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先日、ebayで落とした、Rolleiの XF35です。シンガポール製。また買っちゃいました。 測光はプログラムEEのみ。シャッターはバルブ、1/30から段階的に1/650まで。絞りは2.3から16まで。AEロック可。距離系連動。ローライのコンパクトにしては珍しいレンジファインダー機、これに釣られて、レンズが40ミリのゾナーとくれば、その気になって入札。その後。少し後悔するものの、思った以上に安く落札したので納得。これは一種のボランティア精神、というか、エコである(Go Green)。こういった捨てられそうな使われていないカメラを、僕が(安く)保護して、大切に使ってあげるのだ。 それでは、お馴染みのロック史と共に見る1975年。 1月17日 ボブ・ディラン『Blood On The Tracks(血の轍)』発表 4月30日 サイゴン陥落。ベトナム戦争終結 5月 イーグルス『One Of These Nights(呪われた夜)』発表 6月 ジェフ・ベック『Blow By Blow(ギター殺人者の凱旋)』発表 8月4日 日本赤軍がマレーシアのクアラルンプールのアメリカ大使館を占拠 8月25日 ブルース・スプリングスティーン『Born To Run(明日なき暴走)』発表 10月4日 タイムボカン(タイムボカンシリーズ)放送開始 11月 パティ・スミス『Horses』発表、デビュー。 11月14日 クィーン『A Night At The Opera(オペラ座の夜)』発表 *【今回はアルバムのオリジナルと日本語タイトルを一緒に載せてみました。当時のハードロックやヘビーメタル系の日本語タイトルにはおかしなものが多く、どこからどうやってこういうタイトルになるのかと首を傾げたくなるものがたくさんあります。『ギター殺人者の凱旋』は、やっぱなしでしょう】 1975年と言えば、昭和50年である。 僕はこのページを書くにあたっていろいろと調べてみた。先ず、この書庫がCameraである以上、主役はあくまでローライのXF35でなければならない。ローライと言えば、二眼レフ。その後は、35シリーズのコンパクトも発売し、どちらも有名で高価な品物である。でも、このXFは違う。有名でも高価でもない。XF35はローライの流れから外れた異端児である。では何故ローライXF35は生まれたのか。 話は、飛ぶ。 昭和50年の大学進学率は30%弱。高卒男子初任給は6から7万円。大卒男子初任給は9万円前後である。煙草ではゴールデンバットが30円、ハイライトが120円。当時はコーヒー一杯が200円であった。 さらに、飛ぶ。 カメラの歴史を見ると1975年には初代ピッカリコニカが発売。この頃、日本カメラ業界は一眼レフと平行して、コンパクトカメラの普及に力を注いでいた。コニカのC35シリーズ、ヤシカのエレクトロシリーズ、ミノルタのハイマチックシリーズ、キヤノンのキヤノネットシリーズ、等々。どれも、名機としてふさわしい日本が誇るコンパクトカメラである。小さくて、簡単で、しかもよく写る。きっと若いお父さん達は、最初の子供が生まれるとカメラ屋に走っていき、これら国産コンパクトカメラを買ったのだと思う。当時、一眼レフは標準レンズ付きで10万円程度。コンパクトは2万円から3万円弱で販売されていた。それでも、給料の1/3。カメラはまだまだ高価なものであり、庶民にしてはライカとかコンタックス、またはローライなんて現実味のない品物であった。 庶民。(しょみん)とは、人口の多数を占める一般的な人々のことである。 庶民には、通例、平民などが該当し、貴族などの特権階級に対して、一般階級の人々を指すことが多い。現代社会においては、一般市民とも呼ばれることも多い。また庶民と言う言葉を大衆と同義で用いられることもあるが、厳格に区別して用いられることもある。庶民は、風俗の担い手でもあり、民俗学や文化人類学などにおいても注目されている。(ウィキペディア参照) ローライは庶民のカメラを作った。それだけ、庶民の購買力は魅力的であり、日本製のコンパクトは市場の脅威であったのであろう。