれていました。
 周囲を見回すアンテナもピンと立っていた気がします。

 「毎日毎日僕らは鉄板の
  上で焼かれていやになっちゃうよ…」
 そんな歌がはやったのもこの年でした。
 夜遅く、たい焼きを買って自宅へ帰ったことを思い出します。
 2歳になった長女の寝顔を見ながら、家族の幸せを感じたものでした。

 あれから31年…
 夢の実現はともかく、好きな仕事を続けられたことに悔いはありません。
 昨年春退社し、第二の人生を選択したこともよかったと思っています。
 3人の娘が結婚し、4人の孫がいることも計り知れない喜びです。
 
 ただ、あのころと違うのは、ふと思い出に浸る瞬間があることです。
 つい過去を振りかえってしまう自分に気づくときがあるのです。
 「前しか向いていなかったのに…」
 年をとるって、こういうことなのでしょう。

 昨日、ストーブを出しました。
 白馬の朝晩は、かなり冷え込んできました。
 人生を四季に例えるのなら、もう深まり行く秋なのかもしれません。
 
 でも、まだまだ真赤に燃えて紅葉になるエネルギーは残っているはず。
 人に喜びや感動を与えられる時間はあると信じています。
 「記憶にございません」というようにならないよう
 大地をしっかり踏みしめた自分の人生を生きなければ…

 そんなことを考えさせられた「26歳の誕生日」でした。

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全部唄えた!

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 先日亡くなった作詞家・阿久悠さんは
 生涯「その時代を映し出す詞を書く」ことに専念したという。
 歌を聴くだけで、あのころはこうだった、と思い出せるような詞。
 阿久さんだけでなく、かつての名曲は詞も曲も素晴らしかった。

 きょう、テレビで「懐かしの歌謡曲」を放送していた。
 昭和40年代から50年代にかけてはやった歌ばかり。
 全ての曲を知っている。黙って聞いたり、一緒に歌ったり…。
 思い出がよみがえってきた。

 学生時代、よく喫茶店で時間をつぶした。
 折しも、70年安保時代。学園閉鎖もあり、休講も多かった。
 時には政治の話をし、しゃらくさく哲学的なことで口論したこともある。
 でも、一番胸が弾んだのは、「恋」の話だったかもしれない。

 「これから寂しい秋です 時おり手紙を書きます
  涙で文字がにじんでいたなら わかってください」
 メールでなく、手紙の時代だった。
 涙が便箋の上に落ちる、そんな恋をしてみたいと思っていた。

 「最後のタバコに火をつけましょう 曲がったネクタイなおさせてね
  あなたの背広や身の回りに優しく気を配る
  胸弾む仕事は これからどなたがするのかしら」
 ちょっぴり大人の恋愛にあこがれた。
 でも、女性が泣く時代だった。男主体の世の中だった。
 別れにはいつも、男の勝手さがにじみ出ていた。

 「大好きだけど言い出せなくて 心で燃えて唇かむだけ
  わかってほしいんだ 切ない僕の胸 あなたがいつか 大人になれば」
 男はみんな不器用だった。「男は黙って」の時代だった。
 「好き」の2文字が言えない歯がゆさに、夜も眠れなかったっけ…

 50代後半を迎えている私も、そのころ間違いなく青春を謳歌していた。
 「青春の勲章は くじけない心だと…」
 恋にも生き方にも悩みながら、将来は夢をつかみたいと思っていた。
 前を向くことしか考えられなかった。

 いい時代だった。突っ走る勇気があった。
 人生のBGMとして流れていた歌謡曲が、忘れかけた故郷、
 母校、喫茶店、友の顔、そして両親を思い出させる。
 みんなみんな、若かった。

 放送が終わってからも、若いころの気分は抜け切れなかった。
 それから1時間、妻と二人でカラオケに没頭した。
 マイクに向かいながら、しばし現実を忘れていた。 
 

旧き良き友

 確かに、時は40年以上前にタイムスリップしていました。
 通いなれた学び舎や汗を流したグラウンドが目の前に浮かびます。
 学友の顔も当時のままに思い出されました。
 
 きょう、中学、高校時代に最も親しかった友が訪ねてきてくれました。
 卒業後、何度も会っているのに、また当時を懐かしむように思い出話の山、山…。
 ともに過ごした連中の名前がなかなか思い出せないことをのぞけば
 まるで学生服を着たままの会話でした。

 「思い出の共有」は、いつも気持ちをそのころに戻してくれます。
 何をやるにも純粋でした。何をするにも夢中でした。
 いたずらもしました。淡い恋もしました。

 世間を知るようになって、ちょっと大人になって消えていったものを
 まだ失わずに前だけ向いて歩いている時代だったのでしょうね。
 だから、そのころに戻れる自分の無邪気さに、いっとき、喜びを感じていました。
 そして何よりも、一緒に笑い、語り合った友が近くにいることが嬉しかったのです。 
 
