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解決する、というわけではなく...

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支えられ上手

支えられ上手。
人に力を与える方法はいろいろある。
自分に例え、力がなくても支える方法が支えられ上手になることかな。
だから、人は弱さを残しておくのも、強さの一つの表れなのかな。
支えられ上手。
人の前で馬鹿を見せてもいいから、出来るだけ前向きでいること。
誠実であること、着実であること。
そして、支えられた分ちゃんと結果を出すこと。
かな?

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竹島問題などについて。
ふと、思ったこと。
-日本と韓国とでいくつか「島」をShareしたら面白いかも..どうせ、民族が混ざっちゃった 
 (遠い未来だけど)ときには「国」が誰を守るのかあやふやになってきて、また
 どの国の土地だったかなんて関係なくなってくるだろうし
  ・・・せっかくなら新しいつながりを。断裂じゃなく。
-平和主義者は能動的に相手の立場、考え、想いの底を知ろうとする人・・・
-なんか、自分の中のどっかで、
 竹島問題はめんどくさい。
 めんどくさいし、別にいらない。
 でも、日本の対外的な外交は今まで、弱そうで、無意味に外国に押されるのはやばい。
 そして、日本が自分の基準から見て間違っているのか、正しいのかどうか
 確認するのがめんどくさい、時間がない、ない。
 (竹島が日本のものだと主張している人の根拠を吟味する時間がない)
 そして、このまま何も見極めずにほうっておいて、日本に竹島が転がり込んできたら、
 自分にとって損にはならない。
 だから、ま、日本政府がやってることはほっといてもいいか。
 日本政府のやってることは知らんけど、オレ平和主義者。
 、というのがくすぶっている気がする。
−こんな不真面目な僕ですが、コメントを書いてくださった方々のページに飛んで、
 ちゃんと考えている人・行動している人がたくさんいるんだな、と反省している
 今日この頃です。
(ページ紹介しようと思ったけど..無断で転載はまずいかな、と思うので、すみませんが
 自分でコメント欄などをチェックしてください!すごく、おすすめです。)

 少し前に、遠出して「納富進の世界展」に行ってみた。
田舎の町の鳥居を描いた「鳥居」と、大きい道の両側に大きな木たちが茂っている「青梅街道」
、自画像のデッサン、他に田舎風景の洋画たちをみた。
納富進の洋画は、ディテールがあまりないのに、はっきりとしていたのが印象的だった。
 ものを見たとき、心に残こされるディテールのそぎおとされた記憶。そんな、風景のエッセンス
だけを描いた絵のようだった。草と茂みと道、絵の一部分と一部分がくっきりと境界線があり、
微細に移り変わりの濃淡などは描かれていないのだが、絵画というものにそのようなものは必要ではない、と逆にきづかされた。ディテールは少ないが、その分、描きたかったものがうずもれず、
はっきりとあらわせられたんだなと気づいた。「鳥居」の鳥居は周りのやさしい田園風景とは一変して、深い緑と黒と茶を混ぜたような色で力強く描かれていて、圧倒的な存在感、エネルギーを発していた。「青梅街道」では、道を渡ろうとしてる子供二人が小さく描かれているが、子供のエネルギー、躍動感が伝わってきた。
 自画像、デッサン、飾ってあった白黒写真を見ていて思った。色をつけると、何かものたりなくなる。デッサンには、未完成の力とでもいうのか、画家が心に描いていたさまざまな可能性、
微細な濃淡が残されている気がした。絵やカラーになったりディテールが細かくなりすぎると、
どこかきらびやかな色の中に、微細な光の濃淡が隠され、立体感がなくなる。
また、白黒写真だが、昔のできごとなんだと
哀愁を漂っていて、でも生き生きとしていて、今と昔とのつながりを伝えてくれる気がする。
 納富進は自分が生まれた4年前に永眠されている。
それを知って、なぜだか、今までふれあった人、いい人も悪い人も時間を共有できてよかったなぁと
思った。自分はしあわせだとおもった。
                           
 感動するには、鋭い観察眼、深い洞察力よりも先ず、素直で新鮮な心が大切だと思った.
 感動は、自分のココロのあり方を変えることで、いつでも手に入れられる幸せなのかな.
 なら、人に感動をあたえるというのは、人のココロのあり方を変えていく作業なのかな.
 うーん.


                       

2004年度。世界で最低でも4000人近く(内、中国で3400人)死刑に処せられた。記録的な数値だという。
今、同じ一人の個人であるPope(ローマ法王)が死んで、連日、旅までして、非道な言い方をすると
「Corpse」をひとめ見ようとし、また全世界で一大ニュースとなっている。

 人は、或は少なくとも命の価値が平等だとしたら、この温度の差はなんだろう。

 人の命は、誰のであれ、大切にするのが大事だけど、人の命以外で大切なものが多すぎる。

自分の中で「他人」だと感じる人は大切には出来ない。その「他人」は自分の生活では、
現実的には、数字でしかなく、どこか、ゲームの得点に似ている。後先を考えても、
出来ることが色々あるのに、助けようともしないし、なにもしない。
自分は違う場所で「人間」になることで満足する。

 Popeの元に集まる人々は、このような実際はどうか分からないけど、一見たよりない、
 人間の善意を支えたいから集まったりもしているのかな。

どんなことに対しても、やさしく、人間的になることは無理だけど、
偽善と善意との違いが、相手を「他人」と見ているかどうかという事だと思う。
一個人の法王を自分の一部、或は家族としてみている人たちは、世の中まわりで何が
起こってようとも、何に眼をつぶったり、無頓着であろうとも、暖かい気がする。


http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/americas/4409857.stm
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/4411485.stm

 ヱログそもそも何か今知りましたが(Comment参照)、子供から大人までブログを検索
する時代となるのならば、「アクセスランキング」も検索の一種と考え、
ランキングに表示される基準は個人が選択できるのが良い、おもう。

 また、無差別な「アクセスランキング」というものを出す意味はあまりない、
とも思う。このランキングはあくまでも、そのブログを訪問した数を表すわけで、
投票、或は、平均して出せる視聴率などと比べある記事・情報の良さ・質に対する
「一般」市民の判断が反映されているとはおもえない。
 お固く考えるのなら情報の優劣をつけるためにあるわけではないのであるのなら、
各個人個人が情報を引き出しやすくするために、ランキングの基準をある程度選択
出来るシステムが望ましいんじゃないかな。
 でも、「ランキング」が大切なのは「ランキング」を作ることによって、もっともっと、
ブログ活動という、能動的な情報交換の一種を活発化させ、お互い理解しあいやすくすること
なのかもしれない。そういういみでは、現在「ランキング」は、なんかこのカタカナ表記だと、
「順位づけ」にくらべおちゃらけた雰囲気を感じるけど、それがたいせつなんじゃないかな。
やっぱり、「遊びゴコロ」を感じさせるのが、新しいもの定着させるのにも、人生にも必要だから。
 ↓の中国の問題も含め「遊びゴコロ」、もっとpolitically correctに考えると「余裕」、space,
、を持つと(『海辺のカフカ』でてくるウツロな人?に気を付けられると)、
より良い結末を迎えるのかな。

 最後の最後に、語るのは真剣に、真摯に語らないといけないよね。
 そして、間違ってるかもしれない、ウツロなのかもしれないとおもいつつ、
 言い続けらるる人、行動つづけられる人
 これが出来る人は稀有だとおもう。僕にはなかなか出来ない。
 物事を良い・悪いにかかわらず変えてみるには情熱が必要だから。

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