だから、妥協した。パワーはすでに庶民にあった。庶民が労働力として物を作り、購入し、消費した。彼らこそが時代の担い手になり、先導し、巨大な消費を生み出し始めていた。言い方によっては、高度資本主義の先駆けとも言える。 庶民。 ロックは庶民の音楽である。本来、労働者階級の歌である。ブルース・スプリングステーンは街にたむろする、決して裕福ではない若者の心情を歌い、およそ社交とは呼べない彼らの付き合いや駆け引き、憧れを切実な言葉で表し、ダイナミックなロックンロールに仕上げた。歴史的名盤、ボスの最高傑作『Born To Run』はこの年に生まれる。 ロックン・ロール。 この書庫が、ロック史と関わっている以上、ここにもう一人の主人公、今回は初めてのヒロインを僕は登場させたい。 パティ・スミス。 彼女は詩人であり、パンクの女王とも呼ばれている。デビューが1975年だから、ラモーンズのそれよりも1年早い。彼女はニューヨーク・ドールズの前座を無伴奏、マイクなしで行い、クチコミで有名になり、自費でレコードを製作した。 その後、アリスタと契約し、プロデュースに元ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジョン・ケールを迎えデビューアルバム『Horses』を録音、発表する。ロックファン必聴。まさに凄まじいアルバム。おそらく最も恐ろしい、正直言って類を見ないほどハマるデビューアルバムだと思う。僕みたいなおじさんが言うんだから間違いない。ジャケット写真の撮影は、彼女の親友となり、同居までしたロバート・メイプルソープ。アルバムの内容とは多少のギャップがあるが、とっても素敵な写真である。 話は、戻る。 1975年。そういう庶民パワーとコストダウンの必要に迫られ、あぐらをかいていられなくなったローライはシンガポールに工場を作り、ついに異端児のローライ35XFを生み出す。たいしたカメラではないけれど、異端というところと、庶民的なところ、それにローライのこだわりが今となっては面白い。 後のパンク・ムーブメントにつながる臭い。 ローライ社は、この安っぽい庶民的なXF35に、先述した40ミリの、コーティングの美しい、コンパクトとしては前玉の極めて大きいゾナーを搭載し、消費者の購買欲を煽り、それを個性とした。言うなれば、このXF35は、鯛の尾頭だけがついたサンマの塩焼きであろう。あくまで庶民を対象にした、食欲をそそるカメラであり、見栄がちらちら見え隠れするシロモノである。でも、これを決して悪く取らないで欲しい。なぜなら、僕みたいな庶民がゾナーを堪能できるのはこんな機会しかないのだから。 またしても、余談が過ぎた。 が、余談ついでに言わせてもらうと、REMのマイケル・スタイプはパティ・スミスの『Horses』に相当な衝撃を受け、ロックを志したらしい。ちなみにREMも僕の大好きなバンドである。 PS:パティとXF35を同じように扱うのは多少、不本意である。本文がそういう流れになり、そう受け取られても仕方がないが、あくまで『庶民』と言うキーワードが先にあり、異端がパンクに繋がり、こだわりが才能や個性を意味しているのであって、決して鯛の尾頭付きサンマの塩焼きがパティ・スミスではない。それをこの追記で、くれぐれも断わっておきたいと思う。 パティ・スミスのライブが幸いなことにyoutubeで見られます。 Land/Horsesは必見です。あまりの格好よさに度肝を抜かれます。 このページ了。
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太陽から窓を通して 僕の小さな部屋に数条の 愛の光が差し込んできた ふだん見えない 塵は きらきらと浮かび上がり 名なきものに名を与える その愛はずっと進んで 開かれた扉まで行って 途絶えた うまく言えないけれど 愛 そのものが 消えた 光の斑はいそがしく舞い 僕も一緒に踊っていたのに 姿もかたちもない世界で その愛はずっと進んで 開かれた扉まで行って 途絶えた うまく言えないけれど 愛 そのものが 消えた 僕は夢から覚めたように いつもの部屋の中にいた 数秒前と同じなのに 名とはもう繋がりがなかった 光の斑はいそがしく舞い 僕も一緒に踊っていたのに 姿もかたちもない世界で その愛はずっと進んで 開かれた扉まで行って 途絶えた うまく言えないけれど 愛 そのものが 消えた 『 Love Itself 』Leonard Cohen |