 2年後輩の彼の奥様も、笑顔で二人の話を聞いていました。
 “少年”のたわいない会話にあきれたり、いつもと違う彼の饒舌さに感心したり…

 幸せを感じる夜でした。ふるさとを思い浮かべる時間でした。

 おりしも、この日から、ペンション前のサッカーグラウンドで
 少年たちのサッカー合宿がはじまりました。
 みんな、将来のJリーガーを目指して一生懸命です。

 この子たちも、共有する思い出を今、作っています。
 コーチに叱られたこと、ミスしたこと、ゴールしたこと…

 大人になって、みんなで集まったときに話題になるすてきな思い出を作って欲しいと
 願わずにはいられませんでした。
  

久々の北海道

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 先週末から、北海道に行っていました。
 昨年夏に亡くなった義妹のお墓参りのためだったのですが、
 今回の北海道旅行では、初物尽くしのいろいろな体験をしました。

 仕事では過去何度も北の大地を訪れています。
 プロ野球やスケートの取材…。
 最後は2004年秋の札幌ドームでの日米野球でした。

 しかし、今回はプライベート。
 初めて信州松本空港からの札幌便を利用しました。
 ジャンボ機と違い、小さな飛行機は少し揺れましたが、わずか85分で札幌です。
 しかも松本空港の駐車場は無料で、羽田に比べてお金も時間も得した気分になりました。

 初めてのことはもっとありました。
 これまで妻と一緒に飛行機に乗ったことはありませんでした。
 それだけに、なんとなく新鮮な気持ちになり、機内での会話も弾みました。
 
 そして、もうひとつ。会社の出張で日本全国、海外と飛び回りましたが、
 はずかしながら、よく考えると自分でお金を払って飛行機に乗ったのは初めてのことでした。
 家庭をかえりみず、仕事、仕事の人生を送っていたと改めて思いました。

 北海道では、都はるみの歌でしか知らない「小樽運河」を訪ねました。
 ♪イエスタデーを聴きながら…♪とはいかなかったのですが、
 ゆったりとした流れに悠久の時がしのばれました。
 
 ニシン御殿はすごかったですね。
 「ニシンは魚にあらずして米なり」といわれた大正年間、
 ニシンを漁獲して稼いだお金で御殿を建てたとか。全てに贅が尽くされていました。

 おたる水族館では、いろいろな魚を見ました。
 水族館なんて、何十年ぶり。これまではそれほど興味がなかったのですが、
 たくさんの魚の姿や表情を見ているだけでもつい引き込まれました。

 帰り際にふと思いました。
 出張は、ただ仕事場が東京から各地に変わっただけだった、と。
 全国各地へ行ったことがある、といっても、それは足を踏み入れただけだった、と。

 多くのことを考えさせられた北海道への旅でした。 
 

クレメンス

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 米大リーグ・ヤンキースのロジャー・クレメンス投手が復活した。
 44歳にして、なおマウンドに立てる精神力、肉体に脱帽するばかりだ。
 39歳の桑田がメジャーリーグへ行き、年齢のことを取りざたされているが、
 クレメンスに比べればまだまだ若い。
 2人とも、がんばってほしいと心から思っている。

 その偉大なクレメンス投手に会ったのは3年前の秋。
 引退が話題になっていたころで、この年の日米野球が最後の晴れ舞台とさえ言われていた。
 とにかく、投手に与えられる最高の賞、サイ・ヤング賞を史上最多の7回も獲得した名投手。
 日本との対戦でもその片鱗を見せ、観客を魅了した。

 野球選手としてだけではなく、人間的にも素晴らしいものを兼ね備えていた。
 家族思いであることが、言葉の端々から伝わってきた。
 今は亡き母のためにたびたび繰り返した引退発言。
 世間を注目させるためではなく
 引退後5年経たなければ資格がとれない殿堂入りの晴れ姿を
 病弱の母に見せたいとの思いから心が揺れ動き、「引退」の2文字になっていたのだ。

 登板しない日は球場へ行かなくてもいいという契約も結ばれていた。
 そんな日は、息子の野球を見にいったり、家族と過ごす時間に費やした。
 父親として、見習うべき点がたくさんあった。

 そのとき頂いたクレメンスの直筆サイン額を
 通算349勝をあげた次の日の6月11日、ペンションに飾った。
 
 サインをみるだけで、
 年齢を重ねてもまだ球界の第一人者に君臨している彼からエネルギーをもらった気がする。
 そして、私自身、サラリーマンとして現役バリバリだったころの
 充実した気持ちを思い出し、自ら闘志を掻き立てている。 
 
 素敵な出会いができたことに、今でも感謝している。

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