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6日目
2012年1月26日 木曜日 晴れ 7度 日中16度
久しぶりにゆっくり美味しい朝食だった
9:00集合
アクロポリスでワンちゃんが両手をついてお出迎えしてくれました(^^♪
(どこに行ってもおとなしいワンちゃんがいます。ほえている犬を見た事がありません)
(この子首輪を付けていました)
いよいよギリシャの真髄に触れます〜
アテネのアクロポリスは海抜154mの岩山の上にあり、ミケーネ時代
(紀元前1600年ごろ)から人が生活していたようです。
その後アテネの守護神アテナ女神の聖域とされ神殿が建てられました
今もアテネの町の何処からでも見えるそうです。
まず、チケット売り場の横を通って入ると直ぐ左に見えたイロド・アティコス音楽堂
観客席は白い大理石で出来ていて5000人収容出来、今でも使われている。
う・うわ〜〜〜、でか〜いーーーー。
前門・・・左の一番前はアグリッパの台座、戦車がのっていたそうな。
右側の上に見えるのはニケ神殿
(ニケ=翼のない天使・・・・勝利の女神が逃げないように翼を付けなかった)
巨大な門をくぐって中に入ると・・・
アテネの象徴・・・パルテノン神殿。 修復中なんだか痛々しい
これは西側、裏に当たる
東に廻ると・・・こちらが正面
柱は達磨落としのようにいくつも積んである、良く見ると継ぎ目が解るでしょう。
ひさしの所(三角の所=破風)を見ると
アテナ女神誕生にまつわる神々の群像があった・・のだそうだ。(西側も)
こちらには馬がいる、
1674年にアテネを訪れたフランス大使付きの画家がパルテノン神殿をスケッチしていて、
それには西破風(裏側)のほとんどの彫刻が残っていた様子が描かれていましたが残念
ながらほとんどが18世紀後半にイギリスのエルギン伯によってイギリス本土に送られ、
現在大英博物館の目玉商品になっています。
エルギン伯の言い分としては、貴重な芸術が野ざらしになってるのを見かねたので、ちゃんとトルコの許可(当時アテネはオスマン。トルコ支配下)をもらって保護のために持ち帰ったとの事で
す。
パルテノン神殿は17世紀半ばまでほぼ完全な形で残っていました。
しかし1687年9月26日、当時オスマン・トルコ支配下のアテネに攻め入った フヴェネツィア軍が、フィロパポスの丘よりアクロポリスに向かって砲撃。
当時火薬庫として使われていたパルテノンに命中、その大爆発で天井、
内陣の壁、柱が破壊され、木っ端微塵になった。
左に見えたエレクティオン神殿
アクロポリスの丘の北側ぎりぎりに立つ神殿、柱として屋根を支える6体の乙女像。
高さは2.3m。1体はパルテノン神殿の彫像と一緒に大英博物館に持って行かれ。残り5体も 近年空気汚染のため破損がひどくなったので複製と置き換えられ、現在アクロポリス博物館
で展示されている(右側に見える)これはレプリカ。
左に見えるみどりはオリーブの木は20世紀初頭に植えられた
東側から見たアクロポリス(丘の上の都市国家)
南側の一段低いところには
ギリシャ最古の劇場ディオニソス劇場がある、毎年此処でディオニソス際が行われていた
15000人の観客を収容できた。
此処も修復中
さてこの高台から見えるアテネの町を映してみた
遥かかなたのゼウス神殿
ポチッと見えるのはリカヴィストの丘、町の展望台
パルテノン神殿の南側
1時間ほどの見学でなごりおしいがプロピレアの門をあとにする
アテネオリンピックの会場だった。パナシナイコオリンピックスタジアム
1896年、最初の近代オリンピック(第1回アテネオリンピック)競技場
2004年野口ミズキさんが金メダルのテープを切った会場
そこからも見えるパルテノン神殿
リカヴィトスの丘
さあバスに乗って・・・・・・・お買い物です。
それが済んだら自由時間
さてどうしましょう
昨夜は結論が出ませんでしたが、アクロポリスでパルテノン神殿やリカヴィスノ丘、
町を見渡してあの丘に行かなくてもアテネの鳥瞰図はビデオに撮れた、と言う事で
満足した様子。
では私の希望のコースに行きましょう、なんて話をしていた。
突然バスが止まった。
ゼウス神殿に行く人、いますか〜
?????
は〜〜????、はーい!
何人か手を上げた。
もちろん私も急いで手を上げた。
此処で降りていいですよ。
えっ〜〜〜〜????荷物持って降りるの????
そりゃあそうだよと夫。
慌ててひとまとめにして飛び降りた。
なに?どうしたの?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いよいよ自由時間です。・・・・・・この先どうなるのでしょう。 つづく。
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