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お久しぶりです。お元気ですか。 今回はコキットラムという名前の市を取り上げたいと思います。 お入りください。ありがとう。 コキットラムという変な名前はもともと、このあたりの先住民が呼んでいた地名であるらしい。だからもちろん、ちゃんとした意味がある。 『魚くさい』というのがその意味らしい。きっとそうだったのだろう。今まで僕が取り上げたリッチモンドとかニュー・ウエストミンスターなんて英国気取りな、意味のない名前より、はっきり言って僕はこっちの方がずうっと好きだ。だから、今回は生々しく、力強く、マルセル・プルーストの小説のようにエレガントに始まる。 くさい臭い。 かつて僕は、ニュー・ウエストミンスター市のアップタウンを大阪ビジネスパークとし、ポート・ムーディー市を伏見とし、バーナビー市を地下鉄御堂筋線、梅田から千里中央とした。驚くなかれ。僕は、コキットラム市においても、これらの条件を全て満たすことができる。 ニュー・ウエストミンスター市の北、バーナビー市の東、ポート・ムーディー市を通り越し、ずっと北に広がるコキットラム市は、京阪本線およびその周辺に置き換えられる。いわゆる淀屋橋から京橋を通り、守口市、門真市、寝屋川市、枚方市、これより京都に入り八幡市、京都市伏見区、七条、三条に至る全本線が、あまりぱっとしない広大なコキットラム市にあてはまる。 嗚呼、京阪は僕の高校時代。そして、あなたの高校時代。 僕とあなた、そして僕達の親友のしんちゃんとが今、おそろしく空いた緑色の京阪電車の各駅停車(普通)に乗っている。僕達は関目駅から乗り、守口市を越えてあてもなく先を目指している。受験の下見がてら、カネはなくともヒマを持て余し、先の不安に少しおびえている。いずれ、僕達は離ればなれの道を進むのだ。僕達は当時まだ西日本限定だった明治製菓のカール、うすあじを一緒に食べている。麦わら帽子のカールおじさん。それにつけてもおやつはカール。僕達は萱島駅のホームを貫く、樹齢700年と言われるクスノキを見て、十八歳らしく感動する。 京阪電車は、寝屋川市を過ぎ、やがて枚方パークの前を過ぎる。ここは、日本で最も古い遊園地。遊園地って今更ながら素晴らしい字面である。よく調べてみると、かの有名な大菊人形はもう終わったそうだ。やっぱり時代の流れには勝てないのかな。僕の十八歳はもう二十二年も前のことなんだから。だから、ここに現れる京阪沿線は自然と二十二年前の風景になる。でもきっと、あんまり変わってないんだろうと僕は勝手に想像している。京阪沿線なんだもの…… カールのうすあじを唾液で柔らかく浸し、味わい、飲み込むようにして、僕達の各駅停車はゆっくりと進んでゆく。樟葉を過ぎ、石清水八幡宮のある八幡市を過ぎ、伏見稲荷を通り越し、伏見桃山駅にたどり着く。大阪ではない土地に至り、僕達はちょっとしたプチ旅行気分を味わったりしながら深草を過ぎ、七条、三条,と来て大阪へ折り返す。もちろん改札は出ない。そんな切符は最初から持っていない。ヒマな僕達はただ逆のホームに移動して、もと来た道をまた各駅停車で帰っていく。これはちょうど僕の現在、つい最近四十歳になった僕のようだ。 下の写真は、樟葉(くずは)、コキットラム・センター周辺。 続いて、Lafarge Lake。 先述の伏見桃山駅には、明治天皇陵があり、その麓には乃木希典を祀る京都乃木神社がある。乃木希典は妻と共に明治天皇の死に殉死した。日露戦争時には乃木軍を率い二〇三高地を攻めたが攻めきれず、同じく長州の児玉源太郎の助けを得て、膨大な犠牲を払った後、ついにこれを陥落。かねて東郷平八郎率いる帝国海軍から要請のあった旅順港をようやく手中に収める。 以上は余談。