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京都・寺町といえば豊臣秀吉により作り出された延々と続く寺院区域。 そのほんの一部を散歩してみた。 まずは盧山寺、やはり秀吉の頃に移転してきた寺院だけれど、かつて紫式部が住んでいた場所とされている。 そこから少し南へ辿れば「法成寺跡」の碑があり、藤原道長創建のお寺があった。 境内には道長の娘彰子発願により建てられた東北院があり、彰子に仕えた和泉式部が 目離れせず眺めていた梅の木は能『東北』に詠われている。 東北院はその後、和泉式部の愛でた梅ともどもに鴨川の東に移転し、 謡曲の中に見える澗底の松と雲水の井が盧山寺の裏手に残っている。 寺町通りを更に南に辿ると、「新島襄旧邸跡」に人の出入りが見える。 今年の大河ドラマ『八重の桜』のヒロインがやがて嫁いでくるところ・・・ 以前に見た邸内の作りのさまざまな配慮が興味深かった。 家の作りの細かなところへの拘りといえば、志賀直哉が思い出された。 思いつくまま、寺町通りを東に逸れて鴨川に近い三本木まで行ってみた。 『暗夜行路』で京都の暮らしを始める主人公の謙作がまず宿をとったのが三本木、 主人公は朝な夕なに荒神橋から丸太町までの鴨川辺を散歩する。 謙作は住むべき家を物色しつつ、窓や照明の位置に拘りを見せていた。 小説の中に描かれているのは秋の初めで、川辺には涼を求める人の姿も描かれている。 今はまだ雪の舞う季節、上流にかかる橋が荒神橋、遠い北山は雪をつけ白く霞んでいた。 寺町を逸れたついでに、これまで気になっていたところを訪ねてみた。 「菊野大明神」、その昔、小野小町のもとへ百夜通いの深草少将がその往復に休んだ石があると伝えられ、 想いが遂げられなかった怨念で縁事の時に通れば縁が切れるとの俗信があると聞いていた。 周囲を背の高いマンションなどに囲まれて、結局何処をどう見ればいいのか解らず終いで外に出た。 何だか支離滅裂な散歩になってしまったので、最後はお口直しに『檸檬』でもと、寺町通りに戻ったのに、 梶井基次郎の『檸檬』に登場する「八百卯」は照明灯のみを残して、店を閉めてしまっていた。 かつて、友と「レモンを持って丸善に行こうか〜」などとふざけ合ってた・・・ 数年前にここでメロンを買ってお見舞いに行った友は今はなく、 「丸善」も何時の間にか京都の町から姿を消した。 北から歩いて来た寺町通りを振り返れば、通りの奥に北山が白く遠くに微かに見える。 約2kmほど歩いたかな〜お粗末な文学散歩となりました。
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奇遇ですね。昨日からきょうにかけて折しも昭和15年に直哉が息子直吉と京都、奈良、大阪、北陸を旅した「早春の旅」を読んでおりました。
その中には寺町、新京極、四条通り、河原町と息子を連れ歩く描写が出てきます。
そして寺社巡りと古美術の探索、まさにそれを思い起こしました。
志賀直哉は生前京都にも住み、この町を深く愛していました。
昨日は直哉の生誕130年目の記念すべき日でしたね。
そういえば梶井基次郎の檸檬もこの町が舞台でした。
古き良き時代の文学へのいざない、そして古都の薫り高きブログにMN!
2013/2/21(木) 午後 8:56
ミックさん、奇しくも昨日は志賀直哉生誕130年の日でしたね。
「早春の旅」、私も読みました。
志賀直哉は奈良で13年過ごた後に、男の子を育てるには何か物足りなさを感じて東京へ引っ越したと文中にありますが、奈良の志賀邸は今も公開されていて、私にはとても魅力のあるお邸です。
MN! 有り難うございます。
2013/2/21(木) 午後 11:25
近くで由緒ある散策いいですね・・・歴史的にも知らないこといっぱいありましたが、いろんなこと学ばせてもらいました〜
ナイス!
2013/2/22(金) 午前 7:48
いろいろなことを深くご存じで、さすがだな〜と
たまに通るところも違ったようにみえました。
すてきな記事にポチっと♪
2013/2/22(金) 午前 8:58
サチさん、歴史を辿って歩いてみても、なかなか往時をそのまま偲ぶほどのものには出会えません。
お粗末な散歩になりました。
ナイス! 有り難うございます。
2013/2/22(金) 午前 11:27
風知庵さん、京都御苑に沿って寺町通りを歩きながら、御所の梅苑はどうかな〜と思ってみてもいたのですが・・・
早く梅の花咲く頃になって欲しいです。
ナイス! 有り難うございます。
2013/2/22(金) 午前 11:33
こんにちは。
秀吉によって作られた京都・寺町。
興味深いですね。
紫式部が、和泉式部が、って最高ですね。
それから、今日、当ブログにコメントをいただき、感謝です。
西行の哥が出て、締まりました。
最高のコメントでしたよ。
2013/2/22(金) 午後 0:29
秀吉は京都の町の東側に寺院を連ねて防御線として利用したのではと思います。
それより古く平安時代の史跡には往時を偲ぶものもなく、想像を逞しくするしかありません。
西行さんの「寂しさにたへたる人の・・・」の言葉に何故か惹かれていて、思わずコメントさせて頂きました。
ご丁寧に有り難うございます。
2013/2/22(金) 午後 8:55
あまりにも本記事への感慨が深い故、二度目の投稿を失礼します。
暗夜行路のちょうど後編の始まりの部分ですね。
改めてこの部分をさきほど読み返してみましたが、お写真を拝見すると登場する鴨川辺の景観はまさに小説のイメージ通りですね。
ここから直哉は大文寺、東山、黒谷、吉田山、比叡山の峰々を眺めたのですね。
はぐれ雲さんはそんな名場面を脳裏に浮かべながらいい探索をされましたね。
文中の描写は直哉が尾道を引き上げ一旦帰京した後のことで三十を過ぎたあたりのことだったのでしょうね。
PS:和泉式部らへの深い洞察に感慨を深めます。遅ればせながら「早春の旅」の読後感想をアップしました。ご存知の通り作品には直哉が57歳の時の京都も若干出て参ります。恐縮ですがトラックバックをさせて頂きたく存じますので宜しくお願い致します。
2013/2/24(日) 午前 7:58
ミックさん、トラックバック頂いた記事から、「早春の旅」へお邪魔させて頂きました。
「暗夜行路」の時期に較べれば「早春の旅」は直哉の日常の穏やかな時代ですね。
鴨川に架かる荒神橋を右手に渡れば吉田山山麓に梶井基次郎の通っていた旧制第三高等学校がありました。(今は京大キャンパス)
黒谷は今、大河ドラマで京都守護職の任についた会津藩主松平容保公が宿所とした金戎光明寺のあるところです。
2013/2/25(月) 午前 0:04
こんばんはー
京都いいですね〜♪
高校の修学旅行、京都なんですよ^^
随分昔ですけどぉ〜^^;
また行きたくなりました。
素敵ナイス✿
2013/2/25(月) 午後 10:05
うさぎさん、いつまでも寒いですね〜
こちらも今日も雪のちらちらする1日でした。
あまり京都らしくない場所ばかりになりました。
ナイス! 有り難うございます。
2013/2/25(月) 午後 11:14