(司馬遼太郎) そもそも、このブログ自体、このmini van自体が余談である。 僕は今、二十二年後の三条京阪にいる。時刻は午後10時30分。そこであなたとしんちゃんと、英国パブで、ギネスとエビスのハーフ&ハーフで乾杯している。バックにはローリング・ストーンズの『地の塩』が流れている。1968年発表の名盤『ベガーズ・バンケット』B面の最後を飾る曲であり、ちなみにこの1968年に僕は生まれ、明治製菓のカールが生まれた。 以上は、またも余談。 くさい臭い。 ちなみに、樟葉(くずは)という地名は『古事記』に出てくる、ちゃんと意味のある地名である。 以下はウィキペディアからの抜粋。 『古事記』の崇神天皇記に楠葉の地名の由来が記されている。山背の建波邇安王(たけはにやすおう)の反乱に対して討伐軍として、天皇は、日子国夫玖命(ひこくにぶくのみひと)を派遣した。国夫玖命の射た矢が建波邇安王に命中し、反乱軍が逃げ出した。討伐軍はこれを追って「久須婆(くすば)」の渡しに追いつめた。逃げ場を失った兵士達は恐怖の余り糞を漏らして袴を汚してしまった。そのためここは「糞袴(くそはかま)」と名付けられたが現在は「久須婆」と呼ぶと書かれている。一方、『日本書紀』の崇神天皇紀では『糞袴』が現在訛って『楠葉』になったとする。 糞袴(くそばかま) さあて、ぼちぼち、帰ろうか…… Minolta X-570にて撮影。 T-max 400使用。Kodak D-76 1:1にて現像。
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1978年発売。FUJICA ST605Nである。フジカとはあの富士フィルムが昔、一時だけ、コニカの真似をしてつけた名前(だと思われる)。ST605NのNなんて歯切れの悪い名前は、輸出モデル故。どうしてか輸出モデルは、中途半端な名前が多い。使用はM42スクリューマウントで、絞り込み測光。そのあたりはペンタックスのSPに似ている。最高シャッタースピードは、700分の1秒???? なぜ? 500分の一秒だと、あこがれの先輩に嫌われると思ったからなのか、ほんの少し背伸びをしたところが、少女のようにけなげである。だって、フジカですもの…… 1978年。時代は『サタデー・ナイト・フィーバー』の大ヒットによるディスコブーム。 1月 TBS『ザ・ベストテン』放送開始 ヴァン・へイレン『炎の導火線』にて鮮烈のデビュー SEX PISTOLSから、ジョニー・ロットン脱退 4月 『サタデー・ナイト・フィーバー』日本で公開 5月20日 新東京国際空港(現成田国際空港)開港 6月25日 サザン・オールスターズが,シングル『勝手にシンドバッド』でデビュー 8月 日本テレビ『愛は地球を救う』放送開始 アーケードゲーム『スペース・インベーダー』タイトーより発売 9月7日 THE WHOのドラマー、キース・ムーンが、ドラッグで死亡 10月13日 SEX PISTOLSのシド・ヴィシャス、恋人のナンシーを殺害 11月 ポリス 『OUTLANDOS D'AMOUR』でデビュー 11月25日 YMOがアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』でデビュー この年は、街中にディスコと、駅前にゲームセンターが乱立した。昭和53年である。キーワードは『電子化』この頃あたりから、おもちゃだって何だって電子化していったような記憶がある。もう30年も前の話だから、ホント、驚くよね。ゲーセンがパチンコ屋の横にできてて、インベーダーゲームしてるやつの周りに集まって、俺らガキはそんなのを見て浮かれてた。ディスコとか、フィーバーとか、ナゴヤ撃ちとかって、もうみんな言わないよね。そんなくすぐったい言葉がこの頃にはいっぱいあるのさ。ガンダーラとか、ABBAとか、ビージーズとか、フジカとか…… 弱冠21歳でデビューし、衝撃のテクニックで世界を沸かせた、エディー・ヴァン・へイレンを今回は敢えて隅っこに押しやり、日本のロック界の出来事に注目してもらいたい。サザンのデビュー、それにYMOのデビューである。この当時、まだサザンはコミックバンド風の匂いと、革命児の煌めきの中間にいた。僕は、熱心なサザンのファンではない。いや、むしろファンでさえない。だからこんなことを言うのは熱心なファンに対して失礼かと思うが、サザンの出現、言うなれば、桑田圭祐のシュールな歌詞と、あの英語っぽく歌う歌唱法、当時何を言っとるのかわからんとか、これ日本語かとか言われた、いわゆる桑田節が、後の<日本の音楽を変えた>と断言して間違いないと僕は思う。 パンクはピストルズに始まりピストルズに終わった。 そして、11月25日、1978年を語るに最もふさわしいYMOが登場する。彼らはコンピュータ、シンセサイザー、演奏技術、コンセプト、ファッション、コマーシャル、グローバルな展開、全てにおいて一番高い所から現れたように、言うなれば降臨したように、僕らガキには感じられた。かっこいいんだぜニッポンは、そんな風に自慢ができたのは、(サディスティック・ミカバンドには悪いかも知れないが)こと音楽に関して言えば、国民にとって初めてだったのだ。 『電子化』 この言葉の響きは、30年前のガキに、明るく便利な、かっこいい未来を想像させた。WALKMAN発売の前年。カメラも電子化が進み、シャッター優先、絞り優先、プログラム測光、ファインダー内のLED表示がその象徴になった。そんな年に生まれたのが、けなげなこのカメラ。電池を使えば、ふらっと追針式の針が揺れる。もちろん電池なんてハイカラなものはなくてもいい。どっちみち絞り込み測光のマニュアルフォーカスだから、ネガなら勘にまかせて撮ったほうがはやい。その名は、FUJICA ST605N。共学の高校に入学したばかりの、ちょっと古風な女の子。まだ小さな胸がドキドキしている。そう思えば、回りくどい名前も、由緒あるものに思えてくる。 ああ、日本。 実はここだけの話。このカメラは、娘がお小遣いから買ってくれた。近くのヤードセールにいとこと用事で行った時、どこかのおばさんがこのカメラをとてもさりげなく売っていたらしい。僕のあの娘はそれに気づき、いつも飲んだくれの父が、少しも役に立たないおんぼろカメラ収集を愛好していて、ひょっとしたらこのカメラが気に入るかもしれない、と言ったところ、おばさんが涙ながらに半額で売ってくれたというのだ。けなげさは時に、何よりも人間的で美しい。なにしろ、10ドルが5ドルになる。 娘が買ってくれたフジカさんは、電池を入れても、露出計が働かない。それがどうした。そう、僕は言ってやりたい。それが、どうした。彼女はまだ、大人の世界の準備ができていないのだ。いや、ちょっと待て……、30年前だから、もう、だめなのかな。でも、えーーーい。それが、どうした。 僕のフジカさんは、今でもフジノン(これもコニカの真似?)の55㎜2.2を付けて、高校一年生の女子のように美しくけなげにたたずんでいます。まるで、初めて詩に感動した女子高生が、学校の帰りの市立の図書館で、偶然出会った正岡子規の俳句を、指折り数えて詠んでいるように。 柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺 それでは、今日はこの辺で…… PS: YMOの1979年のヨーロッパツアー、特にギリシャのものがyou tubeで見られます。とてもかっこいい。ギターの渡辺香津美、サポートの矢野顕子。それに、特にドラムの高橋ユキヒロ氏のドラミングは必見です。このクールさには驚きます。ガキだった僕には、この凄さがわからなかった。できれば、生でとことん感じたいタイトさです。
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Imagine the clouds dripping. Dig a hole in your garden to put them in. 1963 spring 雲の作品 雲がぽとぽと 落ちてくるのを想像する あなたの庭に それらを溜めるための 穴を掘る
Yoko Ono 『 grapefruit 』
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